『なのはなフラワーズ』がはじまったとき、なんといったものか、正直よくわからんものがあったんでしたっけ。まず、印象は悪かったですね。高中さんのせいです。いや、眼鏡に好かれてるからじゃない。この人の、青ちゃん、あ、眼鏡の彼女です、と会うたびに変わる言動が耐えられないと思ったんでした。私は、過剰に一貫性を求める、そんな性質があるのですが、きっとそのためでしょうね。それと、口では二人でだなんていいながら、対話を成立させない、そんな一方的なしゃべり方、それにもいらいらしていました。でも、読んでいくうちに、そうした嫌な印象は消えていって、どこかノスタルジックななのはな荘、住民たちの交流するその様子に心ひかれて、楽しみにするようになっていたのですね。
第三話の時点で、その傾向はすでに見えていました。第四話では、もうほとんど陥落寸前でした。そして第五話で完全に落ちて、それからはもうひたひたに漬かるようにして、読んで、読んで、たゆたって、いい漫画だなあと思って。そう思うようになったのは、青ちゃんをはじめとするなのはな荘の面々の、個性的で、どこかに孤独やさみしさを抱えながらも、そうした感情に潰されたりしなさそうなところがいいなって思ったからなんだと思うんです。最初は、微妙に人と距離をとっていた青ちゃんも、だんだんになのはな荘のみなに溶け込んでいって、そして助けられたり、助けたり、それも別に大げさな話ではなくて、ちょっとたくさん荷物を持っている人がいたら、大丈夫、ひとつ持つよって、そんな気安さで気持ちを軽くしてあげようっていうね、そうした感じがいいじゃありませんか。
この漫画に感じられる、ノスタルジックな感覚というのは、もしかしたらこんなだったかもなって思う、昭和の空気なのかも知れないと思っています。人と人の距離が、今よりずっと近かった昔。わずらわしいこともあった、嫌なこともあったけれど、心が弱って痩せ細った時には、ずいぶんと助けられたこともあったろう。そんな、昔の人間関係の、理想化されたあたたかみがあるように感じられて、それはなんとはなしにさみしい、そんな今だからこそ求めてしまうものであるのかも知れないなんて思っています。けれどそれは、もうなくなってしまったものをただ懐しがっているのではなくて、かつて大切にしていたもの、それは失ってしまったけれど、そのかわりに新しく得るものもあったでしょう。そうしたメッセージも込められているようで、ええ、だからこそ好きになったのだと思います。懐しい雰囲気に、今という時代が溶け込んでいる、そうしたところがよかったのだと思います。
そして、第1巻は、とてもきりのいいところで終わって、漫画家青ちゃんと編集高中さんの二人でから始まった物語に、二人で一旦の決着を付けて、しかしその情景の切なさったらなかった。高中さんに振り回されてきた青ちゃんの胸中が一気にかたちとなった、あの夜の情景は美しくて、切なくて、胸しめつけるようでした。ふいに訪れたシリアスは冗談めかしたものいいにごまかされて、けれどそうだったからこそいっそう胸が一杯になった。冗談に紛れさせなければならなかったほどに、重い告白だったんだ。それは酒の力を借りたもので、けれどその思いの本当であったこともきちんとかたちにして描かれて、ああもう煮え切らないやつらめ。でも、その青臭くて、場慣れしていないやりとりの稚拙であるところに、飾り気のないそのままの心情があふれかえるようで、たまらんかった。言い切りたい。けれど、言い切れない。そのはざまに心が揺れ動いて、ふるえているんだ。怖れながら、けれど手探りするようにして、その思いをはきださないではいられない、そうした心のたかぶる様子には、もらい泣きさせるような、心を揺さぶる力がありました。
- 青木俊直『なのはなフラワーズ』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2009年。
- 以下続刊
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