ゲーム『ジオニックフロント』のノベライズ、読了です。地球における連邦軍とジオン公国軍の前線を描いて、地味ながら名作とうたわれたゲームのノベライズは、やはり派手さはなく、けれど地味ながら良作。ジオン公国が攻勢から守勢に転じるきっかけとなったオデッサを第1巻のクライマックスに据え、以後は撤退戦に次ぐ撤退戦。ゲームにおいても、またノベルにおいてもなお、敗退するものの心中には諦めと希望が渦巻いて、しかし果敢に戦闘に望む兵どもの意気やよし。この負けゆく者共に共感するというのは、ジオン公国ファンのすべてが共有する感情ではないかと思います。
ガンダムに限らずメカものロボットもののライトノベルズにおいては、新兵器が見どころになることも多々あって、例えば『機動戦士ガンダム戦記』ではドムやジム・スナイパーII、ズゴックE型が、そうした新兵器として燦然と輝いていました。
しかし『ジオニックフロント』では、徹頭徹尾ザクです。いや、確かにグフも配備され、ドムの編入もありましたが、あくまでも前線における主役はザク。ザクほどジオンらしいモビルスーツもないというのが私の実感でありますが、そうした実感が濃密に表されたものも珍しい。ノベル『ジオニックフロント』は、ゲーム以上にザクを重く見た、ジオンファンのためのノベルであるといわずにはおられません。
ザクというのは、微妙な位置にあるんですね。『ジオニックフロント』をプレイしたことのある人、あるいは『ギレンの野望』を遊んだことのある人なら感じたのではないかと思うのですが、ザクは強いのです。ザクとはかなり強力な兵器で、その強さが宇宙世紀における戦争の質を変えたのだと実感するほど強い。ですが、ザクの天下はあくまで敵方にモビルスーツが出るまでで、ガンダムが出現し、ジムが配備されてからはむしろ見劣りするようになり、しかしそのザクで戦い続けるという状況にロマンがあるのかも知れない。私はそう思います。
『ジオニックフロント』は、伸びるもの、威を存分に振るったものが、後から来たものに追われ、落ちてゆくという浮沈の様を描いているのですね。すべてのものにとって必然である栄枯盛衰のことわりが、ジオン公国でありザクでありに仮託されて、しかし凋落に身を任せるのではなく、ぎりぎりのその時まで落ちまい落ちまいと踏みとどまろうと苦闘する、その意思が恰好いいのでしょう。
たとえ負け戦に思える状況であっても、投げ出さない、捨て鉢にならない、最後の最後までベストを尽くす。これは若者に向ける最高のメッセージではないかと思います。気持ちのいい読後感の得られる良作でありました。
- 林譲治『ZEONIC FRONT — 機動戦士ガンダム0079』第1巻 富野由悠季,矢立肇原作 (角川スニーカー文庫) 東京:角川書店,2001年。
- 林譲治『ZEONIC FRONT — 機動戦士ガンダム0079』第2巻 富野由悠季,矢立肇原作 (角川スニーカー文庫) 東京:角川書店,2001年。
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