最初に断っておこうと思います。私は日本史がおそろしく苦手です。なんというか、ちゃんと正規の教育を受けてきたにも関わらず、どうしてもよくよく覚えることができなくて、なんの事件がいったいどういう事象に関わっているとかがピンとこないのです。断片的な事象、例えば原爆投下とかいくつかの大空襲とか、ちょびっとくらいは知ってはいますが、じゅあそれっていつなのさって聞かれるとしどろもどろ。そもそも年号(四桁の数字)が覚えられないという性質のためでもあるのですが、あまりにも情けないですね。
とまあ、こんな歴史に弱いのが私という人間です。もう笑っちまうほどもの知りませんから。本当にみっともない話です。
そんな私が読んで面白いと思ったのが『昭和史の論点』。あの戦争に向かっていく過程や、あの戦争で成されたこと、そしてその結果というのが、ざっくばらんな雰囲気の中で話されて、私はというと、そういえば漫画『日本の歴史』に戦艦保有比率のどうのこうのが図示されていたとか、社会科の授業で教師のいった「松岡堂々退場す」の文言を思い出すとか。結局のところ私の知識は面ではなく、線ですらなく、途切れ途切れの点々に過ぎないと確かめたようなものでした。
そんな点の知識しか持たない私ですが、この本を読んで、いろいろなことを新たにあるいは改めて知って、確認しながら、あの戦争にからむいろいろをちょっとはわかるようになったと思います。だからこの本は大変ありがたかった。まずもって読みやすく、ことに事象だけでなくその裏っかわのいろいろや話している人の見解なんかも一緒くたに語られるから、ものの見方というのも学ぶことができる。なにぶん、ものを知らない間は他人の頭を借りて考えるしか手はないわけですから、そういう意味で、私はこの本を通じあの戦争について考えたようなものでした。
そもそも私がいかんのですが、昭和史近代史、こと第二次大戦に関する事柄はタブーみたいに考えて、触れず語らずといった姿勢をとってる。アウトプットをしないから、インプットも弱る。インプットがないからなおさら考えない、考えられない。悪循環があります。けれど、まったく関係ないのかというとそんなことはなくて、嵯峨野にあるうちの墓には星のついたのがあって、じいさんの弟ふたりの墓なのですが、二人とも兵隊にとられて死んでいます。水兵だったそうですから、多分水没です。複雑なのはその命日で、はっきりとは覚えてるわけではないから月までしか書けませんが、四十五年の八月とかそんなんです。それこそ終戦が一週間早まっていたら助かっていたかも — 、みたいにいうんですよね。私はもちろん会ったことのない人たちの話ですから、ふうんみたいなものですが、けれどやはり私の身近にも戦争は関係しているということがわかります。
今年は終戦から六十年ということで、ことさらに特集番組やなんかが組まれて、私も結構見たのですが、それでもまだ他人の頭で考えているという感触から抜けきれません。自分の頭で考えられないうちは、吹く風の向きによってあっちこっちにふらふらするばかりですからね。それではいかんなあと、この本を読み返そうかななんて思ったわけです。
かたいばっかりの本ではないです。開戦から終戦まで延々歩いてそれだけで戦争が終わったような師団の話や、食料補給のために牛を連れた部隊があったとか(牛を谷で落としてしまった話はいったいどこで読んだんだろう?)、そういうエピソードはなかなか面白く、けど本当はちゃんと考えると、それだけいい加減な命令で兵隊たちはあっちこっちにやられていたわけですからたまったもんではなく、水没した人、餓死した人はごまんといて、洒落にならない。本当に笑い事ではないんですが、そういったことは知らないうちはわからないんですから、やっぱり知っておいてよかったなと、おかげで戦後六十年目にして血縁者の最期を追想できました。
- 坂本多加雄,半藤一利,秦郁彦,保阪正康『昭和史の論点』(文春新書) 東京:文芸春秋,2000年。
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