2007年9月15日土曜日

リバー・ランズ・スルー・イット

 『リバー・ランズ・スルー・イット』を知ったのは映画のソフトのカタログで、多分DVDの時代じゃなくて、LDかな? 印象的なシーン。深い自然の中、投げられた釣り糸が大きく宙を舞っている。美しいなあ。私はまずその美しさに憧れ、そのタイトル『リバー・ランズ・スルー・イット』を記憶にとどめたのでした。けれど、その時点ではこれがどういう映画であるか、ちっともわかっていなかったのです。写真だけ見て、解説とか読まなかったのかな。あるいは読んだけれど忘れてしまったのか。けれど、いずれにしてもこの映画がはっきりと心に刻まれたのは確かなことで、その後DVDを買って……、今日の今日まで見ずにしまい込んでいました。それは、もし自分の思ったような映画でなかったらどうしようと、そういう怖れがあったからなのではないかと思います。

ですが、今私は、なんでもっと早く見ておかなかったんだろうと、そんな思いにとらわれています。すごくよい映画だった。牧師の父を持った兄弟の物語。映画は少年時代から青年時代にかけての彼らの成長を描き、そして家族がともに過ごした最後の夏を描くのですが、やりきれなさというべきか、世の悲しさというべきか、そうした思いが深く刻まれるようなラストに、私は少し絶句して、姉に一言、あまりに悲しいラストだねというのがやっとでした。

この映画は、アメリカはモンタナに暮らす一家の物語であり、そして釣りのシーンが効果的にテーマを引き締め、物語を主導していました。冒頭においても語られますが、彼らにとって釣りとは信仰に同じであり、ただ魚を得るための行為ではないのですね。自然あるいはこの世界を作った神に向き合うための祈り、黙想に同じであり、己を深化させ、現実の地平を越える、そのようなものであるのですね。

弟ポールが、父と兄の前で見せた大物とのファイティング、あれは本当に心を踊らせる、屈指の名シーンでありました。胸まで水に浸かりながらのキャスト。フライに食らいついた鱒にしっかりと食い下がり、リールを巻き、糸を送り、濁流に飲まれながらも決して負けなかったポールは、父がいうように美しく、そして兄がかつて評したように芸術家そのものでありました。私は人の住む地上から飛翔したかのように輝く彼に、なぜ人は美しく善なるものだけでは生きていけないのだろうかと複雑な思いを抱きました。さらには彼の人生の祝福されることを願いました。それくらいに美しいシーンでした、清浄にして幸いな場面でした。

人というのは度し難い。善きものに惹かれながらも、同時にまた俗悪に耽るのが人であり、そのどちらかだけでは駄目なんだろうか。確かに私も、頽廃に宿る魅力を知らないわけでなし、また善なる面だけが表立った人がしばしば魅力に欠けるということも理解しています。実際、この映画にあらわれるブラッド・ピットは魅力的だった。彼の美しさもさることながら、ただルックスにとどまらない魅力が匂い立つようで、これが彼の出世作となったというのもなるほど然りとうなずけます。ですが、だからこそ、彼があまりに美しいからこそ、その美だけでは駄目なのかと思うのです。無理なのはわかってる、また仮にそれが可能としても、きっとそれは深みもなにもない独善に陥るかも知れず、あるいは稚気か。美をなすためには、すべてを飲み込んで、すべてを乗り越える必要があるのでしょうね。そのあらゆるものを乗り越えた地点に真なる美が生じるのだと、私はそんな風に思うものだから、ノーマン・マクリーンがあの時叶えたかったこと、そしてそれが叶わなかったことがあまりに悲しいと思われてしかたがありません。

それは私に胸の痛みとして跡を残して、そして人の世のままならなさ、人の思いのままならなさを、いやというほど思い知らせます。

DVD

CD

  • マクリーン,ノーマン『マクリーンの川』渡辺利雄訳 (集英社文庫) 東京:集英社,1999年。
  • マクリーン,ノーマン『マクリーンの川』渡辺利雄訳 東京:集英社,1993年。

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