2009年12月1日火曜日

毛玉日和

 お久しぶりの櫻太助。ああ、私、この人の漫画、好きだった。だった。過去のこととして話してしまっている — 、それはつまりもう今は好きじゃないとか、そういうわけではないのです。私の購読している雑誌、『まんがタイムきららキャラット』にて連載されていた『鳩町まめっこイグニッションズ』、これがもう好きで好きで、好きで好きでしかたがなかったのですが、残念ながら連載も終わってしまい、そして氏は活躍の場を『まんが4コマKINGSぱれっと』に移されたのでした。『ぱれっと』で連載がはじまったって聞いた時には、すわ『ぱれっと』買うか!? などと思ったりしましたっけ。けれど、生活の圏内に『ぱれっと』を安定入手できる店がなく、だから『毛玉日和』、単行本が初読となりました。

手にとって、久しぶりだからなんだかどきどきしたんだけど、けど読んでみれば、ああ私の好きな櫻太助のらしさがいっぱいで、ああやっぱりよいなと思ったのでした。好きなもの愛しいものにまっしぐらで甘やかしまくるヒロインに、クールに振る舞う猫の娘。ああ、それをツンデレだとかはいいたくない。ちょっと気位高くて、けれどヒロインもなかのことを嫌ってるわけじゃない。自分にとって心地いい距離感を守っている、そうしたところに猫のぽさを感じさせます。

猫、名前は小豆、人の姿をしています。この世界では、動物が人の姿をとることが、そんなに珍しいわけではないみたい。玄関先に行き倒れてた、それを自然に受け入れるもなかには最初えらく驚いたものですが、けれど読んでれば、まあそんなものなのかと思えるようになってきて、そしてしまいにはそれで当然といった具合になってしまって、すっかりとりこまれてしまったっていう模様であります。登場する動物は、猫の小豆、犬のコロン、リスのリス子。それぞれにもととなる動物、猫、小型犬、リス — はちょっとわからないけれど、の特徴を反映したキャラクターづけがなされていて、しかしこれが動物の擬人化かといわれると、それもまた違うなというのが素直な感想です。むしろ、動物と人の関係を思わせながら、そこには個性の強調された人対人の関係性が見えてくる。猫可愛がりするもなかとクールな小豆の関係。高圧的に振る舞うゆきとじゃれたい遊びたいコロンの関係。そして、静かながらも思いをしっかりと受け止める堤先生と甲斐甲斐しいリス子の関係。それぞれが違った感触、違った距離感を表現していて、そのどれもによいなと思える暖かみがあるのですね。

それらは、人と動物という前提があるためか、友人のようで友人でなく、恋人のようで恋人でなく、妻かといえばそうでもなく、強いていうならば家族だな、血縁者ではないけれど家族なんだ、そういった手触りが独特です。それでもって、彼らはあくまでも動物だから、躾や習性に関する話もあるのだけれど、むしろそういった面では小さな弟、妹に対するような感じが強く、けれど彼らは常に年少者かといえばまたそうでもない。達者にしゃべるし、子供っぽくともまま子供ではないといった不思議なポジションにあるのですね。とても近しい、人と人の関係ではちょっと成立しにくいような密接さを表現しつつ、けれどそこに若干の相容れなさ、人とは決定的に違っている様子も匂わせる彼らとの生活は、ありそうでちょっとない関係の可能性を感じさせてくれて、非常に面白い。こんなのと一緒に暮らしたらきっと楽しいぞ、そう思わせるようなわくわく感がすごいのですね。猫でも、犬でも、リスでも、それぞれに、現実にはちょっとないって思える親しみの深みが描かれていて、好奇心をかきたてるのです。

彼ら、人の姿をした動物たちの個性は、普段の行動においても充分に発揮されていますが、あのなぜ人の姿をとるにいたったかという理由、その情報をどう扱おうとしたか、その違いにこそはっきりと表れていました。あの時に描かれた感情の機微には深く感じ入るものがあり、そして私はこのテーマに触れた時に、ああ彼らはただ単なる動物の擬人化ではなく、それぞれ個というものを備えた人格なんだって、思いをもって行動するものたちであるのだと諒解したのでした。その感触こそが、櫻太助の描く漫画のキャラクターの魅力でありらしさであるのです。そう、絵に描かれたものにして、画面に留まらない思いをあふれさせる、そうした魅力が私をひきつけてやみません。

  • 櫻太助『毛玉日和』第1巻 (IDコミックス 4コマKINGSぱれっとコミックス) 東京:一迅社,2009年。
  • 以下続刊

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