2013年6月3日月曜日

機動戦士ガンダム サンダーボルト

 機動戦士ガンダム サンダーボルト』。書店にいったら2巻が並んでいたものですから、これは買わずにはおられない。第1巻がですね、めちゃくちゃに面白かったのですよ。ガンダムの漫画、オリジナル展開で、モビルスーツの考証などあまりに独自だったために、受け付けないという人もちらほら見受けられるほどなのですが、けど自分はそのあたりの違和感、まるですっとばして読んだ。戦争という過酷な状況においては、人の権利も尊厳も嫌になるほど軽くなって、弱者からその持てるものすべてを搾取しようと国家が、共同体が牙を向く。理不尽の真っ只中に飛び込んでは散っていく命、命が、嫌になるほど悲しくて、本当、戦争とは嫌なものだなあ。身に沁みるように思わされる、それが太田垣康男のガンダムであるんですね。

第1巻で描かれた戦場、それも過酷だった。しかし第2巻では、その悲愴さをなお一層に増して、連邦はムーア同胞団に配備される40名の学徒動員兵。戦場の英雄に憧れ志願した少年少女たちが、促成で兵士に仕立て上げられ戦場に送り込まれる。彼らの仕事は、ガンダムを敵陣中央に到達させるための捨て駒となること。対しジオン、リビング・デッド部隊においては、ガンダムに対抗しうる新兵器を投入すべく、ダリル曹長の腕が切断されていた。

人命が、人の尊厳が、消耗品として、兵器の部品として、モノのように消費されていく。戦争というものの非人間性、やりきれなさがこれほどまでに押し出されて、これほどの説得力を持つのは、死に直面する彼らの人間としての表情が、いきいきと描かれているからなのだと思うのです。彼らには過去がある。今を楽しむ心がある。戦友と、恋人と通わせる情がある。憧れの機体、ガンダムを見て大喜びする少年兵たちの様子、その高揚は画面のこちらにも溢れてくるようで、そしてダリルの二階級特進を祝う仲間達の馬鹿騒ぎ。感情はこうも極まって、喜びも楽しさも、優しさも、そして悲しみも、絵になって、言葉になって、切々と刻まれていく。刻み込まれた彼らの存在が確かと感じられれば、それだけ、戦争の理不尽も確かなものとなるのは道理です。殺し殺される連邦の、そしてジオンの連中も、決して悪いやつじゃあないんだ。けれど、それでも殺し合って、その命がゴミみたいに散っていく様は、あまりにも過酷で無慈悲であるなあ。読んでいて、つらい、そう思うほどの描写が続くのですね。

ところが、同時に、モビルスーツのかっこよさ。とりわけ、リユース・サイコ・デバイス装備高機動型ザク、こいつのかっこよさは極まっていて、ほんと、悲惨な戦場を描いて、なおそこにかっこよさを盛り込んでくる。こうしたところに、エンターテイメントとしての魅力が際立って、実に見事であります。

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