2008年4月29日火曜日

えむの王国

  年度があらたまったからというわけでもないのでしょうが、最終回を迎える漫画が結構あって、しかも好きで読んでいたものが多かったためにちょっと寂しいなあという気分であります。けれどこうしたことも雑誌の新陳代謝でありますから、むやみに寂しがるというのもよくないことでありましょう。というわけで『えむの王国』、第3巻で完結しました。当初はこんなに続かせるつもりじゃなかったとかいう話でありましたっけ。マゾヒストだらけのカスティーナ王国を舞台に、マゾでもサドでもない姫さまがとまどう様を楽しむ漫画、であったと思うのですが、なんだかよくわからないうちに純コメディから準シリアスに変わってしまって、3巻ともなるともうほとんどがストーリーというような状況。でもそれでも好きだったんですね。ストーリー仕立てになり、ひとつの事件が解決に向かおうとするのを見ながら、ああ直き終わるなと覚悟してはいましたが、それでもやっぱり終わってしまったことに少し寂しさを感じています。

この漫画が好きだったのは、それこそ私の趣味嗜好のためでしょう。どうも私は性的に倒錯している系統のネタが好きであるらしく、シリアスなものもそうなら、コメディ、ナンセンスでも同様で、古くは『ストップ!! ひばりくん!』などお気に入りでした。BL、百合ものなどは、それこそ今では珍しくもなんともない、普通のジャンルとなってしまいましたが、それらジャンルが確立される以前から、漫画、小説、アニメなどでそういう雰囲気漂わせるシーンが出たらがぜん色めき立ったものでして、だからこれらが一大ジャンルとして成立した時は、やったと思いましたなあ。

『えむの王国』は、当然そうしたジャンルが形成された以後のもので、というか、そうしたジャンルが存在することを前提として遊んでいるという感じの漫画でありました。国民がマゾの国があれば、サドの国もあり、さらには百合やら薔薇やら、そうした特徴的な性癖を取り上げて、国民性にしてしまうという乱暴な設定は、それが乱暴でストレートであるほどに面白みを増すと思わせて、まあ端的にいえばベタなんですけど、ばかばかしくてよかったです。もちろんこの漫画は、それら性癖を克明に描きましたなんていうのじゃなくて、あからさまにいびつで、現実とは乖離したものであるのですが、でもかけ離れているというそこがよかった、極端に紋切り型が押し立てられているから、現実のそうした人たちとは無関係のものとして、単純に楽しむことができたのですね。もしマイノリティを笑おうなんて色があったとしたら、きっと私は受け入れなかったですよ。ところがこの漫画に関しては、そうしたものを感じなかった。だから、キャラクターに主導される微温的な面白さに、ゆったりと浸ることができたのだと思います。

後書き読めば、なんだかこの話が続く可能性がないでもないって書かれていて、だったらまたいつかお目にかかることができるかも知れないってことですか。だとしたら嬉しいことです。あまり設定に縛られたりするのではなく、あの修学旅行編(連載時には、いったい何事かと思いました)みたいな、ばかばかしくも面白いというのが読めればきっと私は嬉しいだろうなと思って、でもあの渾身のストーリー展開も、ラスト付近は緻密さ、丁寧さに欠けてはいたものの、うまく落としたなあ、なんだかすごくいい話みたいになってて、嫌いじゃないんですよ。そして、ハッピーエンド。すべて片が付いたあと、一人一人のその後にライトが当たるようなエピローグ、ああしたところも好きでした。だから、やっぱりまた読めるものなら読みたいと、そんな風に思います。

蛇足

書き下ろしのイラスト、四人は仲良し、ああいうのりで是非。つうか、なぜシェリス王子はおられんのですか。

  • 中平凱『えむの王国』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2005年。
  • 中平凱『えむの王国』第2巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 中平凱『えむの王国』第3巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2008年。

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