私ももう人生の折り返し点を過ぎて、そういうには早すぎるようにも思いますが、いったいいつ私の人生が終わるのかがわからないでは、遅いも早いもなくってですね、昨夜、高校時分の部活の顧問であった先生が逝去されたという連絡を受けまして、もうお歳であったからそうかと思う、その程度なのですが、しかしこうして私のまわりから、櫛の歯が抜けるように、知った人、お世話になった人がいなくなっていって、寂しいなあ、悲しいなあ、私はたまらなくなります。
そんな時に、ちょうどこうの史代さんの『さんさん録』が出ていたのは、私にとってはすごくありがたいことで、自分の中にわだかまる悲しさやらなんやらを客観的に見つめるきっかけとなってくれました。主人公参さんは妻に先立たれて気力をなくしたところを息子夫婦のうちに呼ばれて、それからのつつましやかな家庭での暮らしが語られることのほぼすべてです。日常の事々、家事、ちょっとしたことがきっかけとなって、隣にいたはずの妻を思う。寂しげであったり、悲しげであったり、そして時に深く優しげであったり。亡くなった人は、どこかへゆくのではなくて、私たちの傍らにこそあるのかも知れないと思った。流れもしなければ、消えもしないのかも知れないと思いました。
さんさん録、これは生前に妻、おつうさんが書きためた奥田家の記録の一部をなす、夫さんさんにまつわる記録です。参さんは分厚い奥田家の記録をひもとき、空虚に流してしまうところであった残された日々に生活を取り戻してゆくのですが、その過程は死者との対話に似て、荘厳で清浄でけれどとても人懐こく、微笑みもあれば暖かみもあって、こうした時間を追って思うことができれば私たちも死を怖れることはないかも知れない、いや、それでも私は死を怖れます。私自身の死ではなく、私が大切に思う人の死を怖れます。
もしまた愛した人を失うことがあったら、私は立ち直れないかも知れない。けれど私は心の壊れそうな思いにさいなまれる可能性を思いながらも、きっといつか時がそれをいやすだろうということも勘定していて、そして完全にいやされることがないということもわかっているのです。後ろを振り返るなよ。前を向いていこうや。そう思うし、もし私が先に死ぬことがあれば、残される人にはそのようにいっておきたい。そう、残された私たちも、いつか追いつくのですから。少し先にいらっしゃっただけで、私たちもいずれそこへたどり着くのですから。けれど、それまでの時間がつらくて悲しい。果たして私に耐えることができるだろうかと思うとき、きっとこの漫画は、ありうることをあらかじめ私に予測させて、いわば一種の覚悟をさせるのではないかと思います。
すまんね。辛気臭いね。けど、こうの史代の漫画は、そんな辛気臭いということがないから安心してください。確かに寂しさや悲しさを感じさせることはあって、けれどそれと同じくらい仕合せを感じさせて、世界の、人の優しさ暖かさがしみるようです。参さんを案じる人があるように、私を思う人もきっとあるでしょう。参さんが案ずる人のあるように、私の思う人もやはりあるのです。だから、そうした人たちのために生きることができたらば、そうした人たちとともに生きることができたらば、残りの人生もきっとずっと素晴らしいことであるでしょう。
私はそのように思います。そのように思えるようになったのは、私にとってなにより大切な人たちのおかげで、そして心に染みる本、漫画たちのおかげであろうかと思います。そして、その漫画の中にはこうの史代の漫画がそうっと、けれど確かに位置を占めています。
- こうの史代『さんさん録』第1巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2006年。
- 以下続刊
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