去年だかおととしだかくらいから、百合などといって女性同性愛をモチーフにした漫画やライトノベルが流行っているようですが、私はこうした傾向は大歓迎。なんと、これらの流行がおこる以前から私の中にはこういったものへの傾倒があったんですね。これからちょっとややこしいことをいいますがどうか黙って聞いてつかあさい。
実のところをいうと、私は女として生まれたかった。それはさかのぼれば高校生くらいにまでなるんじゃないか、ともかくずっと以前からそんなことを思っていたのでした。いや、別に性同一性障害だとかそういうたいそうなのではなくてですね、単純に男ではありたくなかったというような話だと思うのです。男という性をもった自分への嫌悪や違和感があって、それで女に生まれたかった。けれど私はそれでも今は女ではないから、男を愛することはできない。そうした鬱屈から、女性同性愛的世界への思慕を深めた……、のだと思っています。
こうした偏屈な傾向を持つ私ですから、実は男性向けのエロは楽しくなくって、なんというのでしょう。男が女を、というベクトルがどうにも好きではなくて、ビデオにしても漫画にしても、小説にしても、これだっ! というようなものは実に、実に見つけられないんですね。それでもいろいろと自分の傾向を探ってみた結果、私にとっては女性の描くエロの方がよいようで、それもできれば直接描写の少ない、寸止め系の方がよりよい模様であるぞとわかってきた。そんなわけですから、『少女セクト』はしくじったと思いましたね。いや、表紙にひかれて目をつけていて、どうも評判であるようだからと購入に踏み切ったのですが、そうしたらやっぱり『メガストア』に連載されていただけあって、実に男性的な視点にもとづく漫画でありました。この同日に、同じく評判であるときいて買った『くちびるためいきさくらいろ』の方がよかった。あの、なんか、いたたまらなさというか、最後の最後で手をこまねいているような『さくらいろ』の方が好ましかった、と思ったものでした。
でも、読んでいるうちに評価が変わってきたのですね。読んでいるうちにこの人のエロの描写に慣れたとでもいうのか、エロをさほどエロと感じないようになって、そうしたら実によく仕掛けがされていて、その工夫のよく行き届いていることに気付いたのです。その工夫とは、基本的に男性向けである漫画を女性だけで展開して男性に飽きさせないという工夫であり、そしてもうひとつは、心の行き違いといったものがうまく表現されているというところ。ほら、前者は第四話に際立っていて、後者は第五話が白眉です。第四話においては、嗜虐性のある側を自分と見るかあるいは逆か、読者が選んで感情移入する余地があり、そして屈服させられる側が最後までそのままではないという下克上シチュエーションが実にうまいなと。そして五話。自分の好きな相手が違う相手を見ているということを知りながらもその思いをとめることができず、そして思いを遂げたかと思われたときに呼ばれた名前は自分のものではないという状況の見せ方。古典的かも知れません。ですが、最後、結末にいたるまでの展開は丁寧で、べたながらもうまさがそれと感じさせず、私は結局はこういうすれ違う思いというものが好きなのだなとしみじみ思ったのでした。
この漫画は、結局はその思いのすれ違いを二冊にわたってやって見せたんでしょう。第1巻ではさまざまな人間関係の中で、第2巻では常に主要な位置にあった二人をメインに据えて。通して読んでみて、今私は第1巻の方がよかったなと感じています。ですが、これから2巻を読み進み、分け入るにつれて、その評価は変わるかも知れません。でも、私には、内藤と藩田の関係については、第2巻においてのものよりも、第1巻の方が好みであったと思います。表立っては描かれず、端々に匂わされるような、そうしたほうが好みであったと、今の時点ではいっておきます。
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