ずっと楽しみにしてきました漫画『ちびでびっ!』が終わってしまいまして、最終巻もめでたく発行されまして、なんかふと一息をついた、そんな気分になってしまっています。いやね、本当になにを書いたものかわからない。好きだったんですよ。『まんがタイムきららキャラット』に連載されていた漫画でした。ものごとはすべてひとつところには留まらないもので、それは漫画雑誌においても同様、刻々とその時々の時代の好みをうけて変化していくものでありますが、そうしたなか、以前の雰囲気を残す漫画が終わり、また終わり、その都度私はふうっと息をついてきたように思います。そして『ちびでびっ!』。時代が変わっていきます。もちろん今の時代を悲しむつもりはなくて、今の誌面、連載も好きなのだけれど、あの頃の誌面も好きだった。その好きだったという時代には、『ちびでびっ!』が確かにあったのですね。
私がこの漫画を好きだったのは、ヒロインのいい人っぷり、そしてまわりをかためる人たちの可愛くもひどい性格。それらがうまくかみあって、ひどくなりすぎず、けれど甘くなりすぎず、そのバランスが私の好みにあっていたからなのだと思うのです。よくも悪くも、みんな自由な気風を持っていて、その自由さが好きでした。それぞれに好きななにか、誰かがあって、その前ではすごく従順だったり健気に振る舞ったりしているのに、いざ場を離れるとすごく普通の対応だったりする、その妙にシビアというかクールというか、そういうところも好きでした。ヒロインリョウと、リリィに恋い焦がれながらもどうにも相手にされていない店長のコンビ、その侘しさあふれる掛け合いなんか最高に好きでしたよ。…あったんだ!
から…まさか君も!
の流れなんて、きっと一生忘れない。恋愛の思惑の、いろいろと裏で盛り上がったりしているところが、そしてその思いがむくわれることはきっとないんだろうなというところが、好きでした。いや、むくわれない恋が好きなわけじゃないんです。でも、この漫画におけるむくわれない恋に関しては、なんだかいいなと思えるところが多くって、それは何人かいる恋の主体、その人たちのタフなところ、そうした性質ゆえであったのかも知れません。
性質、つまりはキャラクター、その個性が好きだった、ということなんでしょうね。嫉妬深い人があっても、というか多かったよな、その嫉妬深さを不快と思ったことはありませんでした。ひどい人がいても、これも多かったよな、むしろそのひどさは魅力であったと思っています。リリィの店長にたいする扱いなどは、もう下僕と明言するほどであったというのに、その利用するための手口さえ魅力。宿題をその日のうちに終わらせるにはどういえばいいか、もうひとり手伝いを増やすにはどういえばいいか、その言動のうまさ。見事だったと思っています。けれど、そのうまさ、確かさは、ひどく身勝手であるにもかかわらず、やっぱり魅力でした。下手に描けば不愉快と感じさせてしまいかねない、そうした振る舞いであるのに、そうとは思わせない。面白かったし、むしろそうでなけりゃと思うほど。こうした感想に、この漫画のよさ、あるいは私との相性が感じとれる、そんな風に思うのですね。
そして、ラストについても触れておきたい。この漫画のラスト、一旦別れを描いて、そして帰ってくる。そこで描かれなかったプロセス。それが実にらしくてよかったのでした。そのらしさとは、登場人物、ここではリリィのタフさ、まっすぐで自由な彼女の気風でありましょう。自分の思いを通じさせるために、現実的な解法を持ち出して、解決してしまった。最後の数回をついやして、別れの光景をこれでもかと描いて、それは感情の機微の溢れんばかりの豊かさ。そうだ、私はこの人の描く感情の揺れ動きが好きなんだ。そう実感させるものがありました。別れは言わぬ またなリョー!
不意の穏やかな笑顔にどきりとさせられて、ああいい漫画だった、そう思った。そして、次のページの急展開。最初はそのあんまりさに苦笑して、けれどそれはあんまりなんかじゃないのですね。そうなるように働きかけた誰かがあって、それは数回をかけて積み上げられた感情を、さらに積み上げ、そして乗り越えるかのような、そういうものであったのですね。タフで、まっすぐで、自由で、気ままで、身勝手で、そして愛おしくさえ思わせるような心の揺れがあって、そうした気持ちいっぱいがたしかに手渡されたと感じられて、ああ、やっぱり好きだな — 。
私にとって『ちびでびっ!』は、そうした漫画であったのでした。
- 寺本薫『ちびでびっ!』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2006年。
- 寺本薫『ちびでびっ!』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
- 寺本薫『ちびでびっ!』第3巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2009年。
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