2007年9月13日木曜日

Nevertheless played by Gidon Kremer

 昔、大学に通っていた頃の話です。大学の近くに輸入CDをたくさん扱っている喫茶店がありまして、学校への行き帰りにちょくちょく顔を出しては、面白そうなのを見付けて買うということをしていました。実際の話、このCDがそうして購入されたものかはわからないのですが、けど当時の状況、行動もろもろをかんがみるに、この手のCDを買うならあそこくらいなんじゃないかなあなんて思うんです。それくらい品揃えに独特の個性がある、またその個性が受け入れられている、いいお店でした。廃業されたのがちょっと残念に思うくらいの面白いお店だったんです。

先ほどからいっているこのCDというのはなにかといいますと、ヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルのアルバムFrom My Homeです。これは、二十世紀生まれの作曲家による作品集でありまして、一番古い作曲家がBalys Dvarionas。1904年生まれ1972年没の作家。このアルバムが出た当時亡くなっていたのはDvarionasだけで、残りは当時皆存命。まさしくコンテンポラリー(同時代)の作家による、コンテンポラリーの作品集でありました。

私がこのアルバムを買ったのは、明らかにArvo Pärt聴きたさですね。ヴァイオリンと弦楽、パーカッションのための作品が収録されていまして、タイトルはFratres。1977年の作品、1992年に書き直されているようです。この当時、私はペルトの作品に興味があって、それは大学の紀要に収録されていたペルトのティンティナブリ様式に関する論文があまりに美しく力強かったから。論文なんて無味乾燥なものだと思ってはいませんか? だとしたらそれは間違ってます。論文のなかにはそれはそれはどうしようもない砂を噛むようなのもありますが、これは! と思わせるものだって間違いなくあるのです。

ペルトのために買ったアルバムですが、その後妙に引きつけられることになった、それこそ心奪われた作品がありました。それが今日のタイトルに上げたNevertheless。Georgs Pelecisの作品です。

Georgs Pelecis、ラトヴィアの人らしい。はっきりいって、どんな人なのか、この曲の他にどんなのを書いている人なのか、さっぱりわかりません。だからわたしには、クレーメルの演奏するこの作品だけがすべて。けれど元来音楽とはそのような関係で充分なのかも知れないとも思います。私はこの人についてなにも知らないけれど、少なくともNeverthelessは知っている。滑り落ちるようなピアノの下降音形の繰り返しに、ヴァイオリンのフレーズが軽やかに飛翔する。静かに静かに、ささやくようにささやかにメロディが奏されるかと思えば、ときにその詩情をあふれさせて、豊かな弦楽の響き、郷愁をかき立てる旋律はただただ美しく、私は音に遊び、心を躍らせ、そして思いに沈むのです。この三十分近い曲に永遠を感じます。天上を思わせる清浄さに涙が出そうになります。でもこれはただ美しいだけでなく、けれど私にはこれを美であるとしかいうことができず、生きていることも、いずれ死ぬことも忘れて、その美に包まれたまま私は私という地点から離れ去ってしまって、ああすごい電波文。けど、私にはこれを言葉として語ることができません。こうする以外にどうして語ればよいのかわかりません。

0 件のコメント: