2009年10月1日木曜日

THE TIMERS

 やっと買ったよ。THE TIMERS。ずっと前のことですけど、iTunes Storeで使えるフリーソングコードを貰ったことがありまして、その時に一体なにをダウンロードしようかなってすごく迷って、聴きたい曲は沢山あるんだ。けど、聴くならアルバムで聴きたい。オールド・タイプ・リスナーであることを実感させた歌というのがいくつかあったのですね。それは例えば『デイ・ドリーム・ビリーバー』。The MonkeesのDaydream Believerに日本語歌詞をつけたものなのですが、これが素晴しい。ずっと聴きたくて、CD欲しかったんだけど、先にもいったように、私はオールド・タイプ・リスナー。アルバムでないといやだ。そう思っていた。そのアルバムをようやく買ったというのですね。

実際、これを買おうという機会はいくらでもあったんです。それこそ、2006年の時点で、買ってしまえばよかった。けれど、なぜか買わずに今まできてしまって、それこそ今年の5月に大きな機会があったじゃないか。でも、あの時はショックの方が大きすぎて、今このタイミングで買いたくないって思ったんですね。THE TIMERSはゼリー、トッピ、ボビー、パー、四人のバンド。でも、皆知ってる、ゼリーは忌野清志郎だって。けど本人たちが、彼らはよく似た友達なんだっていってますから、皆、そのように諒解してる。ファンも心得てるんですね。

このアルバムを買うつもりになったのは、『デイ・ドリーム・ビリーバー』を自分でも歌ってみようと思ったからです。とても切ない歌。ずっと夢を見て安心してた。安心してた。けれど、もう今は彼女はどこにもいない。この彼女というのは恋人のことだと思ってたんだけど、なんか話に聴けばお母様のことなんだそうですってね。なにかこの方は複雑な家庭事情のもと育ったのだそうですけど、彼を生んだお母様と、育てたお母様とふたりあって、この歌に歌われているのは育てのお母様、彼を生んだ女性の姉であるのでしょうか。あの、有名な、息子が音楽に熱中していて心配だって新聞の悩み相談に手紙を出したというお母様。もういないって。そういう喪失を抱えた歌だっていうのですね。知るほどに切ない。けれど、この歌の伝えようとするものは深く、それこそ普遍性を獲得するほどに豊かで、だから忌野清志郎の情感を引き受けながらも、多くの人がまるで自分の身にあったことのように引き付けて聴くこともできる、そのようなものになってしまっているんじゃないかと思っています。

そして、THE TIMERS。メッセージ性の強い、そんな歌がたんまり入っている。その歌の数々は、刺激的で、訴える力はなみはずれたものがあって、そんな中に叙情のかたまりのような『デイ・ドリーム・ビリーバー』が歌われる。その幅の広さ。諧謔ににやりとして、辛辣さにうならされ、そして切なさに涙が出そうになる。これは、並大抵ではない。そう思わされるアルバム。しかし、どんなに過激で鮮烈であっても、底には叙情詩情が流れていて、そしてそれは人という存在に対する優しさであるのかもって思われるのですね。だから、私はやっぱり曲単体ではなく、アルバムで買ってよかったと思うんです。一曲だけでは、こうしたことは気付かずに終わったろうと思うんですね。けれど、こうして知るほどに切なさは強くなって — 。今はまだしかたないですよね。そう思います。

引用

  • ZERRY『デイ・ドリーム・ビリーバー

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