2005年8月14日日曜日

火垂るの墓

 『火垂るの墓』が公開されたのは1988年の四月ということですから、奇しくも私は主人公の清太と同じ十四歳。ですが残念ながら私は映画を見にいかず、テレビ放映されるのを待ったのでした。『火垂るの墓』のテレビ初放映は89年の八月です。はたして私は、ビデオテープを用意して録画しながら見て、ですがそのビデオはその後一度たりとも再生されていません。

そのテレビ放映の後、つまり二学期に入ってから、社会科の教師が夏休みに見た『火垂るの墓』について触れたその内容が印象的でした。いい映画だと思ったんだけど、もう二度と見られない。四歳の節子と自分の子供が重なって見えて、つらくてつらくて、たまらなかった。

教師のこうした感想は多くの人が持ったものに同様で、あるいは私にしても同じだったかも知れません。

せっかく録ったビデオも見ず、テレビ放送も避けるようにしてこの映画を見ないようにした私ですが、それでもどうしても目に留まってしまうもので、いったん見てしまえば最後まで見てしまうのが常ですから、何度かくらいは通しで見ています。ですが、私にはあまりにその映画の内容が重すぎるためか、胸がいっぱいになって感想らしい感想が残らないのです。

不思議なもので、野坂昭如の本で読んだときの方が、いろいろと思いを巡らす余地があるのです。ですが映画だとそんな余裕はなく、圧倒的な表現の前に打ちひしがれてしまっているといおうか、言葉にする以前の思うところですでに立ち尽くすような有り様です。

私がこの映画を思いだしてなにかをいおうとすれば、決まってまだわずかばかり平穏の残っていた頃のことで、ほら、清太がオルガンを使って節子に歌を教える場面があるでしょう。あそこで清太はドレミではなくてハニホで歌っている。こうした何気ないところに心を止めて、けれどそうしたささやかな仕合せな情景も、すぐさまあのおばさんに水を差されて、私にしても冷や水浴びせられるような思いで、そして後のことはよう言葉になりません。情景が浮かんで消え、浮かんで消え、それらにどうコメントすればよいかは未だにわからずにいます。

もしかしたら、すっかりおじさんになってしまった今なら、受け止めてなんら思うことも可能かも知れないと思います。だったら親になる前の今が『火垂るの墓』を見るには一番よい時期かも知れません。

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