昔、勇者シリーズというアニメシリーズがあって、私はとにかく好きで楽しみに見ていたものでした。私たち人間同様に喜怒哀楽を持ったロボットたちが、人間の世界を守るために戦うという形式が基本にあって、そしてそれぞれがそれぞれのテーマを持っています。『ジェイデッカー』は心でしたね。人が人と出会って目覚める心。そうした、デリケートで口にするとどこか気恥ずかしくなるようなものを真っ正面から扱うことのできるアニメという媒体は、非常に大切なものかも知れないなと思える。そう思えるのも、『勇者警察ジェイデッカー』が、難しいテーマに取り組んで、見事に描いてみせたからに他なりません。
『ジェイデッカー』のDVDが箱で発売されているのを知って、ああ、買えるものなら欲しいなあと思うのはいつものことで、でもいろいろ物入りだから買えず、ちょっと残念に思います。
『ジェイデッカー』は、勇者シリーズとしては異色だったかも知れません。このシリーズでは、基本形としてヒーローロボが人間の少年と特別な関係を結ぶという構図があるのですが、大抵はメインのロボットと主役の少年の関係に注力されて、他のロボットがクローズアップされることはあまりありません。ですが、『ジェイデッカー』は違ったのですね。出てくるロボットほぼすべてに特別な相手がいるのです。子供に限らず、大人の男女が関わってきたりする。あるいはロボット同士の関係が描かれたりもする。それも単純に仲が良いという描かれかたではなく、恋愛感情に似たものを扱ってみたり、あるいは意識の死という重いテーマを扱ってみたり、こうした多様な関係から多彩な感情、思いを浮かび上がらせようというのが『ジェイデッカー』の趣旨であったのだろうと思います。
しかし、その趣旨が見事に作品として昇華されているというのは特筆すべきことでありまして、勇者シリーズ侮りがたし、本当に馬鹿にできない作品に仕上がっています。けれど、私は当初、『ジェイデッカー』に関しては疑問視していて、というのは例えば名前です。ジェイデッカーのジェイというのは、Jリーグが発足してなんにでもJをくっつける風潮があったからこそのものでしょう。他にも、サッカーボールをけってるロボットも出ました。また当時流行っていた忍者にかこつけたロボットも出ました。でもって、あの総監です。なんか、はやりに迎合して軽い感じよね、みたいな感じで見ていた節があったのでした。
でも、思いっきり裏切られました。ときにあらわれるナイーブな表現の妙味もあって、これが子供向けのロボットものであるということを忘れさせるような世界を作り出して、そして途中から重い重い。人間に作られた彼らロボットのAIにおいて心というのは一体なんなのか。この心の存在するということはどういうことなのか。普通ならお約束ですまされてしまうような部分にあえてスポットライトを当て、心とはなんなのだろうという私たち人間の持つ根源的な問に向き合ったのです。
そして、ひとつの答えをしっかりと手にしたという確かな感触をもって物語が閉じられました。勇者シリーズという、心を持ったロボットの物語のコアとなる個所にチャレンジして、その厄介な問題を受け止め持て余すことがなかった。ロボットものという枠組みを越えて、人間の、心を持ったものたちの物語として結実した —。
掛け値なしに名作であると思います。
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