2019年3月16日土曜日

魔法少女は死亡する

 久しぶりのシギサワカヤ。いつ以来だろう。好きで結構読んでいたのですけど、多分いきつけの書店が変わったのが原因で新刊にばったりと出会うってのがなくなって、それで疎遠になったのだと思う。過去に感想書いてたよねと検索したらば『溺れるようにできている。』。そうか、『コミックエール』掲載だったか。もう忘れてたよ。けど、なんかじわじわ思い出してきて、こうして感想残しておくというのは意味あることであるなと思ったりしているところです。

さて、やっぱりこの漫画、『魔法少女は死亡する』、シギサワカヤらしいといっていいやつだったんだな。以前の感想見てそんなこと思ったりしました。『溺れるようにできている。』の感想でさ、ヒロイン佳織がうじうじして辛気臭い女だったっていってたの、今作の主人公杉並ナナヲは佳織ほどではないんだけどさ、心の中に鬱々といろいろ溜め込む傾向のある女でして、そうしたところにちょっと抵抗感じたりね、でもってその鬱々の原因となっているというのが夫だったり、身近な男だったりして、ほら、『溺れる』でも書いてたじゃん、男らしい身勝手さというかに不快を感じてた。ええ、今作でも不快を感じてた。妻にいろいろ押し付けてのうのうと暮らしている夫に。そして、夫もいる女性が仕事用に借りている部屋を簡易宿舎がわりに利用する男に。

この漫画、ナナヲはアニメの脚本を書いている人なんだけど、ついてるあだ名が破壊女王。原作の極甘設定をさりげなく、確実に破壊する。その持ち味を買われてはいるんだけど、これ、絶対、アンチを山程抱えてるだろうな。でもって、自分は確実にアンチだ。この人が脚本書いたアニメは見ないとか、見ても自分は原作派だからといって等閑視するとか、絶対そういう評価しかできないタイプのクリエイターだ。絶対的に自分にはあわない。なんて思いながら読んでましたね。

この、物語に冷徹な現実性を持ち込むことで、ある種夢を砕くというスタイル。それはさぞ自分の日常にも徹頭徹尾活かされてるのかというとさにあらず、むしろ私生活においてはまるで逆で、強く出られない、不平や不満をいえない、きっぱり断わらないからうやむやに押し切られてしまう云々。うん、これ、現実に存在する相手には毅然とした態度をとれないというのが、この人の冷徹な現実性なんでしょうね。本当は毅然としていたい、リアリスティックにいきたい、けれど実際にやると壊れたりこじれたりするから、それを避けるための手段としてこの人は自分が割を食うことで対処してしまうのだろう。ええ、こういう現実は確かにあって、そういう現実に鬱屈してる人も多いことだろうと思う。だからこそ、ナナヲという主人公が共感持って受け入れられるってこともあるんだろうなあ。世知辛いことです。

世の中には男運が悪いという人がいたりするわけですが、ナナヲに関しては違うよね。男運が悪いんじゃなくて、駄目な男から距離をとらない、排除しないから、自分の身のまわりにそういう手合いがうようよしている。いいように利用されて、便利に使われて、けどそれでも撥ね除けられないのだとしたら、どうしたってこの状況はナナヲ自身の選択の末なのだと思う。でもって、脚本家としてのナナヲのスタイルは、こうしたナナヲを取り巻く環境ゆえに育まれた部分も大きいんだろうなあ。もともとの個性、傾向があったところに、現実では発揮できないそれらを創作においては押し出すことができた。だから、もしナナヲが自分自身を省みて、自分のまわりから自分を都合よく利用している男どもを排除することができたら、理不尽で身勝手な周囲から少しでも距離を置けるようになったとしたら、脚本家ナナヲは大丈夫なんだろうか?

個人的には、ナナヲのようなタイプは嫌いじゃないので、思いきってばーんと、ドーンと爆発でもして、自由になって欲しかった。心の底からそうと思えるハッピーエンドに辿り着いてほしかった。けれど、一歩前進すれど完全には苦境を脱することあたわずといった状況に、ああ、脚本家ナナヲは今後も大丈夫そうだなという安心と、そしてナナヲ個人については、あんた、ほんま、どうしようもないよねえ、そんな諦念を抱いて終わるこの読後感。このすっきりしなさは、ある種の現実性なのだろうか。そうそう大きく事態なんて変わりやしないよってことなんだろうか。などなど鬱々考えながら、そうだなあ、これもまたシギサワカヤであるわけだなあ。

シギサワカヤが好きな人にはおすすめするけど、そうじゃない人にはあかんかも知れませんな。自分はわりと大丈夫、結構好みであるわけだけど、コンディションが悪い時だったらヤバかったかも? そんな漫画。取り扱い注意案件? です。

引用

0 件のコメント: