2008年12月23日火曜日

四つの署名

 ああ探偵事務所』に刺戟をうけて、シャーロック・ホームズを一から読んでいるというのは、以前、『緋色の研究』で書いた時にも触れたことであります。もはや古典といえる探偵小説。書かれたのは十九世紀も末、百年以上も前の小説だというのに、今なおその人気は衰えることなく、読まれ、新たなファンを獲得しています。熱狂的なファンは世界中にいる、だなんて昔からいわれていますけど、そうした人たち、いわゆるシャーロキアンの世代交代も進んでいるのでしょうか。

さて、『緋色の研究』に続いて私の読んだのはなにかといいますと、『四つの署名』であります。なぜ『四つの署名』かというと、これがホームズものの第二作目だから。すなわち、発表順に読んでいるというわけなのですが、しかし、この話はのっけから驚かされることばかりでした。

なにに驚いたかというと、ホームズの暗い愉しみについてです。なんと、ホームズ、コカインを愛用している、いうならば薬物中毒者であるというのですから、いやあ、驚いてしまいました。こういう話は聞いたことはあったのですが、それがまさかこうもあからさまに描写されているだなんて思ってもいなかったものですから、この幕開きには正直軽くショックを感じるほどでした。

ですが、ひとたび事件となれば、そうしたホームズの影の部分はいずこかへと消えさって、はっとさせるような理性の閃きが読者を魅了すること前作に変わるところなく、いや、やはり読ませる話であるなという印象を新たにするばかりでありました。

物語自体は、必要以上に凝ることもなく、いたってシンプルであります。美しい女性の持ち込んだ依頼をめぐる謎の数々が興味をくすぐります。数年に渡る謎の人物からの援助、差出人不明の手紙、行き先不明の馬車に運ばれた先で聞かされる過去の不正、そして痛ましい事件がおこって、さあ我らがホームズの活躍ですよ。しかし、今回は、ホームズの活躍もさることながら、もうひとつ気になる要素がありまして、それはなにかというとワトスンの恋愛事情であります。なんと、ワトスン君、依頼人に恋しちゃうんですね。いやあ、まいりました。もう一目惚れといっていいくらいのありさまで、話の進むにつれてなおも高まる恋心。ヴィクトリアンは恋愛ごとに積極的だったとでもいうのか、それともたまたまワトスン君がそうだったというだけなのか、いずれにしても、美しい女性とのロマンスだなんて、ちょっとそそるではないですか。それでなくとも凡人だ凡人だと馬鹿にされがちなワトスン君、そうした描写のあまりに有名なせいで、人のいい迂闊ものという印象を持ってしまっているものだから、思わず応援してしまいましたよ。

シャーロック・ホームズを読むと、探偵小説、推理小説をミステリーと呼ぶ理由がわかるような気がします。描かれるのはあくまでも犯罪で、一筋縄ではいかない事件を探偵の叡智が快刀乱麻を断つごとく見事に解決する。確かにストーリーはそうした構図を持っていますが、その語られようはというと、怪奇もののそれである、そんな感じが拭えないのですね。そもそも殺人というものが非日常です。誰だかわからない犯人が、なぜだかわからない理由で人を殺害する。それはもう非日常も非日常、私たちの住む平穏な世界とはかけ離れた出来事にほかならず、そしてそうした異常事態が、かくもおどろおどろしく語られるのですね。いわば読者は不安にいざなわれるわけです。世にこれほどに奇怪なことがあろうかと、手に汗握り物語を追い、そしてその不安は見事探偵の活躍によってからりと晴らされる。この、日常を離れ、そして日常に回帰するという構造、不安と安定の間をゆきかう浮き沈みを楽しむのが探偵小説であるのかも知れませんね。

私は、とかく探偵小説というと、当たり前のように殺人、犯罪がおこり、そしてそこには当然のように謎、仕掛けが用意されているという、そんなものだと思ってきましたが、あらためてホームズを読んでみれば、そうした要素よりもより以上に怪奇性の方が強く感じられて、ああ、この感触こそがミステリーなのかな、などと思っている次第です。そう思えば、江戸川乱歩の小説や横溝正史の小説に感じられるもの、あの怪奇的な感触もまさしくミステリーなのかもなと、今さらながらに思う次第です。

  • ドイル,コナン『四つの署名』延原謙訳 (新潮文庫) 東京:新潮社,1953年;74刷改版,1993年。

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