水上悟志という漫画家はなんだか妙に味のある人で、最初はちょっと微妙かなあなんて思ったりもするんですが、読んでるうちにそれとなく好きになってるっていうか、癖に取り込まれてしまうっていうか、本当に不思議な感じなんです。持ち味は、力の入ってないファンタジーテイスト、公園にいくと天使に会える、けどおっさんみたいな、微妙に外した設定をぶちかましてきて、こういう味は『サイコスタッフ』においても健在。超能力者に宇宙人、ちょっとマッドなサイエンティスト — 、ベタであるとか今更だとか、そんな評価を振り切るような勢いが感じられるじゃないですか。それこそ二周くらいして逆にかっこいいみたいな位置に着けていると思います。
けどね、こんな豪華な面子を用意して、ストーリーも表現も淡々としてるのはなんでなんでしょう。主人公が枯れてる、親父も枯れてる。じゃあ熱いのは主人公をスカウトしにきた梅子だけか? でも梅子もちょっとずれてるからなあ。多分ですけど、この人の漫画には、一般にいうシリアスのパターンが欠けているんです。こうすりゃシリアスになる、こうすりゃ鬼気迫る、読者ははらはらして手に汗握り、話もきっと盛り上がるというパターンをあえて外してるとしか思えない。それは作者の好みかも知れないし、そもそものスタイルなのかも知れないけれど、一種独特の筆致で、どこかが抜けていて、どこかがずれている、けれど生真面目で朴訥とした、そんな水上悟志のシリアスを追求するかのよう。ストレートに描かれる登場人物の内心そして主張は、ゆったりと緩まされた心に気付けばするりと入り込んでいて、そうか、なんか淡々としてつかみあぐねていたお前さんだけど、そんなことおもっとったんか、普段そんなそぶり見せないくせに、突然あらたまって、実は、みたいに打ち明けてくれたみたいな — 、そんな染み方をするのがたまらないのです。癖になるんですかね。だからか、なんか好きになってしまうんですよね。本当、不思議な感じだと思います。
『サイコスタッフ』の裏テーマは1話1パンチラだったのだそうですが、表のテーマはやっぱり生真面目なのかな、才能と努力、それだと思うんですが、最近は努力とかはやらんでしょう。それこそ、天賦の才みたいなのを喧伝することが多い、DNAとかなんとかいっちゃってね、けどこの漫画では、努力することにも価値があるんだ、泥臭くとも努力して勝ち取ったものっていうのが本物なのだと、そんなことをいいたかったんだと思います。一握りの天才だけがこの世の主人公なんじゃない、凡人でも自分の望むものを手にしようとあがいて、もがいて、苦労して、そんな君の姿は誰よりもかっこいいんだよと、そういう声が聞こえてくるような、ちょっとした気恥ずかしさも嬉しさに変わる、そんな漫画だったと思います。
- 水上悟志『サイコスタッフ』(タイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
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