『あの素晴らしい愛をもう一度』をもう一度。ついに練習を始めました。ここでついにという表現を使うのには理由があって、私はこれまでこの曲を弾きたいと思いながらも弾けない理由があって、というのは技術上の問題でした。
ギターにはスリーフィンガーという奏法があって、ブルースやフォークでよく使われるものなのですが、親指人差し指中指の三本を使って弾く。フォークにおいては特に軽快なリズムを刻むことができ、はつらつとした印象が得られる、なかなかに悪くない奏法です。なのですが、まあ簡単ではありませんということで、私もゆっくりだったらできたのですよ。でも、この曲の伴奏は速いスリーフィンガーであったために、途中で右手が酷いことになる……。
技術上の問題が、ここにきてようやく改善の兆しを見せたのです。さすがに私はフォーク世代ではなく、スリーフィンガーに必要以上の憧れを抱いたりはしないのですが、でもできないのも悔しいし、できたほうがいいに決まってるしで、少しずつでもちょこちょこ弾いてきて、それがここ最近になって実りはじめた気がするんですね。実際、以前よりも安定して、スリーフィンガーを刻めるようになってきて、そうじゃ『あの素晴らしい愛をもう一度』をやろうと思い立って、その時手近に楽譜がなかったから、とりあえずin Cで少しずつコードを拾いながら、ゆっくりゆっくり弾いてみて、まだ途中でつっかえます。コードを覚えてないのもあるし、腕が痛くなるのもあって、無理はできないのですが、これはいけるという感触を得たのですね。
腕の痛みが出てくれば練習は中断、負担の少ない曲に切り替えるなどしなければ、腱鞘炎にまっしぐら。だからこの曲を弾けるようになるまで、普段以上の時間をかけるつもりでいます。で、そうして歌ってみて思ったのですが、この歌が愛される理由がわかります。いい歌なんです。曲調、メロディも起伏に富んで、そして描かれる情景の物悲しくもほろ苦い様は胸にさしますね。うん、昔、愛し合っていた頃のことを歌っていたと思ったら、今はもう通わない
という現実が突然に、端的に投げ込まれて、これがすごく鮮やかで、どきりとする。一気に曲の悲しみを深めて、じんとします。
今はもう通わない
。私はこの一言のためにこそこの歌を練習するのだと思います。私たちは永遠不滅なんてことを夢想しますが、しかしすべては移ろいゆくのだ、変わっていくもの、失われるものは確かにあると知っています。知っているからこそ、今を大切にしたい。でもその大切にしていたはずのものをもう通わない
といって振り返る日のくるかも知れないと思えば、どきりとします。そうして、空を仰ぎたくなります。
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引用
- 北山修『あの素晴らしい愛をもう一度』
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