『えきすとら以蔵』は役者の漫画。撮影の現場、役者としての以蔵が描かれ、そして妻小冬との生活、家庭人としての以蔵が描かれて、それが面白くてですね、実にいいんです。売れない役者です。だからチョイ役、斬られ役とか死人の役とか、台詞なんてまったくといっていいほどないし、カットされてるのもたびたびだし、だからタイトルも『えきすとら以蔵』。でも、そうした、決して望ましいとは思えない生活、稼ぎも薄いし、生活を支えるためにバイトで食い繋いだりしましてね、そんな生活を送っているというのに、なんだか楽しそうに思えてしまうのは、以蔵が自分の夢をぶれることなく追っているからなのでしょう。けれどそれだけじゃない。それ以上に大きいと感じられるもの、それは、以蔵を理解し側にいてくれる人がいる、小冬ですね、そして以蔵をあたたかく見守っている大家さんはじめ町の人があって、そして役者のみながあって、彼は愛されているなあということが伝わってくる、その温度がとてもよいのだと思っています。
しかし、長く続いている連載です。私はいったいいつごろから読んでいたんだろう。初出一覧を見れば、始まったのは2001年の6月。私が『えきすとら以蔵』の連載されている雑誌、『まんがタイムオリジナル』の購読を始めたのはそれよりちょっと前だと思うので、だから多分最初から読んでるのだと思います。けれど、最初のころの話はほとんど覚えておらず、それが途中からじわじわと、あ、この話覚えている、などと思うようになってくるのは、そのぐらいの時期から、この漫画がたくさんあるなかのひとつではなく、まぎれもない『えきすとら以蔵』として認知されるようになった、ということだと思うのですね。
地味な漫画だと思います。もとより地味好みの私でありますが、その私が見てもなお地味だと思う。登場人物は多いのだけど、レギュラーといえる人間は以蔵、小冬、途中から蝶子、最近では研修生。あとは監督とか御大とか社長とか、申し訳ないけれど、ぱっとしないといえばぱっとしない人たち。主役はおっさん、ヒロインは妊婦。けど、この一見地味な漫画が、読んでいるうちに特別なものになっていくんですね。それは、顔も名前も売れていない役者、以蔵が、そのまわりの人からは認められている、愛されている、そんな感覚に近いんだと思います。よく知れば、そのよさ、魅力がわかる。伝わるものがある、豊かに表現されているものがある。そうした漫画であるのです。
私がこの漫画を好きなのは、漫画としてよくできている、ということもあるのだと思うんですが、それ以上に、以蔵になにか共感するところがあるからなのだと思います。私は音楽をやっていますが、全然仕事がないので、違う仕事で生活を繋いでいます。こんなことしてるからか、同じような境遇にある友人知人も多いんです。音楽やっている人間はたくさんいる。役者もいます、最近連絡とってないけど、舞台中心の人とか、あとは芸能事務所に所属して、エキストラをやってる人とか。本業で食っていけている人、とうてい食っていけない人、いろいろいて、けれどみんな自分のやりたいことがあって、そのやりたいことをあきらめなかった人なんですね。私は一度あきらめたから、みんなより何歩も遅れているのだけれども、好きなことにあきらめがつかない人、そうした人のがんばって食い下がっているところ、なんかね、いろいろ思っちゃうところがあるのよさ。
そうした気持ちが、以蔵を見ていても同じように浮んできて、もう、じんとする。ああ、頑張ってと、そうした気持ちになって、そして自分も頑張ろうって思えてくる。それはひとえに、この以蔵というキャラクターの確かさのためなんだろうなって思って、人好きのする性格、そしてむくわれないってところ。なんだか、放っておけない感じで、しかしそれは哀れみやなんかではなくって、目指す先は違うけれど、一緒に頑張る仲間であるというような、そんな近しさ。本当に、いいキャラクターであると思い、そして気付けば、漫画の中の以蔵を支える人たち、見守っている人たちに連なっているかのような思いがするのですね。
- こだま学『えきすとら以蔵』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2009年。
- 以下続刊
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