2009年10月15日木曜日

ラブフェロモンNo.5

 『ラブフェロモンNo.5』の単行本が出ましたよ。実は私、ずっと興味はあったんですけど読んだことなくってですね、というのも、連載しているところが『ケータイまんがタウン』です。ええ、私、いまだに携帯電話持ってませんから、興味があっても確認さえできないっていうね、この情報化時代に取り残されているような状況にあるのです。だから、これが初読となりました。これまで、『まんがタウン』に載る宣伝、そこでの紹介は見てきて、けれどいまいちどんな漫画であるのかつかめずにいたのですが、読んでみて、ああ、こういう漫画なのか。なかなかのシチュエーション。最初は、どうだろう、どうなのかなとおっかなびっくりで読んでいたのが、途中からは、もうこれいいな、素晴しいなと、すっかり虜になってしまいました。

ヒロインは香菜。眼鏡、ショートカットのお嬢さん。この人が転校した先で出会ったのが、人気絶大の生徒会長、かをりさんなのですが、この出会いというのが実にエキセントリック。登校中に軽くぶつかってしまった、そうしたら匂いをかがれて、しかもかなり執拗に! それで、私のモノになりなさいっですからね。なんと、かをりさんは匂いフェチだったのです。普通の人にはわからない。けれどかをりにとって香菜は、とてつもなくいい匂いのするお嬢さん。と、ここから香菜に対するかをりのアタックがはじまって、それはもはやストーキングの域に達しようというほどに猛烈なものでありまして、そして香菜には周囲からの嫉妬が突き刺さる。なんか、不憫だよな。かわいそうにな、というのがこの時点での感想でした。

けれど、ふたりはこの関係にとどまることなく、さらなる先を目指すのでした。香菜に向けられる嫉妬。その急先鋒はかをりの従兄弟、流々であったのですが、かをりの流々に対する態度、それがものすごく効果的に働くのですね。かをりに振り向いてもらいたくて、香菜の匂いを研究させ、自分の匂いを変えてまでアプローチする流々だけど、その匂いが耐えられないと頑として拒否の姿勢を貫くかをり。けれど、その態度は香菜のかをりに対する不信、不安を煽ることとなってという流れ、もう素晴しいと思った。香菜の悩み。そしてかをりの答え。それは、フェティシズムからはじまった恋愛における、ひとつの模範例といっていいものであった。そのように思われて、ああ、確かに愛とはこうしたものであるかも知れません。

最初に好きになったのは声。かをりにとっては匂い、私にとっては眼鏡。けれどいつまでも愛がそうした部分に留まり続けるわけじゃないのです。きっかけは、その人をかたちづくる一部分に過ぎなかったかも知れないけれど、知るほどに深まる、それが愛情なのではないか。私の愛しい部分を持つ彼女。けれどその部分だけが愛しいのではないのです。彼女という総体があってこその部分なんですから。たまたま好きになった人がその部分を持っていたのではなくて、その部分をとっかかりに彼女という総体に触れ、愛が生まれたのです。今や総体を愛する私は、たとえあなたの愛しい部分が変質し失われることがあったとしても、その総体への愛ゆえに、決して離しはしないよと、どんな変化だって受け入れてみせるよと、そうした言葉にはちょっと感動してしまいました。

この漫画は、なんといっても匂いうんぬんを前面に押し出す、そうしたところがエキセントリックで、また今でこそ百合として認知されていますが、ヒロインが女性、ヒロインに恋するのもまた女性という、そうしたところもエキセントリックといっていいのかも知れません。ヒロインそのものといった香菜、そしてなんだかむしろヒーローっぽいかをりさん。けれど、常に香菜が守られ庇護され振り回されるわけでもない、ちょっとした逆転も描かれるところなんかはとても魅力的でたまりません。全体にはコメディといった感触。面白おかしく、軽く、楽しく読めるのだけれど、時にぐっと胸にしみる言葉、展開もあって、ああ、もう、大好きだ。ええ、これはとてもいいです。エキセントリックだなんていったけれど、むしろ描かれる感情こそは王道的であるともいえて、まっすぐに愛情を表現するふたりはなんと輝いてみえることか。ええ、奇をてらったように見えて、描かれる愛は実に丁寧。むしろ、正統派であるというのですね。

あとがきによると、これはケータイコンテンツであったからこそ実現した漫画であるそうでして、そうか、ケータイって素晴しいな。ケータイってのもいいものなんだなと思いました次第です。ケータイでは、紙媒体とはまた違った表現もなされるといいますから、機会があればそちらも読んでみたい。そんな気持ちにさせる漫画でもありました。

  • 岩崎つばさ『ラブフェロモンNo.5』第1巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2009年。
  • 以下続刊

引用

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