2007年11月22日木曜日

ゲッターロボ

 仕事帰りに書店に寄ったら、どかんって感じで『ゲッターロボ』が置かれていまして、運よくというのかなんなのか、シュリンクの類いがかかっていなかったので手に取ってみたら、もう止まらない。いや、さすがにはじめてってことはありません。これまでに何度となく読んできた漫画ですが、実は所有していたことってなかったんですよね。けれど、なんでか度々出会ってきて、それがなんでか、ごてっと分厚いものばかりで、愛蔵版なんでしょうか、なんどもそういう決定版みたいなかたちで出てきたものに、今こうして新刊としてまみえてしまった。どうするべきか、はっきりいって止まらない。これは、もうムサシの鬼気迫る決死戦を見、そして恐竜帝国の最後を見届けないことにはすまないのです。というか、立ち読みで三分の一読んじゃったよ。私は自分自身にルールを決めていまして、立ち読みで一定量読んだ本は買うというものなのですが、今回はそれが見事に発動しました。といった次第で、今私の手もとには無闇に分厚い『ゲッターロボ』がごろりと転がっています。

しかし、『ゲッターロボ』といえば私の子供時分のテレビヒーローでありまして、その頃からロボット漫画が好きだったって話ですよ。人類滅亡をたくらむ邪悪な敵に、超科学の粋を集めて作り上げられたスーパーロボットが立ち向かう。ゲッターロボもそうですね、マジンガーZもそうでした。鋼鉄ジーグもライディーンも大空魔竜も、みんな人類の敵に超ロボットで立ち向かって、その戦いはおよそ戦争なんて生易しいものでなく、有り体にいえば殲滅戦。いまにみていろハニワ原人全滅だの世界であります。

けど、多分、アニメ版ではそのへんの苛烈さっていうのはずいぶん薄められていて、だから子供の頃に漫画版を見たときには大層ショックでしたさ。なんというか、有り体にいうと血なまぐさい。腕がとびだすババンバンなんて生易しいもんでない。名もない人たちがばたばたと、時にはばらばらになって、時には焼かれて、時には食われて死んでいくんですね。それを見て子供たちは、うぬぬ、恐竜帝国許すまじって気になって、この高揚感ややばさは残念ながら今の漫画ではもう出せないんじゃないかなあと、そんな風に思っています(表現の規制もあるだろうしさ)。

実は今回『ゲッターロボ』の購入を決めたのは、なかま亜咲の『火星ロボ大決戦!』の影響が少なからずあって、『火星ロボ』には『ゲッター』をはじめとするロボットものへのオマージュが渦巻いているから。また、明らかなパロディも端々に見られて、それらを私は面白がって眺めながら、同時に忘れかけていた超ロボへの愛惜を思い出して、そしてそれが『ゲッター』の過激かつ濃厚な画面を見てたまらなくなってしまったんです。今の若い人にはどう映るかわからない、それこそ古くさいといわれて終わっちゃうのかもしれないけれど、でも私にはものすごい高揚をもたらしてくれる漫画なんです。強烈な作用が、精神にびしばしと届いて、もうめろめろになる。設定の粗なんてどうでもいい、バーバパパ変身合体についても、これのどこに問題が!? と言い切ってしまうくらいに心もっていかれてしまって、やっぱり私は『ゲッターロボ』が好きだったんだなって思いを新たにするのです。

そして、実は、子供の頃の私が一番好きだったのがゲッターロボだったんですね。それもGでなく、旧ゲッター。あのシンプルな造形が気に入っていて、ゲッター1もよかったけど、ゲッター2が好きだった。どうも私はニヒルな二枚目が好きみたいなんですね。だから『ゲッター』では神隼人、『ガンダム』ではカイ・シデン、なのであります。

あ、そうそう。来年1月には『デビルマン』も出るらしい。これは、これは買うな……。

引用

  • 林春雄『鋼鉄ジーグのうた

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