2015年1月31日土曜日

みことの一手!

 『みことの一手!』には主要なキャラが四人出てきますが、自分が一番気に入ってるのは、楠木みことです。地味な子、内気で弱気で引っ込み思案で、ここぞという時に押せない子。本当は強いのに、気持ちで既に負けてるせいで勝てない。幼なじみでライバルの鷺宮蛍。彼女がいうには、いつも言い訳を用意して打ってるから、とのことですが、ほんと、どうにも自信がないようなんですね。小さな時分から囲碁に触れているのに、クラスの友達に碁をやってるってことさえいえない。蛍に負けて、囲碁が嫌になった、そんなこといいながらも気付けば囲碁の情報を集めてしまっているくらい囲碁のことが好きなのに、囲碁のこと胸はっていえない。そんなみことの囲碁に向き合う姿勢、その紆余曲折が、なんだか他人事みたいに思えなくって、ああ、応援したい、しないではおられない。そんな気持ちで読んだのでした。

しかし不思議な漫画でした。部活もの。囲碁ものってめずらしい。けど、いまや部活ものの題材は、あらゆるものがピックアップされるから、囲碁だから特にめずらしい、ということもないんですね。じゃあなにが不思議だったのかというと、その描きようだった。そう思っています。だってね、基本は女の子が部活で囲碁打つ漫画。けれど、漫画を漫画と外部から見つめる、そんな視点、メタってやつですね、がしばしば挿入されたり、そして奇妙な時間の流れが生じたり。三劫、将棋でいうところの千日手、これをモチーフにして、みことと蛍の延々繰り返される勝負が描かれた時は、すごいなと、本当に驚いて、感心して、舌を巻いたものでした。そして、その三劫のエピソードも、ただ三劫を仕掛けとして繰り返される時間を描くだけではなく、積み重ねられる勝負の中、みことが不利な状況に食い下がり、ついに引き分けに持込む。ええ、そこにもみことの歩みがあったのですね。

強いけど勝てないみこと。まだまだ強くないせいで勝てない早河葵。そして初心者で、当然勝てない白河文香。皆それぞれにステージが違っていて、それぞれに噛み締めるものがある。全力じゃないから悔しくなかった、そういっていたみことが感じた悔しさってなんだったのか。ただ打つだけで楽しかった、そんな葵の気持ちの変化も、自分が大会に参加できるということが嬉しくてたまらなかった文香の、自分の至らなさを知ることも、そのどれもがひしひしと胸に語りかけるものがあってよかったのですね。参加できるだけで嬉しい、けれど右も左もわからないような自分は嫌だ。打つだけで楽しい。けれど、勝てないまでもいい勝負ができるようになりたい。初心者、中級者、それぞれのステージで見える風景が違って、ステップアップしたい自分の課題も違ってる、そうしたことなんだろうなって思った。そして、そうした思いのゆきつく先に、みことの課題、記譜に自分の手を残す、みことの一手が現れるのですね。

はっしと打たれた思いがしましたよ。ああ、みことの一手。対局において、多様な可能性の中から、自分の最善手を見出し打つ。それがすなわち自己実現となり、その最善手の交換こそが対局者との対話である。こうしたことは、漫画の序盤からいわれていたのだけれど、こうしてみことと蛍の物語を通じ辿り着いた結論、あのラストに描かれた情景を見れば、その対話という言葉の重みがまったく違っていると気付くんですね。より内面に深く響き、対話という言葉だけでは表せない、そんな広ささえもあると思わされて、ああ、豊かだなあ。蛍の仕掛ける大斜定石、受けるみことの成長にほろりと涙さえ誘われて、みことは、ついに囲碁を通じて、自分の自分らしくあれる境地に立ったのだ。そして蛍は、この時のくるのを待っていたのだろう。そうしたふたりの友情も、また豊かであったと思うのです。

  • 宇城はやひろ『みことの一手!』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2015年。

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