2009年2月15日日曜日

フランシーヌの場合

 なぜかわからんのですが、歌声喫茶を今のこの時代にあえてやりたいという人と知り合う機会を持ちまして、それでなんでかわからんのですが、その手伝いをすることになりまして、端的にいいますと、歌います、そして伴奏します。けど、いったいなにを歌ったものか、それがわからず困っています。狙いの客層というものがあります。店主にいわせれば、団塊の世代、つまりリタイアして悠々自適に暮らそうという、そうした人たちをターゲットにしたいのだそうですが、だから若い人の歌はあまり選ばないで欲しい。まあそれはいいんです。私が若い人向けの歌を知りませんから。けど、だからといって六十七十代に訴える歌というのもちょっとわかりません。とりあえず初回のお勤め(といっても給金は出ない)を果たして、自分の父母よりもちょっと上の世代が中心かとあたりを付けたけれど、そうなるとなおさらどんな歌がいいかわからない。頭かかえる思いでいます。

そんな私の支えとなるのは、全音楽譜出版から出ている『歌謡曲のすべて』であります。そしてもうひとつ、デアゴスティーニからリリースされている『青春のうた』。ここからピックアップしていけばよいのかな。前者、曲集はなにしろ戦前歌謡から軍歌から収録しているし、後者は歌声喫茶全盛の時期もサポートしているし、しかしそれでもよくわからんなあ。わからんながらもこれがいいんではないか、そんな風に思う歌もあって、そうした中の一曲が、新谷のり子の歌った『フランシーヌの場合』です。

私ははじめてこれを聴いたとき、てっきりシャンソンに日本語歌詞をつけたものだと思ったんです。実際、この歌のはやった当時にもそう思っていた人は多かったらしいのですが、実はそれは勘違いというやつだそうでして、つまりフランスにオリジナルがあるのではなく、日本で作られた歌であるんです。作詞はいまいずみあきら、作曲は郷五郎。ただし、題材はフランスの出来事に取材していて、パリにて抗議の焼身自殺を遂げたフランシーヌ・ルコントがモチーフになっているのだそうで、それが3月30日。フランシーヌという名前と、3月30日の日曜日という日付は、歌詞にもはっきりと歌われて、つきはなされるような悲しさや世界と断絶されるようなやるせなさ、そうした感情を抱える歌詞と曲調が相俟って、なんともいえない独特の世界をかもしだしています。

私がこの曲を歌おうと思ったのは、『青春のうた』にて聴いてどうにも忘れがたかったということがあって、そして『歌謡曲のすべて』に楽譜を見付けた、その二点がためでありました。しかし、まずは心のどこかにひっかかっていた、そうした事実が重要でした。陰惨ささえ感じさせる歌、それが無理に情感もりあげるでもなく、淡々と歌われる。まるで、フランシーヌを遠くに感じ、ながめるような、そんな距離が切なかった。けれど、その距離感とは、フランシーヌに向けられたものというよりは、むしろ彼女のようにはあれない私に対するものであるのかも知れない。そのようにも感じさせて、素朴で素気ない、そんな歌が、歌うほどに沁みるのです。

だから私はこれを愛称していて、実際この歌は大ヒットしたそうではありませんか。きっと一部の世代には訴えるだろう。そのように思って、信じて、歌っていきます。

2009年2月14日土曜日

晴れのちシンデレラ

 実は、発売日に買っていました、『晴れのちシンデレラ』。毎月の、KRコミックスの買い出しにいったいつもの書店、新刊の平積みの中にあって、なにか訴えかけるものがあって、でもなあ、無闇に買う本を増やしたくない、そんな気持ちもあって、迷って迷って、手にとっては戻し、またとっては戻し、お嬢様学校に通うお嬢様だけど根は庶民、そういう設定に『笑う大天使』思い出したりして、それゆえにひかれつつも抵抗がある、うろうろうろうろ売り場を回り、ええい、もう買っちまうがいいさ! やけっぱちな気持ちで買って、そして今日まで寝かせてしまったのでした。いやね、かなり面白いという人もあって、ならきっと面白いのだろう。Amazonのおすすめにもいつもあがっている、だからこの数ヶ月ずっと気にしてきて、けれどそれでもし自分の性に合わなかったらどうしよう。なにか怖れみたいなものがあって、けれど読んでみれば、ああこれ面白いな。心の底から思いました。というか、MOMOか。雑誌買ってもいいかも、そう思うくらいよかった。いや、もう、買い損ねなくてよかった。あの時の判断、そのぎりぎりの決断に我がことながら安堵しました。

そうした経験を積み重ねていくほどに、表紙買いと称した衝動買いが酷くなっていくというのですが、そのへんのことはどうでもいいので、パスしまして。しかし、この表紙、こちらに向かって駆けてくるお嬢様、晴さんですね、その印象のぱっと引き付けるところ、そこが決め手となったのでした。さて、私は以前表紙で買ったシリーズ、なんていって、自分の表紙買いの傾向について書いたことがありました。それは、いわく、こちらを見つめる表紙シリーズ。そう、『晴れのちシンデレラ』も見事その条件に合致しております。凛々しいお嬢さんが、こちらを真っ向から見つめている。あまつさえ、駆けてくる。実にいい。しかし読み終えて思う、もしこの駆けてくるハルさんを避けなかったら、きっと撥ねとばされてしまうんだろうな……。

この漫画のヒロインは貧困をともに育った春日晴さん。ひょんなことから大金持ちになってしまったけれども、根っからの庶民はいまだ抜けきらず、そうしたところはよくある設定であるかと思います。けれど、その庶民ハルさんが、どうもこうもなくいい人で、じいやさんやメイドのみそのさんの気持ちがよくわかる。ちょっとしたことに喜びをあらわにするハルさんと、その弟あたる。その素直なところ、人柄人品のよさには格別のものがあります。人懐こくて、どうもこうもなくひきつける。そればかりか、その喜びに、なにか共感できるものがある。ささやかな仕合せを、この上もない喜びとして受け取る春日姉弟の笑顔には、こちらもつい笑顔にさせてしまう力がある。うん、すごく身近と感じられる、その距離感がたまりません。

その距離感、親しみやすさがあるから、学校の皆からハルさんが慕われるという、そうしたところもすごく自然と感じられるのでしょうね。実際私も読み終えるころには、健気なお嬢様にすっかり絆されてしまっていて、けれどこの漫画の面白さには、そうしたキャラクターの持つ力だけではない、ネタのあちこちに光るものがあって、だってサンタクロースはまんまトントン・マクートだし(クリスマスの夜に悪い子をさらいにくる、麻袋おじさんの伝承を持つ地域は実在します)、しめじ…、モノクロ、もう最高。これらのネタの面白さは、ネタだけではなくキャラクターがあって光るものなのかも知れませんが、またキャラクターの魅力を引き出すのもこうしたネタの積み重ねであるわけで、いわば車の両輪として互いに作用しあいながら、漫画の魅力を高めているのでしょうね。

ところで、この漫画の見どころのひとつに、姉を慕う弟たちがあるように思います。実際、弟というものは姉を慕い、ああして力にもなれば、助けにもなりたいと思うものなのですよ。などという私は、現在理想の姉を探している最中です。あ、そうそう、素敵なお姉さんの話ですが、目撃者ゼロなら本気で戦える、って、あんたは変身ヒーローですか!? と思ったら、どうもその認識で正しかったみたいです。ついでに、実は、この表紙、あの絵のために、ハルさんのこと、ずっとツンデレ系のお嬢さんかと思ってました。とんだ誤解でありました。

  • 宮成楽『晴れのちシンデレラ』第1巻 (バンブー・コミックス MOMO SELECTION) 東京:竹書房,2008年。
  • 以下続刊

2009年2月13日金曜日

S線上のテナ

  S線上のテナ』については、なにを書いたものかわからない。そんなことを以前いっていました。さらに加えて、音楽の用語がちらつく、そこが気になって、引き込まれる前に引き上げられてしまう。そのため、とても読みにくい。そんなこともいっていました。けれど、撤回します。枝葉末節など気にせずに、本筋を読めばいいといった、その本筋はいまやずいぶんと育って、第5巻においては圧巻。しっかりと太い幹がストーリーを支えて、読み応えのあるドラマを描いて、ああ、いい漫画であるなあ、心からそう思いました。思いがけない展開があった、思いがけない繋りもあった。それらは私が見落としてきたものであり、それゆえに意外性は抜群で、けれど意外性だけが私の感想の源ではありません。私の感想の源泉は、登場人物の感情の発露、そこにあったのでした。

自分でも思いもしなかったくらいに、引き付けられた。それは、その描きだされた表情の持つ力だったのかもな、そのように思うのです。キタラの喜怒哀楽。幸福から悲劇に反転し、そこから一気に駆け上がるかのような盛り上がりは、見せ場であるのは間違いないのだけれども、ただそれを見せ場といってしまうことには抵抗がある。渾身の見開きは、ここぞというポイントに投入されて、最高の効果を上げていた。そのように思うのだけれども、それをただ効果といってすませたくない。そのように思うのは、あくまでもストーリーを語り、状況を説明するそれら描写に、機能以上のなにかを見出したいと思うがためなのでしょう。それは、調律師と恭介の関係を明らかにするために用意されたものであったのだけれど、その目的以上に豊かであった、そのように感じられて、そしてその豊かに溢れる感情は現在に戻り、恭介、テナ、アルンという人たちに繋がっていく — 。

その一連の流れを、うまさという表現ですませたくはありません。

そこには、描かれたこと、それ以上のなにかがあったと思います。それらは決して斬新ではないし、ベタあるいは王道といってもいいものであったかも知れないけれど、あらわされた感情は確かに彼らに固有のものでした。他の誰か、他のなにかから引き写してきたというような、ありきたりのものではありませんでした。そう感じさせたのは、技術技巧という言葉では説明しきれない、心をそこにそっと置いて、優しく丁寧に触れようとする手の持つあたたかさ。どうしてこの思いを伝えようか、その一心で綴られた短かながらも確かに届く言葉の持つ力。そうしたものに似た実感が、ページに、一コマの絵に、しっかりと息づいていたからでしょう。

その実感とはなんなのか。問うてみれば、おそらくは大切に思う気持ち、それに尽きるのだろうと思います。作中の人物が向ける思い、そして作中の人物に向ける思い。それを表わすための言葉を探して、探して、そして見付けたのがあの表現だったのでしょう。その探す過程で、思いはシンプルに、研ぎ澄まされていって、あんなにも綺麗になったのかも知れない。特別な気持ちを伝えるために、特別ななにかはいらない。当たり前の普通の言葉が、当たり前に、私の思う誰かのために紡がれる。そうしたことこそが美しい。そのようなことを思わせる、心に沁みるシーンがあったのでした。

  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第3巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第4巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第5巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2009年。
  • 以下続刊

2009年2月12日木曜日

くろがねカチューシャ

 くろがねカチューシャ』は第2巻でめでたく完結しまして、しかし早かったなあ、それがまず第一の印象でした。別に終わりに向かいそうな気配なんてなかった、そう思っていたのに、いきなりどんと最終回がやってきて、え、あれ? 終わるの? そんなこと思ったのも懐かしい。けど、終わってから振り返ってみれば、最後に向けての数回は、まるでイベントを次々とこなしていくかの勢いで、昇進試験、メイドロボハナの実際、そしてトキの仕事観が描かれ、その勢いを保ったままで最終回へと雪崩れこんでるんですね。これは、2巻で完結と決定したからなのか。もし続いていたら、もう少しスローペースで、そのへんの必須エピソードが展開されていたのか。どうだかはわかりませんが、もう少し長く楽しんだほうがよかったか、あるいはこの畳みかける勢いに身をまかせて読むほうがよかったか、一概にどちらがいいかはわからない。てのは、きっと私は、そのどちらであったとしても、楽しく読んだろうな、そう思うからなのですね。

その楽しさの根っこには、前にもいってましたけれど、この作者のらしさ、定番展開を期待させる、そんな流れを作っておいて、ページをめくった先で見事に裏切ってみせる、そのやりかたがうまいからだと思っています。ページをめくった先、それは四コマ漫画でいうところの四コマ目に似ている、そのようにも感じられて、ただ決定的に違うのが、めくらないとわからないというところ。昔読んだ漫画の技法だかなんだか扱ってた本には、ページをめくったところに見せ場を持ってこいみたいなこと書いてありましたが、この人の本はその見本みたい。ページをめくるその直前までに、次を期待させる、そんな流れをきっちり用意して、ドンと落ちを付ける。そして、次へ繋げ、また落とす。アップダウンが明瞭で、わかりやすく、面白く、テンポがいいから読みやすい。だから、楽しい。ということなのだと思うのです。

そうした、直前の流れでひきつけて、落とす。そのパターンは、なにも状況をひっくり返す、そうしたギャグ方面に向かうばかりではなかったのですね。ひっくり返すどころか、真っ向から受けてみせる、そんな流れもあります。見事に期待どおりの展開、そこには決めとなる絵がドンと置かれて、一瞬時間がとまる。そして気持ちのなかに、じわっと感情が広がるんですね。うまいなあ。あるいは、これまでに学習してきたバイオレンスに繋がるだろう流れ、それを裏切る展開、これにもすっかりやられましたね。けど、それが二段でひっくり返されて、もう一度やられる羽目になるんですけどね……。

読んでみての感想は、多分、この作者は真面目な人なんだろうなあ、そんな感じ。漫画の構成に真面目で、読者を楽しませることに真面目で、そして真面目であるからこそ自分の真面目さを表立っては出せない。ちょっとテレ隠し? そんな風に感じるなにかもあって、そうしたところは結構好きでした。だから、もうちょっと続いてもよかったのに。あの恒例の嘘予告、あれが実現するなら、きっと楽しみにして読んだろう。まあ、あの予告どおりにはならんでしょうが、続いたなら続いたで、私にはよかった。そんな風にも思うんですね。でも、ここはきれいに終わってみせて、ちょっとさみしくはあるけれど、こうして完結したことを今は喜びたいと思います。

2009年2月11日水曜日

The G7th Performance Capo

 今日、ちょっと歌いにいってきました。といっても、本番とかではなく、顔見せというかリハーサルというか、そんな感じ。でもまあ、どれくらいできるか、そうしたアピールをする格好の機会であるわけで — 、でも特に気合は入らなかったな。こういう、なんとなくだらだらしているところが私の悪いところ。でもいいかげんにはしないですよ。いたって真面目。使いなれた歌集を持って、使いなれたギターも持って、それからカポも、チューナーも。でも、現地ではその店の備品のギターばかり弾いていて、いやね、今後使うのは備品のギターでしょうから、なれておいたほうがいいかなって思って。でも、そうして弾いてみて、やっぱりいつもの使いなれたギターのほうがいいなあと、そう思って、けど次からは大変なので、身ひとつでいこうと思っています。

でも、カポは自前のものを持っていこうかな、というのは、ガットギター用のカポが置いてなくてですね、それではちょっと困る。歌う人の声域によって、上げたり下げたりしないといけない、それにはカポがないと面倒です。

カポというのはなにかというと、ギターのネックに装着することで、開放弦の音の高さを変更するための器具なんですね。正しくはカポタストといいます。それは昔は木製で、ガット弦使って締め上げるようなものが主流だったらしいといいますが、今ではねじ式のものがあったり、ゴムバンド状のものもあったり、さらにはShubbのものがそうですが、ぱこんとワンタッチで止められるものもあったりで、奏者はそれぞれ使い勝手や音に与える影響を考えて、自分の好みにあったものを使っています。

そこで私の好みのものとなるのですが、G7thのPerformance Capo一択ですね。これは実によくできています。閉じる方向には簡単に動き、しかし逆方向には動かない。外すときは、ノブをくいっと動かすと、これまた簡単に開いて、すごく楽に扱えるところが気にいっています。また、弦を押える力は自分の手で閉じる、その時に加減ができますから、絞めすぎて音程を狂わせるということも少ない。ローポジションとハイポジションでネックの厚さは違いますが、事前に調整しておく必要もない。ポジションが違おうと、楽器が違おうと、狙いのフレットに合わせて、きゅっと閉じる。それだけでいいという手軽さは、一度使うと手放せなくなるほどに好感触です。

もしこのカポに難点があるとすれば、ちょっと重めというところでしょうか。けれど、私は気になりません。だから、私はスチール弦のギター用にひとつ、そしてガット弦のギター用にも買って、つまりうちにはG7thのカポがふたつあるのです。

あ、もうひとつ難点があった。ちょっと高い。五千円くらいする。けど、理想のカポを探していろいろ試すより、これひとつで決着させる方がずっと安価ともいえるわけで、だから私はカポに関してはもう迷わない。これ一筋。少なくともこれに優るカポが出るまでは、その一筋を貫くでしょう。けど、これに優るものがそうそう出るとも思えないんですよね。だから、一生もののカポ、つまり壊れたりすることがあれば、またこれを買うだろう、そんな風に思っています。

2009年2月10日火曜日

たまのこしかけ

 『たまのこしかけ』のヒロイン、たまこさんは35歳。バブル期入社のOLだなんていってるけど、そいつはちょいと計算おかしくないかい? 35歳ってことは、平成に入ったその頃は高校生。卒業時にはバブルはとっくにはじけていて、世の中不況だなんていっていた。たまこさんは、勤続15年ということで短大卒。おそらくは、卒業のころには景気も上むいているだろうと予想していた口なんじゃないかと思われますが、いやあ現実はきびしい、その予測は見事にはずれ、景気はなおさら冷え込んでいたんです……。いや、別に厳密にそのへんを追求したいわけじゃないんです。実は、私の人生がまさしくそんな感じで、振り返るその時々に、たまこさんの足跡を見付けることもできるんじゃないだろうか、そんな期待があったりしたんですよ。だから、すごく身近な存在、それがたまこさんだと思います。でも、この連載が始まったのは2006年でしたっけ。ということは、本当ならこの人は今38歳くらいなのかな? うん、いい年頃じゃないですか。女性の魅力は、十代には十代の、二十代には二十代の、そして三十代には三十代に特有のものがあって、ええ、たまこさん、充分以上に魅力的ですから! ああいう女性、現実にあったら、きっと人気があるんじゃないかなあ、少なくとも私はとっても好きそうだ、そんな風に思います。

けれど、私はたまこの上司、川越係長が好きです。ああ、あんた女装美少年好きだもんね、って、いや、そういうわけじゃないんです。ミキティは、女装美壮年です。ときめくね! じゃなくて、係長はたまこと同い年。気があうんでしょうか、いつも一緒になにかしてるって印象があって、気を抜くと女を忘れてしまいがちのたまこさんを、きゅっと引き締める、そんな役割りを担っています。

しかし、係長のような、一歩社会に踏み出すと気張っちゃう、けれどちょっと駄目な部分も持っていて、というキャラクターも魅力ですが、趣味が鉄道で、愛読書が時刻表で、そんなちょっとマニアックなお嬢さん。どことなく抜けていて、どことなくゆるくて、けれど実は結構ちゃんとしてるという、そういうキャラクターも魅力的だと思うんです。ええ、鐵分多めの、マニア好みしそうなキャラクターに仕上がっているたまこさん。もちろん私もかなり好きな感じであるのですが、しかしそのたまこさんも、時に妙にシビアな一面を見せることがあって、ああ女性作家の本領発揮であるなあ。わくわくします。

しかし、私は結局どうあがいても男であるから、女性のもろもろはわかんない。だから、たまこさんの現実、そこが駄目だといわれてしまうようなところが描かれれば、いや、そんな君が素敵だ! といい、肌のハリにはなみだをながし、秋に太ればおろおろあるき — 。けど、そんなたまこさんがまぶしくてしかたないんですが。基本、服の下には身体が存在しないかのような、そんな女性が好きな私であるというのに、たまこさんの身体表現、腰から腿にかけての肉置きのかもしだすアトラクション、私はそうした身体というリアリティを憎んでいるはずだというのに、あらがえない。必要以上に魅惑的と感じられるたまこさんでありますが、あの裏表紙など見ると、係長はいったいどうなのか。いらぬこと考えてしまいますが、まあ、三十代、ちょっと体のラインも崩れてなんていいますが、そのちょっと崩れたところなどなかなかだ、そういったら、あんたはおっさんかといわれたことも懐しい。いや、けれど実際、悪くないものであるのです。

そして、たまこさんはその性格がいいんだと思います。無闇に高望みするようなところがない。自分で自分を楽しませる術を知っている。無理に飾るところがなくて自然体。決して怒らず、いつもほがらかに笑っている。そういう人に、私は会いたい。実際、なにに焦るのでもなく、自適に暮らしを楽しんでいるという、その姿、そのスタイルが魅力的であるから、読んで、いいね、と思うんでしょうね。だからやっぱり私は思うんです。花の命は結構長い。枯れたならば、枯れた魅力もあるでしょうが、35歳は枯れるにはまだ早すぎる。そして実際、たまこさんも係長もいきいきとして、その生命のあふれる感じにまたもひかれてしまうのでした。

  • 荻野眞弓『たまのこしかけ』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2009年。
  • 以下続刊

2009年2月9日月曜日

花と泳ぐ

 花と泳ぐ』が完結。儚げな雰囲気、ちょっと陰鬱なモノローグが気になる漫画でした。ヒロインは、幽霊。菊子。いつか彼女との別れがくるのではないか、それも不可避のものとして、不幸と直面させられるのではないか。私はそのことをただただ怖れ、それだけにただただ幸いなものとして描かれる、物語上の現在に救いとなる明るさを求めていたように思います。悲しみを内包しつつ語られた『花と泳ぐ』、果してそのラストに辿りついて、私はどのように思ったのか。実は、私は、その不可避なる悲劇、それを心待ちにしていたのかも知れない。引き裂かれるような別れの情景、慟哭の結末、それを見たいと思っていたのかも知れない。そういうのは、エンディングに漂う甘い空気に、むしろ戸惑いを覚えたからです。甘い — 。けれど、それが仕合せなら、それでいいじゃないか。ええ、それでいいと思います。私だって、幸いな方がいい。しかし、なにがあっても驚かないぞと、とうから決めていた私の覚悟は空振りしたのかもなあ。そう思わされたのも事実。ちょっと苦笑した。幸いにほころぶ気持ちの一方に、やれやれと苦笑いする自分を感じていたのでありました。

しかしその苦笑いも、幸いであるからこそのものであった。そういう風にも思います。その一方で、この仕合せな結末は、当初から予定されていたものなのだろうか。そのようにも思います。数年をかけて、少しずつ、大切に大切に紡がれた、そうした印象さえ深い物語。その語られる時間の長さが、作者をして、菊子、そして幸太に情を移させることとなった? 情の移ったがゆえに、つらい展開を避けさせた? それはわかりません。作者がではなく、読者の不安や怖れる気持ち、それをうけて悲劇は回避されたのか。それもわかりません。ただ、確かなのは、その結末が仕合せと感じさせるものであったこと。それだけです。

しかし、私はこの物語を連載で読んで、そうした幸いに落ち着くことはわかりきっていたというのに、第3巻の内容を読みなおしていた時、その沈み込んでいくような幸太、菊子の感情に、思いのゆきかうその様に、泣きそうになってしまったのでした。それはやはり彼彼女らの物語にひきこまれてしまっていたから、なのでしょうね。私はあらためていうまでもなく、この人たちのことが好きでした。日常の、なにげない出来事に仕合せを感じる、そうした彼らの暮らしの光景に、私もささやかながら幸福を感じていたのかも知れません。しかし彼らの仕合せは、いずれゆらぐだろう。そしてついにゆらいだ。その時、私のうちにあった愛おしさが、たまらないほどにふくらんで、胸が詰まりました。それからの展開は、残念ながらお定まり、そういうべきものであったかも知れません。急ぎすぎ、そういってもいいものであったかも知れません。けれど、そんなことは問題にはなりませんでした。それは、このラストに漕ぎつけるまでに積み重ねられてきた幸いの実感、それが静かながらも豊かに、私とそしてこの物語を包んでいたからだろうと思います。

幸いに終わってなによりでした。いや、別に私は、悲痛に泣き暮れたってよかったのですけどね、それだけの準備はしていましたし。でも、やっぱりつらいのはいやかもね。それも、あの花のほころぶように笑う菊子さん、はにかみながら笑う幸太さん、この人たちが悲しい目にあうのはいやかもね。だから、これでよかったのだろうなあ。そう思って、自分の甘さに苦笑いする。けど、胸いっぱいに広がるさいわい。それが自然と笑みを誘って、ええ、私はこのラストを結構気に入ってるんです。

  • 口八丁ぐりぐら『花と泳ぐ』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 口八丁ぐりぐら『花と泳ぐ』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 口八丁ぐりぐら『花と泳ぐ』第3巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2009年。

2009年2月8日日曜日

そこぬけRPG

収録されてるかなどうかなと思っていたバレンタイン決戦は、3巻に持ち越しみたいですね。いやあ、あれが大変に素晴らしかったので、こりゃもう3巻今から心待ちです。

心待ちにしていた『そこぬけRPG』の第3巻が発売されました。もしかしたら、昨年中に出るのではないかという期待もありましたが、残念ながら今年に持ち越されて、けれど、いつ出ようとも面白いものは面白いからいいんです。そして期待のバレンタイン回は、冒頭二話目に登場して、いや、もう素晴しかったです。藤崎さんが可愛いったら可愛くないったら、もう乙女ですよ、乙女ですね。素直なんだか素直じゃないんだか、微妙によくわからない藤崎55cmさんですが、第3巻では彼女はじめとして、カナさん、ええとヒトミちゃんも含めていいのか? 女性陣の乙女っぷりが次々あらわにされて、ああ、もう、読んでいてブルブルと震えそうなくらいに素晴しい。もちろん私の一押しは藤崎さんで、ああもう、寅屋ばかりがなぜもてる。というか、藤崎さんのドリームアイやヒトミちゃんのドリームフィルターごしに見るせいか、寅屋までもが可愛く見えてきてしまうというのは、ちょっと問題なのではないかと思っています。

しかし、この第3巻、藤崎さんの可愛さやヒトミちゃんの暴走、社長の傍若無人、そのへんも大変に面白いのでありますが、それに加えて働くということ、社会に出て、仕事をするということの厳しさも語られていた巻であった、そのように思います。普段、この漫画に出てくるフィクションのゲーム会社においては、よっぽどまともではあり得ないような無茶がばんばん描かれて、そのあるんだかあるんだかないんだかわからない、そうしたところを楽しむ、そんなつもりでいたというのに、ほら、あの新人研修を発端とするくだりですよ。あれは、身に沁みました。

真面目に働かなきゃクビよん♥

それは確かに冗談めかした台詞ではあるのだけれども、けれど仕事というのは決して楽なものではあり得ないよな、そのように感じさせたのも事実で、技術が何より自分を守る…。なら、一体私は私自身をどのようにして守っていくというのだろう。そのように思わせる、意外に重い、シビアな言葉でありました。

でも結局は、誰もが代替可能なのです。自分がいなければまわらないなんていっているのは、結局その当人が思い込んでるだけっていうのが相場。いなくなったらいなくなったで、仕事でもなんでもまわるんです。そうした経験はこれまでも散々してきて、自分っていったいなんなんだろうって思ったこともあったのですが、だからこそ自分の場、ポジションを確立させる、そのための努力を怠ってはならんのでしょう。残るには残るだけの努力も必要やっちゅー事ね。それはパワーバランスのゲームに参加するということではなく、ましてや情報や技術を抱え込むということでもなく、他の誰でもないあの人がした仕事だ、なら大丈夫だろうという信頼を獲得するということに他ならない。そして、そうした努力の果てに認められる、その喜びが、仕事という、時に辛くしんどい営為に身を投じさせ、心身を支える原動力になるのだ。そうした、まさしく仕事をするということを描く漫画でもあるんですね。

仕事とは、単に金を得るための手段ではないのだ。そうした、時に忘れがちなことを思い出させてくれる、いい漫画であると思います。それも、説教くささなんてまるでなしに、面白さを第一にして、その上に仕事の厳しさとやりがいを伝えてくる。その実感を手渡ししてくれる、そのことが、この漫画自体がよい仕事であることの、この作者がよい仕事とはどのようなものであるかを知っているということの証左となっている、そのように感じています。

  • 佐藤両々『そこぬけRPG』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 佐藤両々『そこぬけRPG』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 佐藤両々『そこぬけRPG』第3巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2009年。
  • 以下続刊

引用

2009年2月7日土曜日

ダマされて巫女

 真田ぽーりんの『ダマされて巫女』が単行本になって、やあ、これは嬉しいことですよ。だいたいにして、私は真田ぽーりんが好きなのです。ヒロインが元気で真っ直ぐなところが気持ちいい。色気がないわけじゃないんだけど、色気よりも元気。間違いなく女の子なんだけれど、不必要に女の子のらしさを担わされているという感じがなくて、さっぱりとして、いい娘さんだなあ、そんな感じが私にはすごくマッチするみたいなんです。そして、その特性は『ダマされて巫女』のヒロイン、安倍晴風においても健在で、元気で真っ直ぐ、いい娘さんだなあ。だもんで、やっぱり好きなのです。ああ、晴風がじゃなくて、いや晴風もなんだけど、漫画が好きなんですよ。

晴風は、歴史の古さを売りとしている神社、平明神社の娘で、巫女をやっている。けれど巫女萌えにならないのは、やっぱり真田ぽーりんの持ち味 — 、元気なヒロイン、気心の知れたお友達、そしてちょっと変な人達のためなんだろうなと思います。変な人、それは他ならぬ晴風の父と祖父。神社の歴史を笠に着ず、新しいものでも積極的に受け入れる。そういったらなんだか美徳みたいですが、そのやることがどうにもこうにもミーハーというか、俗っぽいというか、で、晴風はそうした祖父、父の行状に怒っている。なんのかんのいって、神社のことを思っているいい娘さんじゃないか。なんていって、結局のところそんな晴風が可愛い、そういっていいのかも知れません。

けれど、私は晴風の兄、清明が好きです。ああ、あんた女装美少年好きだもんね、って、いや、そういうわけじゃないんです。清さんは、女装美青年です。ときめくね! じゃなくて、女装して巫女をやっている。その姿に、晴風の友人松島が惚れてしまった。いいぞ、もっとやれ! もりあがるわけです。しかし、本来の姿、男性としての清ちゃん、眼鏡の似合う好青年、その彼に晴風の友人由美ちゃんが参っちゃったわけだ。この微妙に意味不明な恋愛状況。こういうの私は大好きで、しかしそれ以上にいいのが、基本クールな清ちゃん(男の方)が妹晴風のこととなるとちょっとクールじゃなくなってしまう。もう、この家の男どもは、って話になるんだけど、基本困り者のおじいちゃん、お父さんにしても、皆晴風の仕合せを願っている。清さんにしたってそうですよ。そうした気持ちが折に見えるから、なんのかんのいって仲のよいことがわかるから、見ていてほっとする。

ええ、元気で真っ直ぐで気持ちのいい漫画だっていう所以でありますよ。

真田ぽーりんの漫画は、『ウチら陽気なシンデレラ』や『ドボガン天国』なんかがそうなのですが、結構ダイナミックに、ドラマティックに、紆余曲折を演出して、大ゴマでの見せ場で決着させるという、そういうスタイルのものもあるのですが、『ダマされて巫女』は割と淡々と進めていく、そんな印象があって、けれどその淡々の中に、おじいちゃん、お父さんの奇行、兄の女装、晴風の感情のアップダウンが差し挟まれる。じわじわと効いてきますね。そのじわじわとくる面白さ、それもまたよいのであります。

といったようなわけで、バレンタイン兄貴、バーベキュー兄貴、クリスマス晴風あたりは最高でした。由美ちゃんのためにサービスしてみせた清ちゃんには萌えでした。喫茶店の娘、可愛いです。そして、なんのかんのいって晴風も変わり者だと思います。

  • 真田ぽーりん『ダマされて巫女』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2009年。
  • 以下続刊

2009年2月6日金曜日

Meyer Rubber 5MM Alto Saxophone Mouthpiece

まさかジャズ向けのマウスピースを買っちまうというのは予想外でした。

ええ、本当に予想外でした。だいたい、ソプラノサックスを買って、アルトと並行して練習する、それだけでもういっぱいいっぱいだっていってるのに、さらにここでマウスピースを増やして、しかもはじめてのジャズ向けときた。どう考えても時間が足りない、それ以前に体力がもたない。けれど、それでもやってみたかったんです。そのきっかけは、昨日いっていたArturo Schneiderのサクソフォン。アルトサックスなんですが、その音といい表現といい、強く感じ入るところがあって、あこがれですかね。無謀とわかっていながらも、やってみないでは気がすまなかったんです。

買ったのは、アルト用での定番といわれるらしいMeyerのラバーです。5MMという、一番標準的といわれるもの。なにぶん右も左もわからないジャンルのことですから、こういう場合にはみんなが使っているものを使うのが一番いいのです。スタンダードというものを知って、それで満足がいかないようなら、違うものを模索するようにする。それまでは、とにかくスタンダードに馴染むよう努力したほうがいい。そもそも、クラシック向けではバンドーレンのマウスピースを使っている私だって、最初はセルマーのC*使ってたんですよ。でも、それは息の入りの悪い、劣った個体であったそうで、ちょっと運の悪い出会いであったというのが口惜しいところであります。

マウスピースにも個体差がある。だから、実際に吹いて、複数の中から一番いいのを選ぶようにしたいものです。ですが、さっきもいいましたとおり、私にジャズ向けマウスピースのよしあしがわかるとは思えない。だから、割り切って通販で買いました。けど、そこはちゃんとプロ奏者による選定品を買っていて、こういう安心できる買い物というのはいいものです。というか、バンドーレンのマウスピースも選定品を出してくれないものか。Optimum AL3の選定品が出たら、その瞬間に買うけどな。それから、SL3も欲しいな。いやね、その後、楽器店まわってAL3何本あるかとか聞いてみたり、探す努力はしてるんです。けど、一本しかないっていうんだもんなあ。選択の余地なしですよ。この状況で買うというのは、正直気が進みません。本当に、なんとかならないものかなあ。愚痴ばっかりいってます。

購入したMeyer 5MM、もちろん吹いて試してます。リードもちゃんとジャズ向けのものを買って、最初は2 1/2にしようかと思ったけど、JAVAはトラディショナルよりも薄く感じられるそうだから、3番にしました。で、吹いてみて、いやはや、音がでかい。開きが大きいせいでしょうけど、息はどんどん入る。ほっといても鳴る感じなんだけど、逆にいえばまとまらない。それを柔軟といっていいのかどうかはわからないけれど、異質な吹奏感。けど、面白い。息の速度はあげぎみの方がいいのかも。切れのある、エッジの効いた音が出て、それは吹いてる自分が思っている以上にぽんと真っ直ぐ出ているらしく、だから心持ちセーブして吹いた方がよいのかも知れません。

高音の出がいいのは、マウスピースの特性なのか、それともこれが選定品だったからなのか、とにかく楽に出るという印象です。普段吹いているバンドーレンA20よりも高音の当たりはよくて、それはオーバートーン(フラジオとかアルティッシモともいうのだけど、高次倍音を使って、本来の音域以上の音を出す技法)においても同様。自分はこのへんの音域がとにかく苦手だったんだけど、それでもHigh C(実音だとHigh Eb)くらいまで苦労なしに出せて、これには驚きました。

運指、それから音の当て方に慣れれば、充分実用に足るなあ。なんだか楽しくなってきたぞ。

けど、マウスピースをジャズ向けのものにしたら、即ジャズの音が出るかというと、そんなに世の中は甘くないんです。ちゃんと音を作っていかないと、いい音にはなりません。多分、今はなんともいえない中途半端な音を出してることだろうと思います。まずよい音、理想の音をイメージして、吹きながら、現実を理想に擦り合せていかんといけないのですね。それが結構たいへんで、頑張ってるつもりだけどなかなか思うようにはいかないもので、もう投げたくなるんだけど、けどそうしたうまくいかなさも含めて音楽なのだと思います。だから、ジャズにどれだけ時間が割けるかはわからんけど、ちょっとずつでも、理想の音というものを模索していきたいと思います。

でも、一番いい練習方法は、セッションする、なんですよね。私はもっぱらひとりで吹いている、サックスひとりなんだけれど、それじゃ面白くないし、上達も遅いし。だから、なんとかセッションの機会を持ちたい。そんなこと考えています。

  • Meyer Rubber 5MM Alto Saxophone Mouthpiece

引用

2009年2月5日木曜日

Astor Piazzolla

 先日、サックスのCDを買おうと思ってCD店にいったら、なぜかジャンゴ・ラインハルトとアストル・ピアソラを買ってしまっていたという話をしていました。実はその時の話を読んだ友人から、ジャンゴを買っといてといわれましてね、じゃあついでにルイ・アームストロングも買っとくか。さらに増えた。買いすぎです。って、単価が低いからいいんだけど、しかし各10枚セットのボックスです。聴くだけでもえらい大変で、こうしてBlogの更新にかかる時間を利用して聴いていたんですけど、それぞれ五日くらいかかってるんですね。なので、本当に少しずつ聴いて、そして30枚全部聴き終えて、いやあ、いい買い物でありましたよ。特にピアソラは気に入って、寝室に持ち込んでまで聴いてたくらいです。

しかし、なにがそんなに気に入ったのか。それは、やっぱり音楽の質でありましょう。10枚入りのBox、購入額は1680円。そんな安価なシリーズ、正直音質とか期待していなかった。音が出れば充分くらいの気持ちでいたのが、しかし見事に裏切られて、結構いい音していて驚き、そして音楽の魅力は掛け値なし。しびれました。

はじめ、まだジャンゴを聴き終えていなかった頃、持ち歩いているiPodのシャッフルに聴いたことのないピアソラが現われて、あ、10枚組だ。ただ漫然と聴いていただけだというのに、はっと気持ちがとらえられた。そんな鮮烈な印象が記憶に残っています。この体験があったから、きっと期待していたんでしょうね。ジャンゴを聴き終えたら、ピアソラを聴くんだ。そう思って、ようやくその時がきて、聴くアルバムはタイトル順。最初に聴くこととなったAños De Soledad、表題曲であるAños De Soledadが最高でした。サクソフォンのソロが胸に迫って、うわあ、こんな風に吹けたらいいなあ。俄然、サックスの練習に熱が入るようになった。それは実にいい影響であったわけですが、まさかジャズ向けのマウスピースを買っちまうというのは予想外でした。サックスを吹いているのはArturo Schneiderという人で、本来はフルートを吹いている人みたいですね。だからか、調べても全然情報が出てこなくて、YouTubeにフルートを吹いている映像があったりはしたんですが、サックスに関しては皆無。音源に関する情報も出ない。当然どんな楽器使ってるとか、マウスピース等セッティングはどうだとか、そういう情報も出ない。残念ですね。もっと、いろいろな演奏を聴いてみたかったんですが。

この10枚組は、音質のいいディスクがあれば、正直あんまりというものもあって、また同じ曲の同じ録音がだぶって入っていたりもして、けれどあんまり気にしてもしかたがない。そうしたばらつきも含めて楽しんでしまった方がよさそうです。なんてったって安価。とりあえず、まとめてピアソラの音楽を体験できる。その手軽さを価値と思うべきボックスでありましょう。火を吹くかのような情熱を感じさせる曲があれば、Años De SoledadAdiós Noniñoのように、切なさ、サウダーデというのでしょうか、そうした感情に溢れる曲があって、非常に多様。そして、そのどちらもが美しく、心を捉えてはなさない。ああ、ピアソラはやっぱりよいなあ。改めてそう思ったのでありました。

2009年2月4日水曜日

GENERATION XTH -CODE BREAKER-

 GENERATION XTH -CODE BREAKER-、全クエストをクリアしました。シナリオのクリアは昨年末、12月30日に果たしていたのですが、その後、残りのクエストを少しずつやっつけながら進めてきて、しかし一ヶ月かかったんですね。なおクエストの終了は2月1日のこと。出かける直前に半時間ほど余裕ができたから、じゃあちょっと進めておくかと思ったら、あれよあれよと連戦。イベント戦をふたつこなして、なんとか運よく打ち勝って、ああ、よかった。正直な話、運が悪かったら全滅していたかも知れない。そんな剣呑な敵が相手でありました。

さて、全シナリオクリアに要した時間は63時間48分。シナリオクリアに45時間51分かけたから、その差分は17時間57分ですか。時間がないないといってた割に、結構遊んでましたね。瀕死回数は34回から54回にどかんと増えて、いやこれはしかたがない。だって、クリティカルヒットあり、それ以前に一撃死だってあるという、そんな凶悪なゲームなんだもの。ラストダンジョンでマナシールド張って、楽勝とか思ってたら一撃で割られて、一撃で後衛が死亡。えーっ……。目が点になりましたね。正直マナシールドには頼ってられないな。なのでプロヴィデンス要員をイージス要員に逆戻りさせて、しかしそうするとこの人が死にかねない。重ねてマナシールドを張るという、そんな弱気なプレイでありました。

しかし、それだけ用心しても、最後の敵を相手にした時は死亡者続出。オープンパンドラ連呼して、防御力を上げ、呪文効果高め、特殊攻撃封じ、敵スペルさえ防いで対処したのに、それでも死ぬ。その都度、瀕死からの治療をやるのだけど、毎回出てくるとは限らないから、運が悪いと全滅だったでしょうね。一度目の復活では、イージスのために複数回攻撃を受けて死亡した王騎士を、二度目には武術士、戦術士、王騎士、学術士を。もしここで聖術士が欠けたら終わってたでしょうな。いや、魔術士が一度も落ちなかったのが勝因というべきか。

でも、オープンパンドラで勝つのはちょっとずるい気がします。なので、これからさらにレベルあげて、余裕で勝てるようにしたいところですが、しかしそれだけの時間が持てるんだろうか。現在のレベルは、一番高い戦術士が38、一番低い王騎士が35、そこそこ育ってはいるのですが、それだけになかなかレベルがあがらず、まあ時間があればちょっとずつ育てる、その作戦でいこうと思います。

というか、時間があれば、別のゲームもやりたいんだけどなあ。

でも、ゲームなんてものは義務感でやるもんじゃないから、その時に面白いと思えるものを遊ぶのがいいのだと思います。というか、これから先、なおゲームをする余裕がなくなりそうなので、ほんと、弱ったなあ。貧乏で暇がないというのは、実に最低なことであると思います。

2009年2月3日火曜日

天より高く

 後から気付くということは、やはりあるのです。ということで、今日も現津みかみ。扱うものは『天より高く』。実は、この漫画に関しては一旦買わないことを決めていて、よって発売日にはスルー。『まんがタイムきららフォワード』は購読しているし、だから単行本で読まなくってもいいかなって思ったんですね。しかしどうしても我慢できなくなって、遅ればせながら購入を決定。いやね、表紙がね、ちょっと気になったんです。ちょっと不機嫌そうなお嬢様がこちらに視線を投げ掛けていらっしゃる、そうした表紙であるのですが、そのお嬢様が素敵だなって思った。いや、本当。制服なんですけど、黄色いワンピースのその下にいかにも胴がありますよという質感があって、私はそうした身体というリアリティを憎んでいるはずだったというのに、これは確保しておかないと、後々悔やむことにもなりかねないぞ — 、そう思った。かくして、今手元に『天より高く』の1巻があるのです。

いや、しかしこの表紙はいい感じです。可愛いお嬢さんは、ちょっとふくれっ面でも変わらず可愛いのだなあ、と実感させられる表紙です。そして本を開けば、照れているのか、不安がっているのか、そうしたお嬢さんがまた可愛い。と、こんな風に可愛い可愛いと連呼するのも非常にあれなものがあるので、話を変えます。

この漫画が面白いのかどうなのか。正直、私にはまだそれを判断できるだけの材料がないといった感じです。好きか嫌いかでいうと、嫌いじゃないよ。そう答えます。だから、余裕があるなら、躊躇なく買いだった。けど余裕がなかったから、見送ろうとした。その余裕とは、貧困よりもむしろ部屋の収容力でありますね。いやあ、もうすごいことになってますから。このまま調子にのって、本、漫画を買い続けたら、どれくらいで寝るスペースがなくなるだろう。現実的にそのリミットが見えてきて、そうなると気持ちの余裕もなくなってくるから不思議です。そして気持ちに余裕がなくなれば、買おうかなどうしようかなという迷いにおいて、買わないという選択肢が浮上することにもなるというのです。

『天より高く』もまさにそうしたお話であります。超お金持ち学校に通うお嬢様、西園寺遥がひょんなことから身を持ち崩す。そのゆきつく先は、学園唯一なのか? 苦学生の近衛浩之のもと。幼くして親を亡くした彼は、それは絵に描いたような赤貧で、そこへ贅沢のかぎりをつくしてきたお嬢様が転がりこんできた! しかも借金付きで!

私がこの漫画が結構嫌いじゃないというのは、お嬢さんが表情豊かで、またいい感じに人が悪くって、そうしたところが気にいっていたからでしょう。けれど、面白いかどうかまで踏み込まないのは、現時点ではまだ導入段階が過ぎたところといった感じで、動く余地は充分にあるし、膨らみもするだろうけど、正直まだわからん。ゆえに迷った。それに、お嬢さんが転落するきっかけとなった借金、というか損害か、それが2000万ぽっちというのはどうかと。ひろくんや私みたいな庶民ならともかく、お嬢さんのお家なら、個人資産でなんとかなりそうな額じゃなくて? 2000万なら、国家予算どころか、地方自治体級って感じじゃないかと思って、せめて一桁、できれば二桁くらい上だったらよかったのに……。

といった、重箱の隅をつつくようなことはどうでもいいのでありまして、気になるのは今後の展開。ひろくんを取り巻く女性たち、ちょっとしたハーレム環境が加速するのか、それともお嬢さんが苦労を通してその魅力を深めていくことになるのか、そうしたところに期待をしたいと思います。

  • 現津みかみ『天より高く』第1巻 (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ) 東京:芳文社,2009年。
  • 以下続刊

2009年2月2日月曜日

からハニ

  遅れて、後から好きになるということがあります。例えばそれは現津みかみ。私は当初『からハニ』については、なんの興味も持たず、ただただ普通に読んで普通に流していたのでした。それはなぜかといわれれば、しごく単純に、私にアイドルの属性のないためでしょう。もう、驚くほどにない。古くはおニャン子クラブ、最近ならハロー!プロジェクトですか? もう全然興味がありませんでした。だから、女の子で構成されているアイドルユニット、Paste*lとそのマネージャーの日常を描くこの漫画にもそれほどの興味を持つこともなく、けどなにがきっかけだったんだろう、途中からなんか意識して読むようになって、遅ればせながら1巻を足で探すことに……。そして、先日、第2巻が発売されました。これで完結。終わってしまう前に面白さに気付けてよかったです。

しかし、なにが面白かったのか。それは、アイドルの女の子の、アイドルらしくない表情。マネージャーの颯太に愛着を持って、迫るというか甘えるというか、そうした様子の可愛さであり、認めてもらいたくて頑張る姿のいじらしさであり、そして仲間でありライバルでもあるメンバーを出し抜こうとするずるさ、けれどそれが皆でじゃれあってるようにしか見えないという罪のなさ、そうしたところであるのではないかと思っています。

和気あいあいとした雰囲気のなか表現される個々のキャラクター。五人五様にみんな違ってみんないい。颯太に対するアプローチもそうだし、メンバー内での立ち位置、そうした諸々から感じられる違いが個性を際立たせて、結果、彼女らを魅力的に見せることとなったのでしょうね。そして、そうした個性の違いは、漫画における役割りにおいても発揮されて、展開を引っぱるもの、主にいじられるもの、不思議さを売りにするもの、などなど。各自の持ち味が連携しあうことで、漫画の面白さが引き出されていました。そして、その持ち味を違えた誰もに、ちゃんと見せ場となるようなクローズアップが用意されているところなどは、それぞれのファンに対する気配りであるのでしょう。

しかし、そのクローズアップが、特に中盤以降に描かれるものが、いいのですよ。前面にキャラクター性を打ち出して、面白さに直結させるようなものがあったかと思えば、普段のわいわいとしたにぎわいの中では現れてこない、キャラクターの内面描写がしっとりとした感触を残すこともあります。そうした表現を見ては、『からハニ』はキャラクターに主導されるタイプの漫画であるのだなという思いを強くしたものです。けれど人間はこと人にこそ興味を示すようにできています。魅力的と思えるキャラクターがそこにあって、その個性に面白さ、楽しさを感じるというのはむしろ自然だろう。漫画内のキャラクターが別のキャラクターに引かれる、そうした引き合う様子、関係性のダイナミクスに面白みを感じるのも自然だろう。そんな風に思わせる要素がありました。それはつまりは、キャラクターが魅力的にいきいきと描かれていた、そうしたことを重ねていっているに過ぎません。ええ、本当にキャラクターたちが素晴しく輝いている、そうした感覚にあふれた漫画でした。

けど、ちょっと颯太さん、この人の一人勝ちという気もしないでもない。いやね、この漫画における黒一点。年若いアイドルにしたわれる、そうした役割りを担う彼は、いわば読者の代理人であるのだろうなあ。そんなことをいうのは野暮だってわかってるんだけど、けどいわずにはおられませんでした。う、うらやましくなんてないんだからねっ!

なお、私はみかちゅーが好きでした。

  • 現津みかみ『からハニ』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 現津みかみ『からハニ』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2009年。

2009年2月1日日曜日

0からはじめましょう!

 0からはじめましょう!』がはじまったとき、こんな風に話が進むだなんて思ってもいませんでした。事故にあった、それをきっかけに魂が抜け出てしまった少女、東屋ことりをヒロインとする生霊コメディ。片思いしていた相手のうちに転がりこんで、ばたばたとしながらもどこか楽しい幽霊ライフ(?)。そんな明るくさっぱりとした雰囲気が持ち味の漫画であるのですが、しかしラストに向けて話が動き出してからは素晴しかったの一言です。本来の持ち味は健在、湿っぽさに傾くことはまったくなしに、霊のままでいるということがどういうことか、きれいに描き出して、それは心の奥に届く、そんな深ささえ感じさせました。霊のままでいるということ、その意味は、反転してすなわち生きるということに直結して、本当にこんな方向に向かうだなんて予想もしていませんでした。予想もしていなかっただけに、心理テストの回、突然の反転にドキリとしました。

今年の頭、ちょうど先月になりますか、『ベルリン・天使の詩』を取り上げて、生きるということの意味、その真実味が深くよく表されている映画であるといっていました。より完全であろうはずの天使が、所詮有限に過ぎない人の生に憧れを持つ。そうした映画であるのですが、その時に語られていたこと、人生の瀬に降り、今、まさに生きているという実感をその身にうけることの素晴しさ — 。

『0からはじめましょう!』、心理テストの回、私がドキリとしたのは、いきなりのシリアスさ、それだけではなく、ことりに対してなされた問いかけ、その意味するところがすっと飲み込めたからであったのだろうと思います。それは問いに過ぎず、ことりの答えは描かれなかった。けれどこの漫画を読んできた人間には、容易にその意味するところはわかったはず。それは、ただことりの気持ちが伝わったというだけではなく、生きるということがどれほどに素晴しいことであるか。そうした根源に触れる深いメッセージがあったと思っています。

ああ、生きるということ。表立って、そうしたことをいいたてるような漫画ではありませんでした。けれど、確かな手応えの残る、そんなラストが心地よく、そして感動的でした。その感動とは、押し付けやなんかとは無縁の、しみじみと湧き上がるようなもの。今、こうして命があって、なにかを感じとっているというそのことが、すなわち生きるということであるのだと思わせる、そうした素敵な読後感が嬉しかった。生きるということは、嬉しく思う気持ち、楽しく思う気持ち、今まさに感じとっているそれを積み重ねていくという営為なのですね。確かに、嬉しいばかりじゃない。楽しくないこと、辛いこと、いやなこともあるのが人生だけど、そうしたことごとにおびえるばかりでは、人生の喜びにもまた出会うことはできない。だから、乗り越えてごらんよ。世界は、人生は、君のその頑張りに応えてくれるに違いないよ。そう、ささやかれたような気持ちがします。

『0からはじめましょう!』はわずか2巻。ちいさな物語ではありましたが、しかし傑作であったなあ、そう思っています。基本はコメディタッチ、あくまでも面白さ、楽しさが信条、そうした漫画でありますが、面白さの中に真実がある。それはさりげなく、けれどしんしんと身に染みて、素晴しかった。そうした思いは、この漫画に出てくる人たち、彼らがさっぱりとして気持ちのいい、愛すべき人であったから。身近に感じ、親身に思いもする、そんな人たちの気持ちが伝わるようであったからであろうかと思います。そして、そうした感情もまた、物語を追うなかで積み上げられていった、そのようなものであるのでしょうね。

しかし、いい話でした。まとめ方もうまかった、特に、最後の最後、ご都合主義となりかねないところを見事に乗り越えた、あの展開は見事です。そして、単行本描き下ろし、最後のメッセージ、よかった。むしろこちらこそ、お礼をいいたい。そんな気持ちにさえなったのは、この作者の人柄、優しさなのか真摯さなのか、その気持ちのよさのためであろうと思います。ええ、いい漫画でした。読めて本当によかった。ありがとうございました。私はあなたの漫画が大好きです。