もの子さんのガンダム熱はおさまるどころかなお進行中といった感じでありますが、実をいいますとこのところ私もちょっとガンダムブームです。でもさ、入り口がちょっと違っていて、もの子さんは『機動戦士ガンダム ガンダム vs. Ζガンダム』がきっかけ、対して私は『ジオニックフロント』リプレイがきっかけ、ってなんだやっぱりゲームなんじゃん。といいましても、はまったんだもの、しかたないじゃないですか。
はまると書籍を見境なく集めだす性分
というのは私も一緒。いそいそと『ZEONIC FRONT』やら『ガンダム戦記』買い込みまして、帯を見れば、スニーカー文庫はガンダムフェアの真っ最中。ガンダム小説が60冊を越えたんだそうですよ。ううむ、こいつはやばい。危険な匂いがしてくるのであります。
なんというか、私の心は今無性に一年戦争なのですよ。そりゃ再びはまったきっかけが一年戦争物だったからというのもあるのでしょうが、やっぱり私らの世代でガンダムといえばファーストが熱かった。再放送でせりふを覚えるほど見、ガンプラを買いに模型店に走り、楽しかった。MSVとかのリアル志向にはしびれましたね。テレビで観た一年戦争の裏に広がっていた宇宙世紀の臭さは、脳髄の奥までひりひり焼くかのようで、少ない情報を友人間で交換しあっては、むさぼるように読んだのを思い出します。
小説のガンダムもそんなふうにして読んだのでした。ガンダムの小説はちょっとすごいぞ。アニメのストーリーや設定を斟酌することなく大鉈振るうように再構成して、小説独自の要素がてんこ盛りで、私らの間では賛否両論。子供心には赤く塗装されたシャア専用リック・ドムはださいだなんていって、それは結局はシャアといったらゲルググ、そしてジオングだろというアニメ版への傾倒ゆえだったのですが、ですがそれでもビームバズーカを装備したリック・ドムの描写にはしびれていました。
繰り返しますが、小説版はテレビ版には見られない独自要素がてんこ盛り。アムロとセーラ・マスができてたという事実にはショックを受けました。だって、私はアムロとフラウがくっついて欲しかったのですから。といっても、テレビ版でもアムロとフラウの心が離れていくさまはちゃんと見て取れるのですから、いかに私がロボットと戦闘に夢中で、人間ドラマに興味がなかったかがわかります。やっぱりこの心の動きみたいなのは、ある程度成長せんとわからんのだなあと思いますよ。
だから、私は今、この歳になってから『ガンダム』を見たほうが、昔よりもずっと楽しめるのだと思っています。昔なら見つけられなかったようなことをきっと見つけられる。
と、そんなこと思うから、危険なんです。集めだしそうだからあぶないんです。
余談:
シャア専用リック・ドムはその後キット化もされて、シャア専用ペズン・ドワッジなんてのもあるようで(っていうかこれじゃ皮肉か)、こうしてみると赤ドムも決して悪かあないなあなんて思うのはひいきの引き倒しでしょうか。
蛇足:
一応、ネタバレはいやよということで、私らの間で一番話題になり、一番のショックでもあった要素は、あえて伏せています。いや、あれはすごいと思いました。ええーっ、こんなのありなのっていう意外さで、正直ぶったまげました。
- 富野由悠季『機動戦士ガンダム』第1巻 (角川文庫) 角川書店,1987年。
- 富野由悠季『機動戦士ガンダム』第2巻 (角川文庫) 角川書店,1987年。
- 富野由悠季『機動戦士ガンダム』第3巻 (角川文庫) 角川書店,1987年。
引用
- 「ガンダム本」,『もの好き もの子のモノ日記』
0 件のコメント:
コメントを投稿