実をいうと、私はこの漫画にあまり乗れていなくって、その理由は辛気臭さと人間関係の把握しにくさだったのだろうと思います。ヒロインがふたり、内気でけれど好きな魚、水槽のこととなると俄然積極的になる三嶋ゆうと、幼なじみの男の子とずっと一緒にいたために、女子の友達がいない、どうやって作ったらいいかわからない、とても不器用な吉岡さおり。このふたりが知り合っていこうという、そんな様子がすごくもどかしくて、けれどそのもどかしさが心をくすぐる。どこか切なく、そして微笑ましい、不器用ものふたりの交流が、淡々と、けれどしみじみと胸に降り積もって暖かです。
きっとこの漫画は単行本で化ける。そんな印象を持っていました。ゆうには、ちほとかよという友人があって、さおりにはよしあきとゆきという友人があって、ゆうは家業の熱帯魚店の関係でよしあきと知り合っている。けれど、よしあきとさおりが幼なじみであるということはまだ明らかでない。そんな状況で、ゆうはさおりに近付こうとしている。ゆうサイドではちほ、かよとの関係が描かれる、さおりサイドではよしあき、ゆきとの関係が描かれて、これが毎月数ページずつ、ゆっくりゆっくり進行していく。次の回へと繋げながら、すこしずつ状況を積み上げながらです。
この進行、描写において、私は人間関係を把握できずにいて、また前回から続く状況、それを捉えきれずにいて、ゆえに乗れなかったのでした。ゆうのさおりに対する気持ちが伝えきれない、さおりのゆうに対する気持ちが空回りしている。そうしたところばかり、断片的に受け取って、その向こうに息づいているもの、彼女らの思いや気持ちにまで意識が届いていなかったのですね。だから、繊細さをともない描かれているもどかしさ、これがただただわかりにくいものとしてしか感じとれず — 、けれど一気に読めばきっと変わる、そう予感していました。
ええ、単行本で通して読むと、すごくよかったのですね。あらためて彼女らの人間関係、ひとりひとりとの結び付き確認することができて、ゆうという人のこと、以前よりもよく理解できるようになった。それはさおりについても同じ、他の皆に対してもそう。意外に焼き餅焼きのちほ、すごくいいよね。よしあきにしても、ただ馴々しいばかりの無神経男という印象だったのが、幼なじみであるさおり、彼女のことをすごく心配して、応援していることがわかる。ゆうとさおり、ふたりだけでは、互いに近付きたいと思いながらも、その距離を縮めることは難しかったかも知れない。けれど、まわりにいる友人たちが、時に支え、後押しし、励ましてくれた。そのおかげで、ぎこちないながらも友人と思える、そんな位置にまで距離を詰めることができたのだろうなあ。しみじみと感じるのですね。
ゆうにもさおりにも思惑がある。いや、さおりにこそその色は強いのかな? ただ楽しくほのぼのと知り合って仲良くなって、そういう漫画ではないのですね。素直になれない、自信もない。けれどそれを気付いてもらえていない。そのギャップに戸惑って、こうありたいという自分に近付けない、諦めよう、くじけそうになる。そうした気持ちの揺れが、すごく美しいと思う。すごく辛気くさい、そういった感じもあるのだけど、こういった感覚、ものすごく胸をくすぐるのですよ。もうたまりません。決意した、その思いがほんのちょっとのすれ違いでくじかれてしまう。それどころか、きついこといってしまう。後悔、落ち込み — 。もう、なんて不器用で、なんて可愛いのでしょう。
アクアリウム — 、水槽に導かれるガール・ミーツ・ガールの物語。もどかしさがいつか融けて、ふたりは心からの友達同士になれる。それまでの過程、これからもきっと紆余曲折があるだろう。それがもうわくわくとさせて、けれど読む間だけはしみじみと、心に降る彼女たちの思いにひたろうというのですね。
- 博『アクアリウム』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2010年。
- 以下続刊
0 件のコメント:
コメントを投稿