2010年10月12日火曜日

三日月の蜜

 仙石寛子の漫画は、なんでかいつでもなにかずるい気がしてしまって、けれどそれでも読まずにはおられない、そんな魅力があるのです。表題作『三日月の蜜』もそうでした。自分の好きな男には好いた女があって、けれど告白できずにいる。そうした様子に自分自身を重ね合わせたからなのか、なかば面当て、なかば自暴自棄に、好いた相手の好いた女をとってしまおうとする。その発想が面白いなと。あながちなくもない、そう思わせるようなニュアンスで、むしろ冗談や軽口といった方がいいかも、そんな申し出であったのに、相手が悪かったとしかいいようがない。通ってしまった。こうしてはじまる、女同士の後には引けない恋愛もの。これは目が離せない、そう思ったものでした。

この作者がずるいと思ってしまうのは、もやもやとした感情、曖昧な関係をそのまま読み手に委ねてしまう、そうしたところがあるからなのです。その傾向は読み切りの短編に色濃く、単行本後半に収録された短編群、それらからも強く感じとれることと思います。どうにもできない状況や、わりきれない感情、それらが未整理のまま、時にあいまいに、時にありていに示されて、解決されることがない。いやむしろ、解決しようという意思がないとも思える、一種宙ぶらりんのままに放置される、そこがこの作者の持ち味になっています。

解決の放棄されたかに見える漫画が魅力的と感じられるのは、もともと解決にいたる過程を描こうというのではなく、その状況に生じる気持ち、それが主眼であるからでしょう。主に対話で進行する、その言葉のひとつひとつに浮かび上がってくるもの、その真意はなんなのだろうか。疑いなのか、不安なのか、ちゃんとわかるように、けれどはっきりとはわからない程度にとどめられている。その塩梅がうまく加減されているものだから、読んでいるこちらももやもやとしながら、これはきっとこうなのだろう、いろいろと思う余地が生まれてきます。この思うということ、それが面白いのですね。

『三日月の蜜』は連載であったので、思う余地を残しながらも、ふたりの気持ちの行方にはきっちり決着がつけられて、だから随分と飲み込みやすくなっていると感じます。ああ、こういう風に落ち着いたのか、私はその可能性もあると思いながら、きっとあるまいと思っていた、そのせいでちょっと意外と驚いたのですが、最後には安心することができた。こうした感情の整理されるのはなかなかに珍しい、けれどこういうのもよいな。中長編と短編の味、両方を楽しめる一冊であります。

  • 仙石寛子『三日月の蜜』(まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2010年。
  • 仙石寛子『背伸びして情熱』(まんがタイムKRコミックス エールシリーズ) 東京:芳文社,2009年。

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