私だって人間なので、落ち込んだりふさぎ込んだり、寂しかったり悲しかったりするあまりに誰かにすがりつきたいだなんて思ったり、泣きたくなったり人恋しかったりすることもあるのです。そんなときにかけられる言葉があるということはなんとありがたく、嬉しいことであろうかと実感して、人というものに背を向けてきたかのような自分のこれまでを悔やみます。だから願わくば、私も誰かの力になれるといいと思う。うつむいている人があれば、そっとはげましの言葉をかけられるような人間になりたいと、そんな風に思います。
浜田隆史氏の歌に『はげまし希望』という歌があって、この歌に流れる叙情性が胸に迫るようで、私は好きなのです。けれど、歌詞を読めばわかるのだけど、これはおそらく、これまで同じ道を歩んでいた人に向けられた歌で、違う道へとはずれていってしまう私を笑顔で送りだしてくれないかと頼む歌なのですね。不安があって、けれどその不安を越えていこうと決めた私をはげましてください。そういう歌なのだと思うのです。
こんな歌詞があるんです。
言葉はとても大事なもの それはわかるけど 言葉でうまく言えない時は ただ黙ってしまうのです
私にもあるのです。思うことが言葉にならないということは、往々にしてあるのです。けれど、それがもし私が落ち込んでいるときであれば、素直な思いを — どんなに稚拙であったとしても — そのまま言葉にしたい。そしてそれがもし誰かが落ち込んでいるときならば、そのそばにありたいと思うのです。誰かが、私の思うところをはかってくれて、そばにいてくれることがあれば、それはきっとなににもましてありがたいことではないかと思います。だから私は弱気でいる人があれば、そうしたいというのです。
落ち込んでいるとき、そばにいるよと告げてくれる人がいることは、なににもましてありがたい。これは、本当のことなのです。
引用
- 浜田隆史『はげまし希望』 オタルナイ・レコード OTR-010R,CD【私の小樽】
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