2008年4月24日木曜日

ADAMAS

 皆川亮二は今『イブニング』で描いていたんですね。まったくもって知りませんでした。私にとって皆川亮二は、『ARMS』で知り、『スプリガン』にはまり、そして『D-LIVE!!』にいたるまで、好きで追いかけるに足る存在であり続けているのですが、いったいなにがそんなにいいのかというと、少年漫画らしい爽快さを漫画いっぱいに詰め込んでいるところであります。『ARMS』こそは異色ですが、過去の重荷を背負った少年が、成長を果たしつつ、強大な敵、計画に立ち向かうというプロットが基本にあり、そしてちょっと感動したりもする、そんな筋立てがすごくいいのです。そしてやはり『ARMS』こそは異色なのですが、基本的に人が死んだりとか、むごたらしい描写であるとか、あるいは過剰なお色気なんていうのもありませんで、実に清廉といいますか、作者の生真面目な様が見て取れるような、そんな感触も実にいいのです。でもそうした感想に加えるべき点がありますね。それはロマンです。テーマとなる対象に向けられる憧れ、畏敬、情愛の溢れんばかりの様子。それがなによりいいんです。それがなにより私を引きつけるのですね。

しかし新作『ADAMAS』には驚かされました。戦うヒロイン、というのはまあこの人の場合はそんなに珍しくなくて、『スプリガン』のころからアグレッシブに前線に出ていって立ち回りするようなヒロインはいたし、『ARMS』でもお母さんが最強の一翼を担えそうなポテンシャルを秘めていて度肝抜かれたし、『D-LIVE!!』にも並み居る強豪を抑えて暴れ回るような強い女性がおりました。けど、そうした女性が主役として出てきたことははじめてで、それはつまり『ADAMAS』は少年漫画ではない、ということなのだろうと思います。少年が主人公に自分を重ね合わせて読むという、そういう構図ではもはやないのです。読者はあくまでも漫画の外部にいる傍観者であり、ヒロインの立ち回る様を眺め楽しむという、そういう漫画になったのかなと思ったのですね。

いやあ、まったく関係ないですよ。主人公が男であるとか女であるとか関係なしに、皆川亮二らしい面白さは健在です。読者が外部にいるとか内部だとか関係なしに、どんどん先を読みたくなるそんなテンポのよさが気持ちよく、そしてコメディの風を少々交えながら、どんどんシリアスな顔つきに変わっていく展開も心躍らせるに充分で、面白かった。ヒロインが女性っていうものだから、もしかしたらお色気あり!? なんて期待心配しながら読んだのですが、ないない、全然ない。むしろ立ち回りにおける身体の切れこそが魅力であるというほかない描写に釘付けですよ。いや、本当。宝石を愛でる才媛、そんなイメージを与えられている女性が、いざ戦いとなればダイヤモンドを鋲がわりにちりばめたごついナックルでもって、殴る、殴る、殴る。そのギャップの面白さ。月まで届きそうな鉄拳制裁のダイナミック、華麗なるアッパーカットはページをめくった瞬間にケリをつけ終えているというのだから、もう素敵すぎ。本当にこの人の描く女性は前向きで、しなやかで、そして強い。素晴らしいなと心から思えるそんな漫画でありました。

しかし、ちょっと問題があるとすれば、ヒロインのあだ名というか肩書きというか、宝石使いと書いてジュエルマスターと読ませるその設定はちょっと読んでて気恥ずかしくて、いやね、かまわないんですけど、でもちょっとなあ……。とかいいながら、宝石と対話し、その持つ力を引き出すという能力について、ヒロインが全幅の信頼を置きながらも、どこか他人に話すのは躊躇するという常識を持ち合わせているというのは見ていてコミカルで、そして問題解決に向けて奮闘し結果をたたき出すことで、すべてを認めさせてしまうという爽快感にくらくらするところなど、本当は気に入っているのかも知れません。あるいは作者もこうした呼び名、設定にくらくらするところがあるのかな? 真面目に考えれば気恥ずかしくて、けれど動き出してみればかっこいい! ええ、くらくらですよ。ほんと、こうしたくらくらするほどの快感に酔いたくて、皆川亮二を読むといってもいいかも知れないくらいです。

  • 皆川亮二『ADAMAS』第1巻 (イブニングKC) 東京:講談社,2008年。
  • 以下続刊

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