2006年8月13日日曜日

脱走兵

 私はギターを弾くのですが、そもそもなんでギターをはじめようと思ったのかというと、歌の伴奏をできるようにしたいという思いがあったからなんです。歌の伴奏というのはどういうことかというと、誰かのバックでというのじゃなくってですね、自分が歌うときの伴奏です。私は自分のつまらない人生を送るにあたって、ささやかな楽しみとして歌くらいは歌いたいと思っていたんです。そしてその伴奏をしたいという一心でギターを手にしました。当初歌いたいと思っていた歌というのは、フランスの歌、シャンソンでした。当時私はフランス語を結構熱心に習っていて、フランス語というと歌で言葉を覚えましょうなんていう風潮があるものですから、とにかくいろんなフランスの歌に触れる機会があって、そうして知ることになったのがボリス・ヴィアンの『脱走兵』でした。私はこの歌を、ギターを持ってかなり初期の段階から歌っていて、そして最近になって改めて歌い直そうと思うようになったのです。

歌い直そうと思ったきっかけというのは、今の社会状況に一言申したい、とかそういう理由ではまったくなくて、実に単純な話、最近ギターの技術があがってきたから、ちゃんと伴奏らしい伴奏で歌えるようになったかなと試してみたというだけの話なんです。そう。確かに技術はあがっていました。それっぽく歌うことができるようになっていて、それこそ以前はギターに神経をもっていかれていたのが、歌に集中して歌えるようになっているから、歌もよくなっているのではないかと思います。なんでも続けるということが大切なのだなあ。改めて実感しています。

さて『脱走兵』という歌ですが、この『脱走兵』という邦題は微妙に間違っていまして、もともとのタイトルはといいますとLe deserteur。辞書で調べると確かに脱走兵という訳語ものっているのですが、それよりも別の訳語である裏切り者であるとか、あるいは少しひねって懲役拒否者とか、そういうタイトルの方がより実態にそぐうのではないかと思います。実際、『懲役拒否者』というタイトルで紹介されているケースもありまして、つまりこの歌の主人公はまだ兵隊になっていないわけですから、脱走兵というのは本当はちょっと変だという話なんです。

大統領閣下。召集令状を受け取りました。けれど私は戦争にいきたくありません。誰も殺したくありません。今まで戦争の嫌なところを散々見てきました。だから私は逃げ出します。フランス中を回りながら、戦争にいくなと説得して回るつもりです。私が邪魔なら、どうぞ射殺してくださいますよう憲兵にご命令ください。

というような内容の歌です。しかもこの歌、戦時下フランスにおいて発表されたものだから、ばっちり放送禁止になっているのだそうで、こういうエピソードを聞くと、歌が社会にしっかりと関わりを見せていた時代があったのだと、歌に社会情勢を変えうる力があると信じられていた時代があったのだと、なんだかすごく不思議な気分になります。そうなんですよね。今は歌は人生のささやかな楽しみや慰めのためのもので、社会を変えうるなんてとんでもない。そもそも政治的ななにかを歌に求めようだなんておかしいよ、という時代で、けどそうした歌からは実感というものも抜けていくようで、ありもしない夢のような、幻のような愛や恋やを歌って、心に届くところは少ない。確かにその方がおしゃれかも知れないし、時代にはあってるのかも知れないけれど、歌の本来持っていた力というのは不当に弱められているのだといわざるを得ないのかも知れません。

もちろん、そういう表面的な歌はほんの一部に過ぎなくて、そうしたものを越えた先には豊かな歌の世界が今もあるということは諒解しています。けれど、それらは一般の耳目に届くようなところまで浮上してくることは少なくて、そういう点から見れば、かつて社会の一端を担っていた歌はその役割をおりたのだと思わざるを得ないのです。

ボリス・ヴィアンの歌う『脱走兵』は、なんだか飄々とした感じの歌い方も相まって、独特の味わいを持っています。内容こそはプロテストソングですが、これを聴いて異議申し立ての気炎を即座に感じるということは難しいのではないかと思います(特にフランス語のわからない私たちにとっては)。けれど、そうした歌いぶりのなかには確かに実感がともなっていて、そのリアルな情感があったからこそこの歌は今にも残っているのだと思います。歌は、表面的な音の現れを越えた先に真実をはらんで、そしてよいものはきっと残るのだと、そんな風に思うのです。

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