ずいぶん昔の話、駅前にあったゲームショップが店を畳んだときのことなのですが、このゲームショップ、いつごろからかDVDなんかも扱うようになっていましてね、むやみにあれこれと手を広げるようになると、いよいよピンチなのではないかなんて邪推してしまうのですが、この店に関してはそれがどうも邪推でなかった模様。おかげでというと申し訳ないのですが、閉店のセールで安くDVDを買うことができました。そのうちの一枚が『気狂いピエロ』。ヌーヴェル・ヴァーグといわれた時代の映画です。あるいはゴダールの代表作といってもいいのかも知れません。
しかし、これがまた理解することを拒絶させるといいますか、少々シュルレアリスティックな色彩も帯びた作でありまして、正直、どう思ったと聞かれても、どうもこうもと答えるの精一杯。冒頭、主人公フェルディナンの人物の把握がまあだいたい終わったかなと思えば、いつの間にか出奔、マリアンヌと一緒に逃避行、あれー??? みたいな唐突さが全編を覆っているのですよ。ふたりは行く先々で犯罪をおこなうのですが、それはどう見ても行き当たりばったりでしかなくて、しかも犯罪が行き当たりばったりどころか、映画としての見せ方も行き当たりばったりとしか見えなくて、まるで夢の中のできごとみたい。これ、迷走といえば迷走なんだけれど、あるいはむしろその迷走をあるがままに見ることを要求する映画なのかも知れませんね。そう思えば、それまでの強烈な違和感も収まって、日常が日常でなくなる異質感や、日常どころか普通の映画には必要なさそうなシーン、人物の唐突さなんかも、その違和感ゆえに許容できるというか、本当、不思議な気分になれる映画であります。
けれど、筋としてはさして真新しいものではありません。ジャンルとしては犯罪を描いたもの、フィルム・ノワールであるといっていいと思います。けど、綿密な計画するわけでなく、なんか、あれ? なんかそんな伏線あったっけ? とまごまごしている間にどんどんシーンが進んでいって、これもまたフィルム・ノワールらしいというか、破滅的なラストに突入するところも、まさしく突入という表現がふさわしすぎるというか、あまりのその唐突さに腰が砕けました。けど、おおよそ人間の衝動ってのはこんなんかもなあとも思うわけで、不条理の中に人間の、男女の機微を見るというのかな、手を取り合い破滅に向かってしまう、そんな人間の狂気じみた情熱みたいなものが、彼らの逃走劇には匂っていたと思います。しかもその逃走というのもまともとは言いがたく、警察やなにかから逃げてたというのは表向き、実際のところは彼ら自身、自分自身から逃げている。日常を捨て去り逃走すると選んだ彼らですから、普通であり続けることは敵わなかったのでしょう。
私にとっては、今回が『気狂いピエロ』の初見です。なので、もしこの先二度三度と見ていけば、一度目ではつかめなかったなにかに気付くこともあるかも知れない。いや、百遍くらい見ないといけないかな? けれど、ある程度の回数を見て、初見で私の抱いた違和感や唐突さが整理されれば、その見るたびに新たな発見のあるという、そういう類いの映画になりそうな予感に満ちています。
そして、その発見というのは、映画に出会い、触発されるかたちで、映画と私自身のせめぎあう局面にこそ見出されるなにかであるのですね。ことこの映画に関しては、シンプルなストーリーに唐突なシーン、そして膨大な情報がぎゅうぎゅうと詰め込まれたかのようでありますから、手ごわいぞとわくわくして、またいつかこの映画を見ようと思うときを待ち望ませるような、そんな魅力にあふれています。ん? なにこれ? ようわからんかったがもっぺん見よう、そんな感じの引きつけ方といったらわかるでしょうか。ともあれ、再見を迫る、そんな映画であるのです。
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