
『夜回り先生』は小学館の漫画雑誌『IKKI』に連載されている漫画で、夜学の教員水谷修氏の手記『夜回り先生』が原作です。漫画は土田世紀。あの独特のタッチ、濃密な描写が現場のリアリティをいっそう際立たせて、人間臭さも強烈に押し寄せてきて、引き込まれてしまいます。すごい漫画です。私は目が離せない。そして、こういう現場が日本のあちこちにあるということを意識して、そして意識しながらも見過ごしにしてきた今までを振り返って、恥ずかしい。私は毅然として立ち向かえない。けれどこの漫画に一度触れれば、人間の可能性を信じたいという気持ちが湧き上がって、もし私がこうした場に立ち会うことがあらば、その時は一歩を踏み出してみようという思いもするのです。
しかしなにがすごいというのか。漫画の表現力もそうです。しかしそれ以上に、水谷氏の立ち会ってきた現場の状況が胸に迫ってきて、助けを求めている子たちが街という街にあふれているのかも知れない。人知れず、闇に潜るようにして、いつか助けの手が差し伸べられることを、いつか光の差すことを期待しているのかも知れない。そう思うと、悲しくて切なくて、仕合せのはかなさに思いをいたらせて、誰もが仕合せであればいいのにという思いにとらわれて、けれどただ嘆くだけの私はなんという卑怯者であるかと恥じます。街に出ればいい、瀬に降りればいい。難しいこともあらば、負いきれないこともあるだろう。たくさん、たくさんあるだろう。けれどだからといって、難しいからといって、手をこまねいているのが利口なのかというと、私には決してそうは思えないのです。
『IKKI』2006年7月号。『夜回り先生』にて、水谷氏の言った言葉が忘れられません。誰も待ってくれないと絶望をあらわにする少年に、
待ってるさ!! 俺が待ってる!!
俺じゃダメか…!?
きみにとっては通りすがりのオジさんだ… だけど…俺は通りすぎることができない…
通り過ぎることができない……。この言葉を、いったいどれだけの人が求めているでしょう。この言葉が、いったいどれだけの人を救うでしょう。そして見過ごしにできない、見過ごしにしてはいけないことは、この地上にはあふれています。だから、私もいつか、通りすぎることができず、立ち止まるのかも知れません。
- 水谷修,土田世紀『夜回り先生〜ブランコ』(IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
- 水谷修,土田世紀『夜回り先生』第1巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
- 水谷修,土田世紀『夜回り先生』第2巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
- 水谷修,土田世紀『夜回り先生』第3巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2006年。
- 以下続刊
引用
- 水谷修,土田世紀『夜回り先生』,『IKKI』2006年7月号 小学館,305-306頁。
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私は真田ぽーりんの漫画が好きです。出会ったのは『
こんなこといっちゃあなんですが、私は喫茶店たんぽぽの店長さんが好きです。店長さんというのは、表紙に見えるコーヒーポットを手にしているほうの人。さて、私はこの人のどこが好きかというと、まずは身長が145センチというところ。私は背の高い人も好きですが、背の低い人もかなり好きなのです。次に30歳というところ。私は若い人も好きなのですが、ある程度年をとった人の方が好きだったりします。そして有能なところ。そうなんですよ。私はなにかに秀でた人を好きになる傾向があります。なんでもいいんです。けれど、それがその人の好きで選んだものであったらどんなにか素敵だろうと思います。そうなんですよね。やはり自分で選んだ道を全うしている人というのは、とても魅力的に見えるものです。
本当なら二日にわたって一冊ずつ紹介したほうがよかったのかも知れませんが、みおとゆかを並べたかったものだから、一度に紹介してみることにしました。『みおにっき』と『ゆかにっし』は、みおとゆかの姉妹が主人公の漫画。同一世界を舞台にしながら、みお視点の物語とゆか視点の物語がそれぞれ展開されて、実をいいますと私はこういう構成が好きなのですよ。しっかり者の妹みおと、どことなく浮世離れした姉ゆかの和気藹藹と楽しそうな関係がなんか嬉しくて、私は本当に好きでした。けれどこの姉妹の物語はこの二冊にて完結。いい引き際だと思いながらも、ちょっと残念に思わないではおられません。




ついに決断したのです。先達て買おうかどうか迷っていたデジタルカメラ、
こと辞書に関しては新しいほうがよいのです。時代が新しくなればともない新語も続々と増えて、昨今でいえばコンピュータ関連の用語なんかがまさしくそうで、辞書を引いてもわからないから、オンライン辞書を使って仏英翻訳し、さらにそれを英和訳して、単語の意味を調べるというようなこともしばしば。しかし、インターネットが出現して、本当に便利になったものだと思います。ってまとめてしまっちゃいけませんね。

昔、エレキギターを弾くと不良だといわれた時代なんてのがあったと聞きますが、そうしたエレキ世代もすっかりいいお父さんになって、定年を迎えたりして、このごろやっとゆとりが出来たりしまして、若いころにやりたくてはたせなかったエレキの夢よ、今一度。憧れのギターを手にしようという人はきっと多いのではないかと思われます。
トットちゃんというのは誰かというと、日本人ならまず知らない人はいないんじゃないかというほどの知名度を誇る黒柳徹子さんであります。黒柳さんが過ごした少女時代をつづったのが『窓ぎわのトットちゃん』。最初の小学校で、授業中、窓ぎわにたってちんどん屋さん呼んでみたり鳥に話しかけたり、そうしたエピソードがタイトルになっています。
ああああああ、しくじりました。先日、
リコーのデジタルカメラ
私があさりよしとおの漫画に出会ったのは中学に通っていたころで、なんか独特の表現、ひねてて皮肉も利いてて、そうしたのが独特の丸み、柔らかさを帯びた絵で展開されて、なんというんでしょうね、シュール? 私にとっては好きな作家なのですが、一般層への浸透というといくつも疑問符がつくくらいにマイナーで、漫画をかなり読む人ならば知ってる可能性は高いとはいえ、普通の漫画読みなら知らないかも知れないくらい。けど、面白いんだけどなあ。
ローリングストーンズのキース・リチャーズといえば、ロックファンにとってはちょっと外すことのできないビッグネームであると思うのですが、しかしこの人ってなんというのか、危なっかしいというか、目が離せないというか、まさにトリックスターであると思うのです。そのキースがですよ、なんと事故でけがをしてその再起さえ危ぶまれているというではありませんか。そのニュース、記事のタイトルが『
師走冬子というと『
どんなものにしても、一番最初に使ったものが自分にとっての原器となるのかも知れないと思うことがあります。私にとって、例えば辞書なら『
子供の頃、立ち読みの漫画雑誌で見覚えて帰った『広辞苑』という名前、とにかくそういう名前の分厚い辞書があるらしいと知って、私は親にねだりました。そして買ってもらったんですね。その頃はまだ第3版で、奥付見れば昭和58年12月の第1刷とあって、とすると私はまだ十歳ですね。ということは、広辞苑とつきあってもう二十年以上経つというわけで、思えば長いのかもなあ。人生の半分以上、辞書といえば広辞苑というスタンスでやってきて、とにかく小中高は広辞苑で全部済ませました。大学に入っては第4版のCD-ROM版に移り、院を出るときに第5版を買って今に至る。とにかく、常に傍らには広辞苑があった。だから、私の日本語のベースには、少なからず広辞苑ひいては岩波の影響があると思います。
私が先日カラオケにいったときのこと、山崎まさよしの『メヌエット』を歌って欲しいといわれまして、残念ながら私はその歌は知らないんです。けど調べて仕込んでおきますよと答えて、調べてみたらゲーム『
オペラはみるけどミュージカルはほとんどみたことのない私です。

実は私は、カラオケあんまりいきません。歌が嫌いなわけはないんです。むしろ好きで、ただいく機会がないのですね。だから、たまにカラオケにいったりするとすごく戸惑います。どの歌を歌うべきなのか、そもそもうまく歌えるものなのか、毎回緊張して、これだという歌を選べないのですね。
『
なんかちょっといろいろあってさ、ここのところメランコリック気分。なんていうんだろう、そうした気分もたまには悪くはないんだけど、でもなんでかこうしたときには誰かに心のうちをうちあけたくなるものでしてね、けどそうした試みが成功することってのはまあめったにないわけでして、なんていったらいいのかなあ、通じないんだ。言葉の不完全さがいけないのか、単に私の表現力の乏しさか、話せば話すほど私の思うところからはかけ離れていって、最後の方には、そうじゃないんだ、そうじゃないんだ、ばっかりいってる。そして寂しさ、悲しさはいよいよつのって、よくないよねこういうの。うん、よくないよねこういうの。
『
