2006年10月9日月曜日

カレーライス

 前にもいっていましたが、私は今、デアゴスティーニの隔週誌『青春の歌』を購読しているのですが、こうしたもののいいところはというと、さしたる努力もなしにざっとその時代の空気を知ることができるということだろうかと思います。だってね、一口にフォークソングといってもその広がりは半端ではなく、有名どころのごく一部を聴くだけだったらまだしも、もうちょっと詳しく知りたいなあなんて思ったら大変なことになります。まずどこから手を付けていいかわからない。とにかく買って聴いて買って聴いての繰り返しになるのかと思われますが、こういうのはかなり余裕がないと難しいのではないかと思います。思い返せば私は、クラシック音楽をこういう風なやりかたで聴いてきて、けどそれでも全然網羅的なんかじゃない。ごく一部にとどまっているのですから、やっぱり入門用に有名どころをチョイスしてくれるシリーズというのは大切だなと思ったりなんかいたします。

そんな具合に出会ったのが遠藤賢司の『カレーライス』でありまして、実際これは、私が自力でフォークを開拓していったとしたら、まずもって出会うことのなかった曲なのではないかと思います。まったくもって私の基本的嗜好と違っていて、でも聴いてみたらびっくり。すごいよね。なんかすごく独特の世界にできあがっていて、何風? 私にはそのへんまったくわからんのですが、けど一二度聴けば癖になる。そういう中毒性に満ちた歌だと思います。

基本的にはシンプルな繰り返し。ちょっと民族音楽風。歌われているのは日本の普通の暮らしの風景で、そこに三島由紀夫割腹のニュースなんてのが飛び込んでくるのですが、けど大仰に捉えることなく、本当に日常の一コマに紛れさせていくような自然さ、なんかすごいなあ。こんな歌は私には作れないし、こんな風に歌うのもちょっと無理そう。まったくもって私とはかけ離れたセンスでできていて、それでもってちょっと憧れたりなんかして、今後余裕が出来たらこの遠藤賢司という人を聴いていってみようだなんて思っている次第です。

こういう歌を聴くと、日本の歌の世界というのは豊かであるなと実感します。特にこの曲の紹介された『青春の歌』第14号を聴いた時にはそう思いました。率直なメッセージソングがあれば、ちょっと屈折したような独特の世界も提示され、そしてもちろんフォークらしいまっすぐな叙情もあって、こうした音楽が同時代に同ジャンルに溢れていたというのは、ちょっとうらやましいことだなと思うんです。いや、今が悪いといいたいわけではないんです。今も、将来振り返ることがあれば、同様に豊かな層が見いだされるかも知れません。けど、現時点においては私は旧きを知りたい。いや、旧きじゃないですね。これら音楽は今なお死んではいないと思います。

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