2007年10月22日月曜日

りんごの唄

 こととね本家で展開しようとしていた表紙で買ったシリーズ、その三は先日取り上げました『フスマランド4.5』、その四は少し毛色が変わって『R. O. D.』。それにしても眼鏡優位だなあ(実は『おつきさまのかえりみち』も眼鏡でした)、というのはおいといて、その二、その一は一体なんだったのでしょう。本来ならその一、その二があってはじめてその三以降が続くと思うんですが、当時私は書きたいもの、書きやすいものを優先して、最初の二冊を後回しにしたのです。というわけで、今日はその二を取り上げたいと思います。その二は、 — 加賀美ふみをの『りんごの唄』であります。

表紙で買ったシリーズこちらを見つめる表紙シリーズでもあるといってました。そう、確かに『りんごの唄』もそうした表紙であると認識していたんですが、久方ぶりに引っ張り出してきたら、ちょっと記憶が違っていました。真っ赤な表紙、こちらを向く女の子の顔が大きくあしらわれている、ここまでは記憶どおりだったのですが、目を閉じているんですよね。三つ編みの少女、マフラーを巻き両の掌を頬にあてている。赤という色がぱっと注意をひくものの、少女の表情はあたかも時が止まったように感じさせるような静けさを帯びていて、力のある表紙でした。

『りんごの唄』は成年コミックです。そのためなのか、恒例の冒頭立ち読み可の措置がとられておらず、購入の時点では内容を伺い知ることはできませんでした。その時、私の得ていた情報はふたつ。ひとつは、この作者が私の講読する四コマ誌に描いていたこと。おばあちゃん子の女の子が主人公のその漫画は、すごく穏やかで、チャーミングで、好きになれそうな空気を持っていました。そしてもうひとつの情報というのは、帯に書かれた惹句でした。名作連載『りんごの唄』復活!!、そしてストーリーテーラー・加賀美ふみをのこの連載作品は、今でもとても哀しくて、今でもとても素敵です。これ読んで、ちょっと悲しい恋愛ものなのかな、まああの四コマの感じなら大丈夫だろうと判断したんです。ですが私は加賀美ふみををちっとも知ってはいなかった。ええ、本当にそう思います。

はっきりいいますと、しくじったって思ったんです。悲しいとあるから、ちょっとは悲しいんだろう、あるいはそれ以上かもと、それなりに覚悟して買ったんですが、予測を軽く上回りました。悲しい話であること、それは確かで、またある種仕合せにたどり着くことも実際なんですが、それにしても陰惨すぎやしないか? 悲しいどころじゃない。どんだけの不幸なんだと戸惑いを隠せず、正直通読するのもやっとでした。

痛ましいのは、設定からも話の展開からも仕方がないんです。ヒロイン、赤井りんご、エキセントリックでどこか捨て鉢な女。主人公高木はそんな赤井に危なさを感じつつも、関係を重ねるうちにだんだんと魅かれていって、しかし赤井の真実を知って背を向けてしまう。高木にとって赤井とはなんだったのか、赤井にとって高木とは? 彼らはお互いに代替可能な存在に過ぎないのか、それともかけがえのないものであったのか、この漫画はただその一点を確かめようとしていたのだと思います。自分を無二の存在として受け止めて欲しいと願い、またそのように誰かを抱き留めたいと、迷って、もがいて、苦しんで、そしてたどり着いた果て — 。あの明確に決着を描かず、余韻を残して閉じられたラストには、語る以上に雄弁な情感が広がっていたと私ははっきり肯って、そしてこの漫画に出会えたことを苦く思うことはあっても、買って損をしたと思ったことはただの一度もなかったと、ここに明確に書きつけておきたいと思います。

  • 加賀美ふみを『りんごの唄』(PEACEコミックス) 東京:平和出版,2003年。

引用

  • 加賀美ふみを『りんごの唄』(東京:平和出版,2003年),帯。

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