2006年4月24日月曜日

ナツノクモ

  私がその発売を楽しみにしている漫画雑誌『IKKI』の六月号が発売されていまして、嬉しいなあと買ってきたらば『月館の殺人』が最終回。ああ、じゃあ今日はこれで書こうかと思って、けれど単行本で読む人にネタバレにならないようにしなくっちゃと思っていたらば、巻末に収録される『ナツノクモ』が急展開を見せて、ああ、私は今月のこの回を読んで、今まで聞きたかった言葉をはじめて耳にした思いがしました。いや、聞きたかった言葉なんかじゃありません。そうですね。あの言葉は、私が口にしたい言葉なんです。そうなんです。私が誰かに告げたいと思ってやまない言葉がそこにあったのです。

だから、私はその言葉の告げられる最終コマにいたった時にはもうなんだか泣けてきて、けれどべそべそ泣くばかりじゃなくて、なんか心の底から言葉にできないような思いが沸いていて、窓をばーんっと開け放ってわーって叫びたいような気持ちであったのですが、そういうことをして警察に通報されても困るからここにこうして書くことにしたのです。

『ナツノクモ』は厄介な問題を扱って、決して後れを取らないまっすぐさが気持ちよくて、心にどしんどしんと伝わるような重さ、実感がともなっていて、私は本当にこの漫画を今、一番に推したい気持ちであるのですが、それは多分に、私の自分に対する評価がこの漫画の主人公コイル(トルク)のそれに似ているからであると思っています。いや、実際私の自分に対する評価の低さったらなくって、もう本当にゴミのようだって思っていて、なんの役に立つわけでもない穀潰しで、そのくせ自意識ばかりは強くて、いつも誰かに相手にして欲しいと思っているのに、誰かが相手してくれたらその手をはらうようなあまのじゃくで、人恋しさに揺れるのに、人の輪の中にはいればなぜか孤独にさいなまれて、自分から、まるで後脚で砂をかけるようにして出ていこうとする……、そういう最低な人間なのです。

だから私は、この漫画のヒロインのひとりであるガウルにも感情移入をしているのかも知れません。自分自身なにをというような思いもあるのですが、あの、動物園に暮らす人たちの思いは私にとって他人事でなく、存在しない人をあたかも存在する友人であるかのように思い、きっと仕合せな明日のくることを祈って、そしてそれは私自身が求めていることの反映なのだろうと思っています。そう、私は誰かに自分の身を預けたいと思っていて、けれど自分などを受け入れる人などいないとも思い込んでいて、そして誰かを受け入れたいと願っていて、そうした屈折した欲望やら願望やら切なさやら悲しさやらが、この漫画にはそっくり描かれているような気がするから目が離せない。そうなんです。寂しいのです。そしてその寂しさをネットワーク上に仮想的にできあがった世界に紛らわせたいと思う人たちがいて、そしてほかでもない私自身がそのひとりであるということをはっきりと自覚しています。

『ナツノクモ』の物語は、いま本格的に動き出したと感じて、だからクライマックスは直きでしょう。あと一山、二山くらいはあるでしょうが、あるいはもっと思いがけない動きもあるかも知れませんが、けれどいつかくる物語の終わりを予感して、私はなんだか震えそうです。悲しかったり寂しかったりしながら、けれどいつかくる物語の閉じられる日を感じては震えを覚えるのです。

  • 篠房六郎『ナツノクモ』第1巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2004年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第2巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2004年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第3巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2004年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第4巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第5巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 以下続刊
  • 佐々木倫子,綾辻行人『月館の殺人』上巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 以下続刊

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