アートという語は本来技術、技法という意味であり、それが今では芸術をさすものとなっています。これはつまり、芸術は本来的に技術に根ざすものであったということを示していて、そして今日はバッハの『フーガの技法』。技法はドイツ語ではクンスト、英語ではアートと表示し、つまりここでこれらの語の指す意味は芸術ではありません。フーガという楽式に用いられる技法を駆使して作られた一連の作品群。それが『フーガの技法』であります。
ピアニストとして知られるグレン・グールドは『フーガの技法』にてオルガンも演奏して見せて、彼の履歴をみると確かにオルガンも習ったことがあったみたいなのですが、彼のピアノが型破りであるようにオルガンもまた横紙破り。けれどそういうところがやっぱり彼らしいのではないかと思われます(甘やかしすぎかな?)。
グールドは『フーガの技法』を愛していました。楽器の指定のないこの曲こそは、まさに音楽の構造美の行き着く場所であるうんぬん、みたいなことをいってたんじゃなかったかな。さまざまなバージョンを聴いた、サクソフォンによる演奏も聴いた、そのどれもが素晴らしかった。そのように語る彼は自説を検証するように、オルガンでも演奏し、そしてピアノによる録音も残しています。
『フーガの技法』は単一の主題により作り出されたフーガやカノンによって構成されて、その曲順は出版者や演奏者によってばらばら。けれど私は思うのですが、この曲が楽器を指定しないというのなら、曲順も無指定でいいじゃないか。実際のところは演奏される楽器も想定されていたとする説が有力であったりするのですが、たまには謎を謎のままにしておくのもロマンティックでよいではないかと思ったりして。そんなだから私はいつも異端だなんだっていわれるんです。けど、気にしやしません。
象徴的に響くのは、未完のフーガでしょう。グールドのアルバムではContrapunctus XIV (Fuga A 3 Soggetti) unfinishedと記されていて、未完の語も実に趣が深く感じられます。
この未完というのは本当に未完で、演奏を一度でも聴いてみればわかります。グールドのピアノが奏でる神秘的でメランコリックな対位法の美がしんしんと降り積むようにして、振り返れば来し方足跡がてんてんと見えるというようなそんな曲。さあ、その曲がこれからいかにして終わりに向かうのだろう、美しいフレーズが終わりを予感させ、そしていよいよと思ったところですぱっと終わります。いや、終わったのではない。終わりがもぎ取られたかのようにして止まるのです。
そして沈黙。
美しい、本当に美しい曲です。
- バッハ:フーガの技法
- Bach: The Art of the Fugue (Excerpts); Prelude and Fugue on BACH [from US] [Import]
- Bach: The Art of the Fugue, BWV 1080 (Excerpts); Prelude and Fugue on Bach, BWV 898 [from UK] [Import]
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