2008年5月15日木曜日

雑学おもしろ読本 — つい他人に話したくなる

またやっちまいました。コーヒーでも入れようと湯を沸かしている待ち時間、今日とりあげる本を探しにいったらですよ、またまた『コンシェルジュ』を読んでしまいました。だから、時間がないんだってば。なのに止まらない。ああ、もうだめだよ。さて、その探していた本というのはなにかといいますと、『雑学おもしろ読本』というもの。これ、子供のころに好きで読んでいたものなのですが、タイトルにもそうあるように、雑学、今でいえばトリビアですか? をとにかくたくさん詰め込んだ本です。出版が1981年6月、うちにある本は同年11月の第20刷。半年で20も刷りを重ねたのですから、ちょっとしたヒット作だったのでしょう。話題だったのかも知れません。なので、父は自分が読むために買ってきたのでしょう。で、それを息子にとられた。そんなところだと思います。

私が今日この本を取り上げようと思ったのはなぜかというと、万年筆のインクに関係する話が載っていたからです。そのインクというのはブルーブラック。書いた時には青いのに、時間が経つと黒くなるというインクですね。いやね、昨日のことなのですが、梅田の紀伊国屋で『ボーテックス』の茶軸を買いましてね、そうしたらインクカートリッジは何色にしましょうなんて聞かれたのです。黒と青とブルーブラックから選べるというじゃありませんか。おお、てっきり黒に決まってるものと思っていたら、嬉しい気遣いでありますよ。ううーん、どうしようかなあ、と悩む間もなくブルーブラック。いやね、私は古い人間なので、万年筆のインクというとブルーブラックなんです。けれど、ただ古い人間だからブルーブラックというわけでもないのです。

この本の影響なんですよ。万年筆なんて使ったこともなければ見たこともなかった子供時分に、まずは知識としてもたらされたブルーブラック。それはどんな記述だったかというと — 、ちょっと引用してみましょうか。

ブルー・ブラックとはどんなインク?

 これは青インクと黒インクの中間の色ではありません。ブルーブラック・インクで書いた文字は、書きたてのころは青い色をしていますが、時間がたつにつれて、だんだん黒に近い色に変化していきます。つまり、時間とともに青から黒に変化するのでブルーブラック・インクというのです。このインクの製法は次のようなものです。タンニン酸水溶液に硫酸第一鉄を加えると、タンニン酸第二鉄の黒い沈殿ができます。これに、その反応を抑える硫酸を加えて青い色素で色をつけます。書いた直後は、青い色素の色ですが、水分が蒸発するにつれて反応が進み、黒いタンニン酸第二鉄の色が現れてきます。このため、インクの色が青から黒へと変わるのです。

子供心に、この色の変わるというインクは実に魅力的でありまして、しかもその後、これが公式に用いられるものということを知って、なおさら好きになった。だから、私が万年筆を使いはじめた大学のころから、メインのペンはブルーブラックと決めています。とはいえ、この化学反応を用いるタイプのブルーブラックは今では染料のものに取って代わられつつあって、いやね、私の使ってるのはParkerのQuink Blue Blackなんですが、それがどうも偽ブルーブラックに変わっているらしく、それ知った時にはショックでした。でもまあ、ブルーブラックは割とペンに優しくないインクですから(強酸性と沈殿物がペンを傷めます)、染料でもかまわんかあと最近では思うようになっています。別に私の書くものなんか、長期保存する価値ありませんから。冷暗所に保管して、あとで読めればそれで充分です。なんなら、写真でも撮っておけばいいし。

『雑学おもしろ読本』に、こうして書かれていたブルーブラックインクの話。もちろん私がこの本から得たものはこれだけではなかったのだけれども、とりわけ記憶に濃かったのがこれという話です。けど、実はちょっと外しているんです。というのはね、私はこの本に、お茶と錆びた釘を使って作るブルーブラックインクの話が載っていると思っていましたから、あれれ、意外、記憶がこんがらがってるや。私も衰えたものですよ。もう一冊の本というのは、ちょっと怪しげなネタも載っているもので、ナメクジがエクトプラズム吐いて河を渡る話とか、そういうオカルティックなものも紹介されていたような本で、あと、癇の虫の話ですね。子供の手に墨でちょいちょいとおまじないを書いて、なんだったか唱えると、にょろにょろと灰白色の物質が出てくるってんですね。わお、うさんくせえ! けど、そういうのも楽しかったんですよ。多分この本は、クローゼットの底に沈んでると思われます。だってこれらの本、こっちの家に引っ越してから、一度も読んだことがないんですよ。だから思い出したのをきっかけにして、また読んでみたい。余裕ができたらサルベージでもやってみるかなと、そんなこと思うのだけど、きっと余裕ができる日はこないから、見つけ出す日もこないものと思われます。

そうそう、実は手帳を買おうかと思っているのです。なんだい薮から棒にって話ですが、いやあ、さすがに私の異常な記憶力も陰りを見せていますから、大量の情報を扱うにはそうしたものの助けも必要になってきたように思われてですね、手帳が欲しいのです。まあ、実は、『コンシェルジュ』の最上さんや涼子さんの手帳、ファイルに憧れちゃってるからなんですが、とにかくあやふやになっていく記憶に頼るだけではいけません。情報をまとめてファイルする。そういう必要もあるなと、このところとみに思うようになっているのです。

目標は、脱コンピュータです。という話を職場でしていたら、係長が以前の職場でもらったという手帳をくださいました。いわゆるバイブルサイズのシステム手帳です。私はスケジュール管理にというより、雑駁な情報をまとめ整理するツールとしての手帳に期待しているので、大振りのA5サイズなどを思っていたのですが、はてどうしましょうか。バイブルサイズでも足りるといえば足りるでしょうし、いただいたものも悪いものではないし、けど実をいうと欲しいのがあったりなんかしてさ、しかもそれA5とバイブルそれぞれあるから、ああ、迷うね、迷うよ。

なお、いただいた手帳はこんなやつです。なんか使うのがもったいなくてですね、っていうのも変な話なんですが、ともあれもう少々迷ってみたいと思います。

Personal organizer

  • 『雑学おもしろ読本 — つい他人に話したくなる』東京:日本社,1981年。

引用

  • 雑学おもしろ読本 — つい他人に話したくなる』(東京:日本社,1981年),107頁。

2008年5月14日水曜日

暁色の潜伏魔女

   その存在を知らないまま、偶然に出会った『暁色の潜伏魔女』。連載されていることも知らず、もちろん単行本になることも知らなかった。別の本を探していたら、袴田めらという作者名に気付いて、危ないところでした。もしあの時、あの本を探していなかったら、私はこの漫画を気付かないままに流していたかも知れない。そうしたら、私はきっとあとで悔やんだでしょう。そして今日買った第3巻。これもまた、別の本を買おうとして立ち寄った書店で見付けて、あ、3巻出てたんだ、当然のごとく買ったら最終巻。あー、終わるんだ。なんだかすごく残念に思って、つまりはよっぽど好きだったのでしょう。今更に気付かされることとなりました。

私が袴田めらの漫画を好きなのは、そのたっぷりとした情緒のためだと思います。設定や絵にも魅力はあるし、キャラクターもかわいいし、けれど設定の精緻さで読ませる漫画ではなく、絵の絢爛さも弱い。じゃあキャラクターかといわれると、そんなにキャラクター性を前に押し出してといった風でもない。だから私はこの漫画の魅力は、情緒であると、彼彼女らを内包して揺れ動く世界が伝える情緒にこそ引きつけられるのだと、そのようにいうのです。

しかし、情緒というのは言葉にして伝えるのが難しくて、私はいつもその詳細に触れようという時、立ち止まらないではおられないのです。私は確かにそれを思い、ありありと手に触れるかのように感じているというのに、言葉にしようとすると崩れてしまって残らない。ところが袴田めらという人は、そんなあやふやな心の景色をうまくすくい取って、漫画という形式を通じてよく伝えてくれます。心と心の出会うところに兆すもの、機微、趣 — 、表現なんてなんだっていいのですが、誰かを好きになるということ、友達と思っていること、その素晴らしさ、舞い上がる気持ちや嬉しさを描いたかと思えば、その裏側にある疑いや不安などもまた描いて、その絡み合う様が読んでいる私の心にも届いて、嬉しくさせたり、悲しくさせたり。感情というのは、本当に一面的なものではあり得ないなと思わされます。ハッピーエンドを迎えても、その時に、友情の美しさが喜びを与えてくれていたとしても、それでもどこかに苦さ、寂しさ、苦しさが残っていることがある。笑っている、それは間違いないのだけれども、その笑いの影に切なさの隠されていることに気付かされることがある。そうした感情、思いの多様なさま、深く複雑に入り組んだ様子が私を捉えてはなしません。そのような時に私は、袴田めらはよいと思うのです。しかしそれを人に伝えようという時には、とにかくいいんだよ、としかいえなくなってしまっている。不甲斐ないなあ。ええ、その魅力に対し、全然力が及ばないです。

『暁色の潜伏魔女』は、第1巻の時点では結構重めの展開を見せたものの、その後は結構軽く楽しいのりを維持して、でもそれは最終話にむけての準備期間でもあったのだなあ。全話読み終えて思ったのはそれでした。第1巻の時点で、すべてが予定されていたのかは私にはわかりません。けれど、1巻2巻と話を広げ、積み上げられてきた小さな要素が最後のあの場面に繋がるものと知ったとき、私は一層にこの漫画を好きになったと感じました。そして、この漫画のテーマが執着や独占欲であることをひときわはっきりとさせる展開を経て、この物語は閉じられました。誰かを自分だけのものにしたい、あの人の視線をずっと私に向けさせたい、きっと誰もが持っている欲張った感情、それを転倒させるラストでした。私のあなたではなく、あなたの私であるということ。ああ、いい話でした。

きっと私はこの漫画を折りに読み返すだろう。そのように思いながら、すっかり心を奪われてしまっている自分を思っています。ええ、本当に好きな漫画なのです。

  • 袴田めら『暁色の潜伏魔女』第1巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2007年。
  • 袴田めら『暁色の潜伏魔女』第2巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2008年。
  • 袴田めら『暁色の潜伏魔女』第3巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2008年。

2008年5月13日火曜日

PILOT デスクペン ペンジ

Pilot Deskpen, Pilot Elite and Parker 45 ballpoint pen昨日がセーラーの黒インクなら、今日はPILOTのデスクペン。あんたまた増やしたのかといわれそうですが、今回は違います。買ったんじゃなくて、もらったんです。PILOTのペン習字通信講座に入会すると、なんとペンがもらえるのですが、それがデスクペン ペンジであります。売り文句は、ソフトな弾力と、書き疲れのないバランス設計でペン習字に最適というもの。そして実際にこれを使ってみての感触はといいますと、結構悪くないんです。もっとなんというか、つけペンじみた書き味と思っていたら、そんなことはなくてですね、ああこりゃ使えるぞ、そう思えるようなタッチだったのです。

つけペンというのは、以前に日本字ペンについて書いていましたが、かなり先が鋭くできているといいますか、紙を削って書くような感触があるんです。実際ざらついた紙や弱い紙だと、表面がけば立ってしまい、にじみも出るような、そんな感じ。軽く、軽く書くように気をつけないといけない。万年筆でも軽く書くことを意識させられますが、つけペンはその比ではありません。つけペン使ったあとに万年筆に持ち替えると、まるで天国のような書き心地と感じられる、それくらい違うのですね。

送られてきたペン字ペンは極細EFのニブがついていて、実にこれが私にとっての初のEFと相成ったのですが、いや、もう細い細い。こんなにも細いのかと不安になるくらい細くて、以前、細い細いといっていたボーテックスが太く見えてしまうほどです。しかしこんなに細いと、逆に使いづらいなあなんて思っていたんですが、いやいや、いくらでも使い道はありますよ。例えばアンケートハガキの自由記入欄。あの狭いスペースに思いの丈をありったけ書きたい時には、この細字が役立ちます。とはいっても、雑誌の紙だとにじみがひどく、逆に書きづらいので、官製はがきの地の部分にしか使えないのですけどね。でもこの細字というやつは、他に代えがたい魅力があります。もちろん中字には中字の魅力があるし、それぞれによさというものがあるのですが、細字には細字にしか出せない世界というのがあって、はまる人がいるというのもうなずけます。

私はこのペンをペン字の練習にも使っていて、そうすると確かに持った感じ、バランスなど、ちゃんとしてるなというのがわかります。長さの割に軽く、しかし手にすればしっくりとおさまって取り回しやすい。握りは若干太くなっていて、すべり止めの溝が入っている、けどその太さがよいのでしょう。書いている最中に持ち直したりするようなことはなく、安いけれどもちゃんとしている、好印象の持てるペンです。インクの出は必要充分、ペン軸尻を持った状態、ペンの重さだけで書いても線が引けるのはさすが。力を加えなくても書けるから、疲れにくいってのはあると思います。というか、力を入れると紙を削る心配が出てくる、いや、実際にはそんなことないと思うのですが、けれどこのペン使う時には、ことさらに脱力を心がけているように思います。

実は私は、このペンは市販されていないと思っていて、けれどこないだPILOTのサイトをぼさーっと見てたら、デスクペンのカテゴリに入っていて、もう一本くらい持っててもいいかななんて思ったりしていたところです。いや、そんなにデスクペンばっかり持っても仕方がないんですけど。というか、うちには父の使っていたデスクペンが黒軸、赤軸そろっていたはず。近々、発掘してみたいと思います。

引用

2008年5月12日月曜日

セーラー万年筆 万年筆用 超微粒子顔料インク 極黒

Sailor Kiwaguro carbon black ink万年筆への興味、いまだ冷めやらず。とはいっても、ずいぶんと落ち着きはしたんですけどね。さてさて、最近の万年筆絡みの買い物はといいますと、インクであります。セーラー万年筆が出している黒インク、その名も極黒。これ、ちょっと話題になったので、文具マニア、特に万年筆に興味を持っている人なら聞いたことがある、当然のように知っている、あるいはもう持っていたりするんじゃないかと思うのですが、普通なら詰まるといって万年筆では忌避されるカーボンインクなんですよ。万年筆の機構上、カーボン系インクは粒子がペン芯に詰まる可能性のあるために、使ってはいけないものとされてきたのが、まさかの技術革新、超微粒子顔料、ナノインクを採用したことで万年筆でも使えるようになったというのです。

顔料系インクのなにがよいのかといいますと、耐水性、耐光性であろうかと思います。染料系のインクだとどうしても水に濡れると流れ、光にあたると色が薄れるという性質がついて回るようで、雨の日に届いた手紙、宛先がぐしゃぐしゃになっていただとか、昔の書き物、文字が色あせて読めないであるとか、そうしたことにもなりかねません。ですが、カーボンインクだとそうした悲劇を回避できるというのですね。なにしろ墨みたいなものですから、ちょっとやそっとのことで消えません。

実験してみました。セーラーの極黒と、うちにある万年筆用黒インク二種の耐水性を確かめるべく、書いた文字を水にさらしてみました。

Sailor Kiwaguro carbon black ink

結果は一目瞭然です。極黒は起筆終筆あたりにこそ多少の色の流れが見られますが、目立ったにじみは皆無。たいしてPilot黒、Parker Penman黒は見事に流れています。これは勝負にならんなあ、なんて思いながら、けれど染料と顔料というのはもともとこうしたものでありますから、比較するほうがおかしいって話であるかも知れません。

さて、私が極黒を買ったのはなぜかといいますと、ペンでスケッチをするためなのです。といっても私が描くのではなく、母ですね。絵を描く母に、耐水性の高いインクがあるから試してみてはどうだと、安いペンでいいからコンバータを仕込んで、カーボンインクを使うといいだろうだなんていって、手持ちの余っていたPelikano Juniorを渡したんですね。そして結果は以上のとおり。ペンで描いたあとに、水彩で色をつけるなんていうのも可能。インクの乾きも速いしで、これは使えそうだという評価を得ました。

ただ、少々問題があるとすれば、多少のにじみが見られることでしょうか。線がにじむまではいかないけれど、水に濡れるとちょっとだけ濁りが出るんですね。おかげで色付けしたところが汚くなって、まあこれはそういう用途のものではないから仕方ないのかも知れませんが、なにに対しても万全ということはないのだと思わせる結果でした。

なお、その後ちょこちょこ調べてみたところ、絵を描くような場合にはプラチナのカーボンインクがよいらしく、極黒に比べてなお一層の耐水性があるのだとか。ただ、耐水性に優れるということはペンを詰める可能性が高まるということでもあるから、実は私はこれらインクを使いたくない。おそらく絵を描くこともないだろうから、私がこの二種のカーボンインクを自分のペンに入れるということは、この先もちょっとないだろうと予想されます。

極黒のインクとしての書き味は、なんというか、油のようなぬめりがあって、独特です。自分のPelikano JuniorにはPelikan Royal blueを入れているのですが、これだと紙をこする感触が指に伝わるのに、極黒は擦過感がまったく消えて、ぬーっという感じで線が引かれます。面白いなあ。なんて思うけれど、さっきもいった理由から私はカーボンインクは使いません。いや、絵を描くために使ってもいいかも知れない……。とはいっても、毎日ギター弾いて、字の練習して、写真も撮って、ここに絵を加えるとなったら、いよいよ時間はなくなります。なので、正直ちょっと無理。絵を描きたいと思う気持ちはあっても、それを実現する余裕がもうありません。

いるかの万年筆やさん

2008年5月11日日曜日

お父さんは年下♥

 昨日とりあげた『はっぴぃママレード。』の北条晶が別雑誌で連載している四コマが『お父さんは年下♥』であります。って、なんだか熟知しているような口ぶりですが、いやいやとんでもない。Amazonのおすすめにあがってこなかったら気付かなかったかも知れない、なんていうのは、私は竹書房の雑誌は購読していないからなのですが、つまり今回単行本が初読となります。まったくの前知識なしに、いきなり単行本にて読んだわけですが、はたしてその感想は!? 正直なところを正直に述べますと、ちょっと微妙でした。

もう少し具体的に書かないといけませんね。『お父さんは年下♥』は、母の再婚によって年下の父ができました、ざっといえばこういう漫画です。『はっぴぃママレード。』が36歳女子高生の漫画だとすれば、こちらは18歳父。20歳の娘が、突然やってきた年下の父にとまどい、最初はわずらわしく思ったりしながらも、だんだんに打ち解けていく、そういうプロットの期待される漫画であるのですが、だとしたらもう少し父のキャラクターに魅力が欲しかったとそんな風に思うところがありまして、よって微妙と感じたのでありました。父のキャラクター、気弱で非力で頼りないちびっ子眼鏡キャラで、だから私にショタ好きの属性があれば、きっとこの漫画を受け入れることもたやすかったのではないかと、そんな風に思います。けれど、残念ながら私にはショタの素養はなく、だからぽっと出の頼りない男が、なぜか娘の男性関係にまで口出しする、そういうのはどうだろうなどと、比較的冷めた目で読んでしまった。そういうことなのであろうかと思います。

『はっぴぃママレード。』について、こういうことを書いていました。ストーリーないしはイベント重視というよりもキャラクター主導型。またこうも書いていました。ただネタを見たいのではなく、見たいのはキャラクターの関係性なのかな。キャラクターの魅力によって引っ張られるということに関しては、『お父さんは年下♥』も同様であると思います。そしてこういうタイプの漫画は、ことキャラクターに魅力を見出せないと、すごく残念なことになってしまう。今回のケースは、まさにそれだったのでしょう。私に、この漫画を受容するためのレセプターがなかった。残念です。読み進めるうちに、面白さにくすぐられ、笑ってしまうこともあった。それだけに、この漫画のもつ魅力にアクセスしえなかったことが残念と思われてなりません。

私は、漫画というものの面白さは、第1巻ではなく第2巻から現れるものだと思っています。初期設定が出そろって、キャラクターがこなれ、舞台の整備が一段落するのは、だいたい2巻に入ってから。経験上ではありますが、そんなこと思っています。そして、それくらいになると、読者と作者の申し合わせもできていて、どういう玉を投げれば受けてもらえるか、投げる側と受ける側、双方ともに諒解が済んでいるから、のびのびと投げて受けてを楽しむことができる。そんな風に感じることが多いのですね。

『お父さんは年下♥』は、第1巻時点においては、正味主要な登場人物といえるのは父母娘くらいで、他のキャラクターは匂わされながらも、まだその魅力を発揮できていないといったところかと思います。だから、面白くなるのは、彼らの立ち位置がよりはっきりとして、生き生きと動き出す次巻以降なのではないかと予感しています。私の読んだ感じでは、まだ場は暖まっていない。だから舞台が整うだろう2巻に期待したいと思います。

ただ、思うんですが、連載で読んでいるうちに充分に暖まった漫画と、いきなり単行本だけで評価される漫画、えらい不公平だよなあと思います。ええ、『お父さんは年下♥』は、今回、アウェイでの勝負でありました。

  • 北条晶『お父さんは年下♥』第1巻 (バンブー・コミックス) 東京:竹書房,2008年。
  • 以下続刊

引用

2008年5月10日土曜日

はっぴぃママレード。

 眼鏡を外すと美少女というのはよくよく見られる設定ではありますが、眼鏡を外すと女子高生になるというのは斬新というか、他に類を見ません。かくしてこの漫画『はっぴぃママレード。』は、世にも珍しい眼鏡を外すと女子高生になる主婦がヒロインの漫画であります。というか単に女子高生というスタイルに非日常性を求めるさなえさんが、普段の自分らしさを感じさせる眼鏡というアイテムを忌避しているだけ、であるような気もするのですが、まあそんなことはどうでもいいことです。36歳の子持ち主婦が、かつて病弱であったために断念せざるを得なかった高校に通いたいと、息子の通う学校に入学、クラスメイトになってしまったことからはじまるドキドキコメディ四コマ、それが『はっぴぃママレード。』であります。

しかし、36歳で16歳に溶け込んで違和感がないというのは、とてつもないことであるなあと。クラスの男子をとりこにし、担任教師を惑わすばかりか、実の息子をさえドキドキさせてしまうその魅惑。てえしたもんだ。と感心しながら、実際この漫画の魅力の根っこには、ヒロイン相羽さなえのキャラクターがあると思っています。成績は悪く、どちらかといえばおっちょこちょいの悪乗りするたちで、けれど前向きで明るく、楽しむことに関しては貪欲、イベント大好き、食べるの大好き、女子高生でいられる限られた時間をフルにエンジョイしようとしていることが伝わってくるような、その前のめりの姿勢はやっぱり素敵だと思うのですよ。それでもってあの外観 — 、とかいっていますが、私は女子高生相羽さなえより、主婦相羽さなえの方が何倍も好みであります。

登場人物は相羽さなえの家族、息子武史と父(夫)丈史、高校クラスメイトでは大崎茉莉花に三田がいて、あとは養護教諭の吉村華子、茉莉花の兄巧弥くらいでしょうか。この中では武史と三田がぱっとしないものの、というか普通なんですが、あとは妙に個性強めで、そうした主張の強いキャラクターがどたばたしているのを見るのが楽しくて、こういうところ見ていると、ストーリーないしはイベント重視というよりもキャラクター主導型。けどキャラクターにこそ魅力があるから、これがよいのだと思えるそんなバランスです。それぞれのキャラクターがもっているネタのパターン、それを繰り返しながら、関係が深まるにしたがって、新たなネタの派生が見えてくる、そんな感じ。けど、ただネタを見たいのではなく、見たいのはキャラクターの関係性なのかなと、さなえと華子のふたりを見ていると思えてきます。最初は対抗心むきだしだった華子だけど、だんだんさなえに取り込まれたみたいになって、そうした様子は純粋に見ていていいなあと思うものですから。

和をもって貴しと為す、仲良き事は美しき哉、そうした言葉もあるように、和気あいあいとした雰囲気、それがなによりと思います。そして、こうした四コマに求められているのは、仲良きことであるのかも知れないと、個性を少しずつ違えたものが仲良くしているという、そういうところがうけるのかも知れないと思うのですね。とすると、この漫画の、年齢も世代も違うもの同士が育んでる友情ってのは、なんだかすごくいいものであります。

2008年5月9日金曜日

そこぬけRPG

  そこぬけRPG』では一回書いてるから、今回は書かない、もしくは後回しでいいかなって思っていたんですが、たまらず読んでしまいました。連載でも読んでるのにさ、なのに読みたさを抑えることができず、よっぽど好きなんだなあと再確認した次第です。しかしなにがいいのかといったら、主人公のゲボキューの扱いじゃないかなあと思うのですがどうでしょう。ゲームを作りたくてゲームメーカーに入社したのに、広報の女王様に見初められたがために、広報で会報誌作る羽目になって、けどそれでもなんだか楽しそうだからいいじゃん。毎月締め切り近づけば修羅場だし、仕事なんて楽しいばかりじゃないけど、それでもやりがいってもんがあるんだよって、そんなメッセージが聞こえるようで、けどじゃああんたはあそこで働きたいかと聞かれたら、即座にノーサンキュー。私じゃあんなのもちません。

けれど憧れの職業があるっていうのは正直うらやましいなあなんて思ったり。だって、私はあんまりそういうのなくて、なんとなくその時々の状況に流されて今まできてしまって、そしてこれからも流されていくんだろうなっていう予感がひしひしとしていて、いやもう、なにこの主体性のなさってな話ですよ。こんなだからがんばれないんだろうなあって、それこそこの漫画に出てくる広報にせよ開発にせよ、会社に泊まり込んで徹夜で働くようなそんな苛烈な働きかたしていますが、私がそれに耐えられないって思うのは、そこに目指したいものがないからなんだろうなとそんなこと思って、だからつらいの苦しいのいいながらも、仕事に打ち込む広報面々見ていると、なんだかうらやましいような気もします。

とまあシリアスぶるのはこのくらいにして、あとはもうほどほどに。この人の描く漫画についての印象はこれまでも散々いってきたわけですが、やっぱり今回もそれに尽きるような気がします。気も強ければ押しも強い女性が、理不尽、横暴、傍若無人に大活躍して、ゲボキューならずともまわりの男性は振り回されっぱなしっという、その勢いやら元気である様やらが素晴らしく、けどああいうの、一般には男受けが悪いんじゃないかなあと思うのですが、でもまあ私は大好きです。いやね、やっぱりね、女性が元気がいいっていうのはよいですよ。姉さん、ついていきます、っていうか、もう好きにしてくださいっていうか。けど、全身ラメピンクは勘弁して欲しい。というわけで、私は広報よりも開発の女王様が好きです。

第2巻での見せ場は東京ゲームショウならぬ東京ゲームエキスポであろうかと思いますが、新作ゲームの発売に合わせて宣伝機会をフルに活用しようという、そこでの悪乗りっぷり、主に社長のですが、なんか面白そうだなあと思って、いやあんなわがまま上司っていうのも困り者だとは思うのですが、横暴女王様がいて、わがままトップがいて、盛大に振り回されながら、日々をがんばる。表舞台にて光をあびる者がいれば、舞台裏にて支える、そんな役割もあって、けれどそうしたいろいろな仕事が全うされているからこそ、できあがるものがある。新作発売に関する一連の流れは、そうした働くということをよく描いて、なんだかいい感じでした。特に同期集まってのわいわいとした雰囲気は、日頃ののりとはまた違ったよさがあったと思います。

ところで、収録されてるかなどうかなと思っていたバレンタイン決戦は、3巻に持ち越しみたいですね。いやあ、あれが大変に素晴らしかったので、こりゃもう3巻今から心待ちです。といっても来年かな? あるいは二誌連載になったから、今年中もありえるのかな? いや、もうほんと、楽しみであります。

  • 佐藤両々『そこぬけRPG』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 佐藤両々『そこぬけRPG』第2巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年5月8日木曜日

乙姫各駅散歩

 『乙姫各駅散歩』の単行本が出ると知った時、嬉しかった。龍宮からやってきた乙姫が浦島太郎の子孫の家に居候をする。それだけの漫画です。けれど、それだけのことがこんなにも豊かに感じられるんだから、まったくもって侮れません。まだ幼さを残す乙姫のまわりには、ゆったりとして穏やかな時間が流れていると感じられて、読んでいるだけでやすらいだ気持ちになれます。浦島太郎の子孫である江太は、少々線は細いけれど、優しくて情の深い少年で、乙姫にちょっと引かれるところもあるのかな。けれど恋愛のそれというほどでもない。だからといって友人のようでもない。ちょっと恋するような憧れをもって、家族というか親戚というか、そういう近しい距離にいる、そんな彼らの出会う風景が愛おしく感じられて仕方がないんです。なんだかすごく幸いな漫画、情の深さ、温かさが染みてきます。

そして私はこの漫画を前にして、なにを書いたらいいんだろう。はじめての地上世界で出会うものことすべてに、驚きと興味を隠せない乙姫が輝いて見える漫画です。乙姫をまるで実の娘のように受け入れてかわいがる江太の両親に嬉しくなってしまう漫画で、引っ込み思案の江太を後押ししてくれるナイスガイ町田に男惚れしてしまう漫画で、そして江太の初々しさに目を細めてしまう漫画。けど、こんなこといくら書いても、ちっともこの漫画の魅力にはたどり着けないような気がします。乙姫や江太、さらには江太の母もなんですが、やたらかわいく思えても、それが魅力のすべてではない。皆がそれはそれは仲が良くて、心配しあったり、助け合ったりする様子に胸の奥がじんとすることがあっても、それを取り上げてなにをか語ったつもりにはなれません。

じゃあ、いったいなにが魅力なのでしょう。そう考えると、実に難しい。今まであげたようなこと、それらがすべて混ざり合った総体が魅力であるのは確かだけれど、そこには言葉にしにくいなにかがあって、どうにもつかみあぐねていると、そのように感じるのです。理性よりも情緒の世界、不確かだけれど確かで、けれど、確かなつもりでいると取りこぼしてしまうような、そういう危うさがある。だから私たちは、驕りを棄て、素直な気持ちで、確かめ続けないといけない。それが大切であると思うなら — 。こうして書いてみれば、私がこの漫画に感じる魅力というのがなにであるか、少し見えてきたように思えます。

それは、愛おしい人や世界が、そこにあってくれるということの幸いであるのではないでしょうか。傍にあれば当然と思い、しかしそれを当然としてないがしろにすれば失ってしまう。この漫画には、その失われるかも知れないことを内心怖れる気持ちがあって、だからこそ今のこの時間を愛おしんでいる、そんな傾きが感じられます。そして、その愛おしむ気持ちが私の心に触れるから、私もなんだか彼らの世界や時間をともに愛おしみたく思うのです。これは、つまりは、愛なのでしょうか。幸いと安らぎが心にあふれてたまらない、その源泉は愛に似た感情であるのかも知れません。

  • 矢直ちなみ『乙姫各駅散歩』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年5月7日水曜日

PEACH!!

 『PEACH!!』は『まんがタイム』の巻末に連載されている漫画、すなわち大トリを飾っているというわけなのですが、これが実に面白くてよいのです。東北のひなびた温泉旅館を舞台としていて、旅館桃の湯では女子高生女将がお出迎え、なんてこといっているくせに、旅館業を取り仕切る細腕繁盛記といった風よりも、もっとこうなんというか、ナンセンスな味わいが利いた逸品、読めば笑わずにはおられない、そんな感じであるんです。第一、設定からがナンセンスです。桃の湯は私立聖愛学園の温泉部がやっている旅館。つまり従業員みんな女子高生、ってのはまあいいとして、部活動ってどうなんだ。描かれることは少ないけれど、女将広能をはじめとする従業員、というか部員は、日中は学校に通っていて、部活すなわち旅館は平日の早朝放課後だけらしい……。

そんなあり得ない設定を作っておきながら、なんの問題もなく旅館は営業されていて、そうしたところもナンセンスです。ヒロインは多分広能、ツインテールのかわいい娘なんですが、女将(部長?)であり板前でもあるという、まさしく桃の湯の屋台骨であります。欠点といえば、うんちくしゃべらすと止まらないことと、打たれ弱いところかね。あと、停学が多いってところか。こうしたうんちくや打たれ弱さ、それから停学なんかはシリーズになっていて、集中的に展開されたり、あるいは思い出した頃に出てきたりしましてね、こちらは心待ちにして読んでますから、出てきたらそれだけでうれしくなってくる、笑う準備もすっかりできているという具合です。そもそもあれらネタは、そうした準備なしでも充分に面白い、単体で勝負して笑いをとれるネタだと思うんです。だからなおさら贅沢。派手さでみせるのではなく、こなれたネタでくすぐりを入れるのが実にうまい、ベテランらしい安定感も魅力であろうかと思います。

こうした定番ネタを持っているのは広能だけではなく、美人仲居武田や常連客岩井なんかも同様で、最近は岩井の後輩相原なんかも活躍しつつあるけど、第1巻の時点では広能、武田、岩井を押さえておけば充分でしょう。というわけで、巻頭の人物紹介にはこの三人だけが載っていて、つうかイラストに名前しか描いてないというのもすごいな。このシンプルな紹介の仕方は、桃の湯が温泉旅館でかつ部活動という情報が提示された時点で、彼女らの役割が完璧に説明されるからなのでしょう。つまり旅館の側の人間は、制服によって女子高生であることが示され、羽織っている法被で旅館で働いていることが充分に知らされるわけです。客なら浴衣ですね。こうした特徴的な小道具で、キャラクターの立ち位置を表現しているから、細々とした説明はいらんわけです。おかげで、少ない時で4ページしかない連載でも、充分に内容を伝えることが可能。一見さんにもナンセンスな旅館コメディは楽しめるし、常連ともなれば、もう彼女らの人となりは充分わかってるわけですから、それ以上の面白さに触れることができる。

ええ、これは実にいい漫画だと思います。シンプルにして味わい深い、目立たぬところに手がかかっている、そんな感じの漫画であります。

  • 川島よしお『PEACH!!』第1巻 (まんがタイムコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年5月6日火曜日

GENERATION XTH -CODE HAZARD-

「ジェネレーション エクス」応援バナー 蒼狼ゴールデンウィーク突入のころ、私の迷宮生活もまた開始されたのでありますが、えー、めでたくゴールデンウィークも終わろうという本日、GENERATION XTH、クリアいたしました。とはいっても、シナリオクリアです。本筋をクリアしてエンディングを見たというだけに過ぎず、つまりまだクエストは残っているという状況。パーティは昇龍、ウシワカ、ブリュンヒルト、ヨシュア、エンジェル、ツクヨミという、実にスタンダードな編成。ええと、侍戦士ロード(バルキリー)盗賊僧侶魔術師と思ってくださるとだいたいいいと思う。で、クリア時のレベルは15, 15, 14, 15, 15, 15、一人を除いてみんなマスターになっておりました。まあ標準より少しゆっくりしたクリアなんだと思います。クリアタイムはおよそ26時間。残りクエスト消化して、転職、アイテム集めなど堪能したら40時間オーバーってところでしょうか。死亡回数は6回、全滅は幸い0。今回は救出用パーティを作ってなかったから、全滅しなくて済んで本当によかった。全滅後に新パーティ編成して、拾ってきたら欠けていたとかだったら、そこでへこたれていたかも知れません。

以前にもいっていましたが、G-XTHは少々きびしめのバランス、でも理不尽というほどではない難度が絶妙だったと思います。多分、オリジナルのWizardryの方が厳しいんじゃないかと思うのですが、だって、呪文を使いまくるような敵もいないし、驚かされる、ブレス、全滅という凶悪なパターンもないし、小まめに回復しつつ、余裕を持って帰還を心がければ、死人出まくりというような事態は避けられます。実際、私の死亡者を出したケースは序盤に集中していて、複数攻撃呪文を覚えるまでが厳しかった、なので、最初さえ乗り切れば、おおむねシナリオクリアまでは安定して進められるというバランスであるようです。

とはいえ、まだだいぶ敵リストが空きのままですから、本当の戦いはこれからなんでしょう。ほんと、レベル15のパーティでなんとかなればいいんですけど、Wiz XTHあたりの経験からすると、きついのはおそらくこれから、どう考えてもまともに太刀打ちできないようなやつが出てきそうな気がします。後衛が軽く一撃撲殺されたり、献身(イージス)君主が首切りやら状態異常やらでパーティ全員浮き足立ってみたり、いやそれが楽しいだなんていうのかも知れませんが、正直いやなもんですよ。あと、深瀬にはまって全滅一歩手前パターンっていうのがあるな。Wiz XTHでもWiz XTH 2でもやったからな……。あんときはほんとどうしようかと思ったもんだ。

安全に蘇生するためには、学園に戻らず、オープンパンドラ(マハンマハン)で復活というのがセオリーですが、それは敵が逃がしてくれてからの話なので、状況によってはもうどうしようもないわけです。コールポータル(マハロール)逃げだと石の中に送り込まれかねないし、リターンゲート(ロールフェイト)逃げだと街にまでいっちゃうので、オープンパンドラでの蘇生ができない。ということは、エスケープ(ノードレイ)が頼りになりますが、果たしてそうそううまくいくものか。サイコード(超術呪文)が使える人間が生き残っていることが肝心、けどうちのヨシュアはそんなに打たれ強そうじゃないからなあ。というわけで、クリア後こそが深入り禁止なのでありますね。

シナリオ感想は、ネタバレになるからあんまりいいたくない。楽しい学園もの、罪のないラノベテイストって感じではない、微妙に嫌な感触、後味の悪さの残る話ではあります。とはいえ、最低限の救いはあるのだけれども、けど、あれってやっぱり最低限だよなあ。なんか、悲しくなってくるんだ。私は共感性高目のプレイを心がけているのですが、というかもともとそういう性質であるのですが、だからなおさら。尊厳とか、そういう点であれはきつい。そして、諸悪の根源たるあやつを始末できなかったのがあれだよなあって、いや、奴はこれから裁かれるんでしょうけどさ、でもさなんならあそこで異形化してくれたほうがよっぽどよかった。だって、あの場できっちり片をつけられたわけだからさ、なんて思う私は、きっと裁判員には選ばれてはならない類いの人間です。

そのへんの後味悪さが、シナリオクリア後のクエストで解消されることを望みつつ、そして二学期以降を期待しつつ、これからも地道に進めていきたいと思います。シナリオの後味悪さに関してはWiz XTH 2からの伝統とでもいいましょうか。それはもとより意図されたもので、そしていつか癒えるもの、八方丸くおさまるというおとぎ話でないのは織り込んだうえで、これから先にまみえるものに期待しながら、楽しみを繋いでいこうと思っています。

「ジェネレーション エクス」応援バナー 無双

2008年5月5日月曜日

けいおん!

 去年でしたかおととしでしたか、『のだめカンタービレ』が大ヒットしたせいか、やにわに音楽系漫画が増えました。といっても、私の読んでいる雑誌は主に四コマ誌なので、他のジャンルに関してはよくわからないのですが、ともあれ増えたんです。吹奏楽ものがみっつだっけ? それでバンドものがふたつ? もしかしたら忘れてるだけでもっとあったのかも知れないけど、面白いものもあれば微妙と思うものもあって、けど今残っているものはそれぞれによさを持っていて、面白い。最初は微妙と思っていたものも、だんだんに生き生きとして、売りになる部分を打ち出してきたといいますか、あるいは私がなじんだのか、いずれにせよ、これら音楽系漫画、皆がんばって欲しいものです。

そんな音楽漫画花盛りの中、他に先んじて単行本化された『けいおん!』。正直、私びっくりしました。いや、面白くないなんて思ってない。好きで読んでるし、面白いと思った時には、素直にその旨表明してきて、しかしこんなに早く単行本になるとは思ってませんでした。ということは、よっぽど人気があるのか、よほど反響が大きかったのか。大したものだと思います。

この漫画の主人公は、なんだか妙にうかつな平沢唯。といいたいところですが、彼女が前面に出ることが多いだけで、軽音楽部の面々、皆が主人公という感じであります。タイトルの示すとおり、軽音楽部での活動が描かれる漫画で、ですが、だからといってごりごりの部活漫画ではありません。音楽を追求し、更なる高みを目指す! なんていうような雰囲気は皆無にして、日頃は皆で楽しく茶話会、文化祭などイベントが近くなれば慌てて練習に入るというような、そんなのりが学生時分の日常の緩やかさを思い出させてくれるようなのですね。それこそテスト目前になるまで予習も復習もしたことないぜ、ってタイプの人にはなんだか共感できるところも多そうな、そんな漫画であるんです。

なので、音楽に没頭して、ギター弾きまくり、バンドは練習しまくりといったような漫画を求めている人には向かないんじゃないかなと、そんな風に思うんです。いや、だってね、私にしても、お前らもっと弾け! もっと音楽に打ち込もうよ、なんて思うことが多くてですね、漫画のはじまった当初こそはギターネタやなんかも多かったのに、だんだんと出なくなって、最近ではちょっと物足りなさも感じるほど。これはもしかしたら、高校時分吹奏楽なんてやってたからかなあとも思うんですが、なんと申しましても、あの世界、ちょっとおかしいですから。走り込みやらせたり、腹筋だとかトレーニングやらせて、楽器持ったら基礎練習、パート練習、合奏と追い回されて、そいでもってうまくいかんかったりしたら、総括、反省会だよ。あの異様な雰囲気、全体主義臭さとでもいおうか、私はもう大嫌いで、その割に十年くらい吹奏楽に関わっていたんですが、今はもう駄目、近寄れない。とかいいながら、それでもそうした体質気質が残ってるのかも知れないですね。『けいおん!』ののほほんとした楽しい部活見ていると、お願いだからもっとギターネタ増やしてくださいという気になってしまう。おお、いやだ。そういう小うるさいOBが嫌で仕方なかったというのに、気付けば自分がそうなってるのか!

閑話休題。でも、もうちょっと音楽ネタが多かったら嬉しいんだけどな、などと思いながら連載を追っていた『けいおん!』。ところが単行本で読むと、連載で読んでいた時のようなフラストレーションはなくてですね、むしろこれくらいがいい塩梅と感じたのですね。ページ数が限られているところにネタを詰め込めば、どうしてもぎゅうぎゅうの余裕のない展開になってしまいがちですが、もしそうしたテンションで単行本一冊が構成されてたら、読んでしんどい漫画になっていたかも知れません。ある程度の緩さを売りにするこうしたスタイルであればなおさらで、だから連載時に少し薄いかなと思うくらいで単行本は丁度よいみたいです。単行本なら、数ヶ月のスパンで進行する流れにうまく乗って、読み進めていけるわけですから、本当、この漫画に関しては断然単行本で読んだほうが面白さをつかみやすいと、そんなように感じます。

ところで、ヒロインのうち、ギターの唯はレス・ポールのオーナーで、ベースの澪はレフティであるのですが、どうもこれは作者がレス・ポール弾きでかつレフティであるからだそうです。そしてあとがきには、そのうち左利きの苦悩みたいなのを漫画にできたらいいなあとの発言が。ああ、そうそう、そういう美味しいネタをバンバン出してもらえるとすごく嬉しい、特にレフティの苦悩は私にはわからない世界でありますから、がぜん期待は高まりますね。なので、本当によろしくお願いします。

  • かきふらい『けいおん!』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

引用

  • かきふらい『けいおん!』第1巻 (東京:芳文社,2008年),118頁。

2008年5月4日日曜日

S線上のテナ

   『S線上のテナ』は『まんがタイムきららフォワード』で連載中の漫画、作者は岬下部せすなであります。岬下部せすなというと、先日書いた『ふーすてっぷ』の作者、つまり同月に単行本が二冊出ているんですね。こうした傾向見ますと、人気があるんだなあと推察されて、確かに私もこの人の漫画は好きだから、嬉しいこと、ありがたいことだと思います。といいながら、これまで『S線上のテナ』については一度も書かなかった。連載でも読んでるし、単行本も買ってるんですけどね。なのに書かなかったのは、書こうとしてもなにを書いたらいいかわからんかったからなのです。そして今、やっぱりなに書いたものかわからず、この先どうしようと弱っています。

このなんともいえん感、原因はわかってるんです。この漫画の設定もろもろが音楽をベースにしているという、それが私にとっての引っ掛かりになっていて、例えば登場人物の名前は音楽用語や楽器をもとにしているであるとか、そして命の譜面を調える力を持った調律師たちという設定。主人公は駆け出しの音楽家恭介。彼のもとに調律師テナが現れたところから話は始まったのですが、恭介の持つ特殊な譜面を巡り繰り広げられる調律師たちの攻防に巻き込まれるかたちで、恭介は普通の世界から調律師たちの世界へと導かれていく……。とまあ、こんな感じの話であります。

そして私はこれを読む時に、音楽に関するもろもろを遠くに追いやりながら読んでいます。いや、名前が気になったりはしないんです。いや、そうでもないか。ともあれ、音楽をネタのベースにしているものだから、いろいろ音楽絡みの用語やらなんやらが出てくるのですが、その度にそれらのバックグラウンドやらもろもろがばばばっと思い出されてきて、ああ、もう、うるさいうるさい、今は関係ない、って追い払いながら読んでいるわけなんです。おかげで、どうにもこうにも楽しみにくい。こういうたとえが妥当かどうかはわからないけれど、昔のハリウッド製ニンジャ映画を見ようとする時にですね、日本や忍者に対する知識が邪魔をすることってありました。けど、あれらは別に現実の日本を描く映画でないからそれでいいんです。同様に、『テナ』も音楽を描く漫画でないのだからこれでいいんです。瑣末な、枝にもならない部分に引っかかることなく、漫画の本筋を読めばいいんです。

と、わかってはいるんですが、どうしてもつまずく。もうこれは仕方ないんかなあと、へこたれそうになりながら読んでいます。ことに私は没入して読むタイプの人間ですから、引き込まれる前に引き上げられるというのは実につらいもので、おかげでなにを書いたらいいかわからないということにもなってしまって、ああ、これはもう仕方ないんでしょう。などいいながら、仕方ないながらもつくづく残念と思われてなりません。

  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 岬下部せすな『S線上のテナ』第3巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊

2008年5月3日土曜日

コンシェルジュ

   コンシェルジュ』、これは駄目だ。健康な生活を破壊する。私がこの漫画をはじめて読んだのは、4月30日水曜日のこと。試し読みの1巻があまりに面白かったものだから3巻まで買ってみたところ、それこそ予想した以上の読みごたえでした。それですっかり打ちのめされて、翌日5月1日残る既刊を揃えたらば、その日の就寝午前5時。連休中にゆっくり読めばいいのに、やめられなかったのですね。でも、一通り読んだのだから、もうおさまるだろうと思ったらそれが甘かった。なんの気なしに手に取ると、やっぱり止まらない。昨夜の就寝午前4時。って、いったい私はなにやってるんだろう。面白いのはわかるけど、何周も何周も読んで飽きないっていうのは尋常ではありません。もはや中毒といってもいいくらいです。

いや、本当に考えなければなりません。この数日、漫画読むことに精力傾けすぎて、日課を全然こなせていないのです。かろうじてBlog、サイトの更新はやれているけど、その他がまったく駄目です。ギター弾く時間は減ってるし、ペン習字の練習もとばしてるし、日記さえつけていない。買った雑誌も読んでないし、ゲームだって滞ってる。問題です。ただでさえ時間がなくて、やるべきことをこなせないと日頃からいっているというのに、さらに輪をかけてなにもできない。ちょっと『コンシェルジュ』は箱詰めしておく必要があるかな、そうして隔離しておく必要があるかなと、それが正直なところであるのです。

しかしこれほどはまるとは思いませんでした。読んで面白いし、それにためになる、それくらいのものだと思ったんですが、もうまったくの読み違いです。面白い、それは掛け値なし。ためになる、そう、忘れがちのこと、心を砕くということの意味を思い出させてくれる。けれどそれだけじゃない。その先があるのです。その先、それはこの漫画の語りかけてくることです。私たちの世界にはいろいろな人があって、人が人と関わるというところにドラマがある。これがこの漫画の描くところであるのですが、しかしただ絵として、筋書きとして提示されるだけだったら、私は、ふーん、面白いね、それにためになる、それだけで終わらせたでしょう。ところが、それだけで終わらなかった。終われなかったのは、この漫画が描いていることを漫画そのものが実践している、そう感じさせたからです。読み手に楽しい時間を提供すること、それを当然の前提として出発し、その上に更なる積み上げをやっています。それこそ、細部にまで神経を行き渡らせているというべきか、ホテルの従業員や設備、小道具などは可能なかぎりの一貫性を持って描かれているから、よくよく読み込めば、表立って語られていないことも見えてきます。

例えば、5巻から6巻にかけて展開された「ハート・オブ・ザ・クインシーホテル」。ここで提案された数々の改善案。ストーリーの上で採択されたものはふたつ、そのように感じられますが、実はまだあるんですよ。それは9巻「王様のもてなし」を見ればよくわかります。けど、こうしたさりげないものだけじゃありません。私の特に好きな神戸のシリーズ(9-10巻)。あの一連の話の結論は、実は一番最初にそれと明確に示されています。11巻「人の器」、そのテーマは実に3巻「ニューフェイスは完璧主義者」からのロングパスです。前者は事前に意図して設計されたものでしょう。後者は、ひとつの話を作るにあたり、過去のテーマを掘り起こした例でしょう。この掘り起こしは、ただテーマを反復し印象を強めるというだけでなく、そこで語られていることを理解し、自分の言葉として伝えられるまでになったという成長、人間性の深まりを雄弁に表現しています。

ディテールへの傾き、そして構成の工夫、これらは個々のテーマを強調し、印象づけるだけでなく、『コンシェルジュ』という作品を貫徹するカラーを決定し、その個性を際立たせます。ただ職業ものをやっているだけのつもりはないし、なんだか含蓄ありそうなことをしゃべらせればうけるだなんて思っちゃいない、そういう作り手の自負が感じられて、そしてそれら徹底した作り込みを読者に伝えるための表現が素晴らしい。キャラクターが生きている、それは絵の力でしょう。個性、性格が立ち居振る舞いから読める。キャラクターの登場時に見られるぶち抜きの立ち絵は、そのキャラクターの魅力を前面に押し出したピンナップ的サービスでありながら、その実、彼彼女はこういう人なのですよ、そして今この人はこんな気持ちでいるんですと告げる紹介であるのです。端々に見られる表現の上手は、明らかにこの作品の説得力を支えるしなやかにして強靱なばねです。それは言葉に、筋に、内容に、実を与え、そして実を奪いさえする。そう、心のうちから発せられた声に真実の輝きが与えられたかと思えば、なおざりな言葉、安易な受け売りに対しては、その軽薄であること、うかつな様をはっきり伝えてくる、そんな漫画なのです。

よいものに触れた時など、その感動を俗にしびれるなどと表現することがありますが、実は私は文字どおりしびれるのです。両手の指の関節が、しびれたようになってむずがゆくなるのですが、『コンシェルジュ』を読んでいる時には、本当にしびれっぱなしです。もちろん好きで好きでたまらない話があれば、それほどと思うようなのもある。それは実情、すべてを最高だなどとはいいません。けれどこと『コンシェルジュ』という総体に関しては、最高であると自信を持っていえます。真面目なテーマを扱いながら、遊び、小ネタ、けれん、皮肉なんていうものもたっぷりと盛り込んで、しかしそれがバランスよくおさまってる。いや、たまに遊びが過ぎるようなこともないわけではないけれど、でも真面目ばっかりでもない、遊びばっかりでもない、両者を程よく掛け合わせて、楽しさ、面白さ、こっけいさ、爽快さ、そして深さや感動 — 、多種多様な印象をちぐはぐでなく盛り合わせてくれる、この感触は一級です。しかもここにまだ伸び代を感じさせるというのですから、本当、恐るべき漫画であると思います。

  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第1巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2004年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第2巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2004年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第3巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2005年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第4巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2005年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第5巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2006年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第6巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2006年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第7巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2006年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第8巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第9巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第10巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第11巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第12巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2008年。
  • 以下続刊

2008年5月2日金曜日

コンシェルジュ

   『コンシェルジュ』、これが素晴らしい。その存在は以前から知っていたんですが、なんとなく敬遠してきて、というのは、うんちく系の漫画といいますか、そういうのはちょっともういいかなと思うところがあったものですから。ですが、それは誤解でした。おとつい、水曜日、天満橋のアバンティに寄った時のことです。店内をぐるりと巡ってみたら、棚三本、中段をぶち抜きで使って『コンシェルジュ』全巻が面陳されていたのです。それはすごいインパクトでしたよ。思わず足を止めましたもの。けれどそれだけでは済まなかったのですね。私が次に気付いたのは、第1巻、ご自由にお読みくださいとの表示でした。誘われるままに手に取って、読みました。最初はそれこそパラ見だけのつもりだったのに、引き込まれるままに読んでしまって — 。私は自分にルールを課しています。書店での立ち読み、もしそこで一定量を読んだならば、その本は買うに値する本であるのです。だから買いました。一度に全部というのはきつかったので、とりあえずは3巻まで。そして後悔しました。せめて5巻まで買っておくべきだった。3巻ではおさまらない。どうにも気持ちが収まらなかったのです。

翌木曜、つまり昨日ですが、残りをすべて買いました。できれば出会いを作ってくれたアバンティでといいたいところですが、本買うためだけに天満橋にまでいくのは正直きつかった。なので帰り道に行き付けの書店まで遠回り。ここなら絶対揃っているという信頼があるのです。そしてまさしく揃っていました。書店には書店の傾向があり、こういう本が欲しいならどこにいけばいい、本好きはちゃんと知っています。最近は地上三十階書店でなんでもすませてしまうことが増えましたが、昔はそうではありませんでした。書店にはそれぞれの個性があって、棚の景色が違っていました。町のちょっとした書店でもそれは一緒で、覗いてまわるだけで面白い。出会いがある。ただ新刊を並べただけじゃありませんよという、書店の気概が感じられた。そういう点では、天満橋のアバンティは私にとって今一番新鮮な書店です。私の通うどの書店とも違った棚を作っていて、すごく魅力がある。うん、書店は棚で客に話しかけるのですよ。こんな本はどうですかと、お探しの本はこういったものではありませんかと、棚が雄弁に語りかける書店。私はそんな個性的で人懐っこい書店が大好きです。

そして私が『コンシェルジュ』という漫画にこんなにも引かれたのも、個性と人懐っこさのためであろうかと思われます。この漫画に登場するホテルパーソンたち、皆それぞれにチャーミングで魅力にあふれています。ホテルにおける究極のサービス、ああ、私はこの究極だとか奇跡であるとかを警戒していたのですが、宿泊客の要望に可能なかぎり応えようと奔走するコンシェルジュの仕事をダイナミックに描いた漫画です。

主人公は最上拝。見た目こそはぱっとしないけれど、ニューヨークでコンシェルジュを勤めていたという経歴を持つ一流のホテルマン。宿泊客の要望を叶えるべく、経験、人脈、発想、工夫、そして自らの足でおこなう調査、あらゆる手だてを講じ、無理難題をクリアする。その過程、問題が解決に向かうという様子も痛快であれば、またそこに絡められる人の心の機微。サービスとはただ求められることに応えるだけのものではないのだというメッセージが効くのです。けれどもしこの漫画が、スーパーコンシェルジュとしての最上の活躍のみを描くものであったら、続刊を買いに走るようなことはなかったでしょう。どんな無理難題でも、最上が解決してくれる。最上だから特別なんだ。この漫画はそんなことは決していいません。

ヒロイン川口涼子が秀逸でありました。やっとの思いで潜り込んだホテル業界。しかし特にホテルパーソンを目指したわけでない彼女は、コンシェルジュ部門にまわされるものの、その仕事がどういうものであるかを知りません。まさしくゼロからのスタートをする彼女は、コンシェルジュという仕事を知ろうという私たちの代理人であり、そして漫画の花、彩りであり、そしてうかつな狂言回しである、と思っていたらなんのなんの。最上という上司を得、彼のなすことに感嘆していたばかりの彼女は、自分にできるもの、ことを模索し、奮闘する。悩んだり迷ったりしながらも、ベストを尽くそうと一生懸命で、そして少しずつ様になっていく。それは最上の教えた筋ではあるけれど、最上とは違う、そんな彼女独特のスタイルで、確かにスマートではなかったし、迂遠であったのだけれど、しかしそうした姿が伝えるものは確かにあります。正直、この漫画を読むと、コンシェルジュとは素晴らしい仕事だと思えてきます。いや、コンシェルジュだけでない。数多く描かれるホテルのスタッフ、ただのモブではない彼彼女らの存在がうったえるものがある。誰かのために最上を尽くそうとする、それがサービス業であるというのなら、それはどんなに尊い職業であろうかと、そう思わせる説得力にあふれている漫画なのです。

そしてキャラクターの魅力でしょうね。最上という男、そして涼子だけでない。コンシェルジュ部門の六人、他のスタッフ、常連客から、ライバルホテルの人間まで、それぞれが異なった性格、欠点、得意分野を持っているのですが、有り体にいって極端に強調されたそれら特徴は、読み進めるごと、読み返すごとに彼彼女らの印象を色濃く変えていって、忘れ難くするのですね。一人一人に人格がある、ストーリーがあると感じられて、ああこんな人たちのいるホテルがあるのだとしたら利用してみたいものだ、そう思わせる魅力にあふれているのです。もちろんこれは漫画だから、現実にはこんな破天荒なホテルはないでしょう。だから、本当に夢のホテルなんだと思います。しかしそれが夢のようだというのは、コンシェルジュがお願いを聞いてくれるからではありません。人間が生き生きとしている現場であるからです。人の息吹が、人の存在感がしっかりと感じられるから。つまりこうした感触こそが、この漫画が生み出し、提供してくれる価値であるといっているのですよ。

  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第1巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2004年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第2巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2004年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第3巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2005年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第4巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2005年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第5巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2006年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第6巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2006年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第7巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2006年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第8巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第9巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第10巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第11巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2007年。
  • いしぜきひでゆき,藤栄道彦『コンシェルジュ』第12巻 (BUNCH COMICS) 東京:新潮社,2008年。
  • 以下続刊

2008年5月1日木曜日

くろがねカチューシャ

 単行本読み終わって、人物紹介見るまでまったく気付いていなかったんですが、この漫画、四人そろって花鳥風月だったんですね。それはさておき、『くろがねカチューシャ』は『まんがタイムきららフォワード』で連載中のメイド漫画であります。あるのですが、あんまメイドだからどうこうってことはない漫画で、だってメイド喫茶が舞台だというのにすでに喫茶分はなし、メイドってのもそんなに重要でなくなってる感じだものなあ。ヒロインは、メイドに憧れて上京してきた羽鳥トキ。彼女は働くことになったメイド喫茶轟で世界初のメイドロボ試作機、ハナと出会うのですが、ここでいわゆる萌えなアンドロイドを期待してはいけないというのがミソ、というかいわゆる出落ちってやつ? 実にあんまりな感じでメイド喫茶のお約束をぶち壊して、じゃあかわりになにがくるのかというと、吉谷やしよらしいどたばたのコメディであります。

いったいなにがらしいであるというのでしょう。

セクハラマシン、ハナに対し決して打ち負けないヒロインがそうであるかも知れません。はじまった当初はセクハラを繰り返すハナにトキが釘バットで応酬というパターンを見せてはいたものの、圧倒的にトキが被害者の立場にあったというのに、気付けば割と対等にやり合うまでにいたっているという不思議。ああ、成長したんだ — 。って、メイドや人としての成長ではなく、バイオレンス方面での成長というのはどうなんでしょうって感じですが、こうした期待されるお約束を台無しな方向に裏切るというのもまたらしさであると思うのです。

漫画といわず映画といわず、すっかりできあがってしまったパターンというのが存在します。よくいえば王道、悪くいえば馬鹿のひとつ覚えでありますが、期待されるパターンに則って作り上げられた形式に、それこそ私なんかはパブロフの犬みたいに反応し、泣いたり笑ったり胸をつまらせたりして — 、けれど吉谷やしよはそうしたパターンをうまく使って、最後に台無しにするというのがうまいのですね。あるいはそれもお約束といえるのかも知れないけれど、約束と裏切りの引きあうバランスをうまく調整し、どたばたとした空騒ぎをよく盛り上げた最後に、脱力のラストを持ってくる。なんだかちょっといい話も、全力の馬鹿話も、なにもかもが軽さの中に精算されて、笑いとともに消えていきます。こうした切れ、離れのよさこそがギャグ漫画の身上であるとすれば、『くろがねカチューシャ』はよくできたギャグ漫画であるといって差し支えないでしょう。

無駄に大げさで、無駄に大騒ぎで、無駄に暴力的な漫画でありますが、その無駄の誇大であることが面白いというのも、やはり吉谷やしよのらしさなのでしょう。本来なら爆発や銃器、バイオレンスの介入するはずもないメイドものであるのに、むしろメイドよりもそうした大立ち回りこそがメインになっているというのがおかしくて、しかもその方がよりうまくまわっているというのも面白い。そしてそれらどたばたを軽さの中に消し去ったあとに残るものがあると感じられる — 。その残るもの、なんのかんのいって楽しそうな彼女らの関係、笑顔の印象といったらいいのかね、それがよいなあ、そんなことを思うのでした。

  • 吉谷やしよ『くろがねカチューシャ』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。
  • 以下続刊