2007年3月31日土曜日

フロントミッション ザ・ファースト

 こないだDS版を買うんじゃないかなといっていた『フロントミッション ザ・ファースト』ですが、実をいいますと、もう買ってます。ええっと、この間の日曜日だったかな、に買ったんですが、最初は『世界樹の迷宮』が終わってないからプレイしないつもりでいたというのに、結局我慢できずにはじめてしまいました。そうしたら、なんてのかな、ちょっとはまってしまった状態になってしまいまして、いや、時間がなかったり体調崩していたりしたからまだそんなには進んでおらず、基本シナリオのO.C.U.編もいまだ中盤にさしかからずといったところでしかないのですが、面白いんですね。いや、単純でそんなにハードでないゲームなんですが、けどなんか放っておくと何時間でも遊んでしまいそうな勢い。一体なにがこんなに私に訴えるのか本当に疑問、そう思うくらいに遊んでしまうゲームです。

さて、いまだ中盤に入らずといっている状況ですが、すでにヤンがえらいことになってるというのはどうしたものでしょう。主人公(プレイヤーキャラ)ロイドを上回る成長の速さで、鬼のスナイパーサカタよりも攻撃力では劣るはずなのに、いざ戦いとなるとヤンほど頼りになるのもいないというくらいに強い。私の基本戦術は、遠距離からミサイルで削った後にロイド、サカタの精密射撃で両腕を破壊、武装解除してから低レベル者が掃除するというものなんですが、ヤンだけはこうした戦術の埒外です。とにかく前線に出してしまう。それだけで敵が片っ端から破壊されて、結果またヤンが強くなるという、そういう循環ができあがってしまっています。

DS版からは敵もチャフ等のアイテムを使うようになったのですが、チャフのためミサイルが無力化されるという時なんかにヤンは非常に好都合。とりあえず敵のチャフ効果付きミサイラーにヤンをぶつけてみる。First発動(先制攻撃)、片腕破壊、Double発動(連続攻撃)、足破壊、またまたDouble発動、ボディ破壊。って、待ってくれ、ひとりで全部壊さないでー!

ぬるめのSLGですから、ひとりも脱落者を出さずにクリアするを目標にしている私は、敵一体に対し味方二体から三体でかかるようにしているのですが、ヤンに関してはひとりで二体三体を相手にできる、そんな感じです。というか強すぎ。格闘系ではグレゴリオなんかも主力になりそうなのに、なぜかヤンにはかなわないって感じで、一体なにが原因なのかわかりません。

このゲームの問題は、敵が、というかミッションがそんなに手ごわくないということだと思うのですが、だって戦うということに関してはコロシアムの方がずっと手ごわくて、ミッションで戦ってる敵って正規兵のはずなんだけどな……。まあ、コロシアム級の敵がごろごろいたら非常に厳しいゲームになるとは思うので、これはこれでいいとは思うんですが。あと、これは私が悪いんですが、低レベル者を少しでも強化しようとコロシアムで鍛えているものですから、持ち金がすごいことになってまして、そんなわけで新しい街に着いたら最強のパーツ、最強の武器で揃えるというのがお定まりのパターンになっています。これをすると、基本的にボディも武器もそれほどのバリエーションはなくなるんですよね。マシンガンはちょっと選択の余地がありそうだけど(発射数をとるか一発あたりの強さをとるか)、ライフルとなるともうダメージのでかさが命となるわけで、だから結局みんな同じ武器を持ってしまう。アタッカーかミサイラーか格闘家かくらいしか区別がなくなって、それぞれの機体構成に違いはほとんどないから、ちょっともったいない。本当に惜しいところだと思います。

DS版に関しては、SFC版よりも難易度があがってるらしいと聞きますが、現状それらしい感じはせず、難しさにストレスためるようなこともなく、楽々進めていけそうに思います。だから、多分違いが出てくるとすればPS版からの新シナリオU.S.N.編でしょう。これは本当の初プレイになりますので、どういうものか楽しみです。けど、そうならそうでコロシアムに入り浸るのをやめて、さっさとO.C.U.編をクリアすればいいのに。とはいえ、やっぱり遊べるものはしっかり遊びたいと思うわけで……。

U.S.N.編はちょっと先になりそうです。

引用

2007年3月30日金曜日

The Memory of Trees

 それはまだ私がエンヤをその名前でしか知らなかった頃の話で、大学生だったか、そのくらい。確か夜の十二時を少しまわったくらいのテレビで、こちらを凝視して歌う女性がすごく印象的なPVが流されていたのでした。私は、そのPVの様子もですが、それ以上にその音楽の印象にすっかりとらわれてしまって、けれど私にはその曲名も歌っている人も覚えられずに、だから普通に考えると、わからないままに忘れ去られるほかないという、そんな出会いであったのです。ですが、運がよかったんでしょうね、その後その曲がエンヤのAnywhere isであることが知れて、だから私はすぐさまその曲の収録されているアルバムを買いにいきました。それがThe Memory of Trees。私がエンヤという人を意識して聴いたはじめてのアルバムです。

このとき、すでに日本でのエンヤの人気は確立していました。おしゃれな響き、シンセを用いたちょっとミニマルチックな楽曲は、電気音楽というよりも自然や情感を意識させる雰囲気を持っていて、美しいメロディに印象的に響く歌声。生の音楽では表現しえない響きが、けれど逆に人間の身体を感じさせるといったら不思議な感じがします。けれどそこには間違いなくエンヤという人の感覚、身体に発する豊かなエモーションのようななにかを聴き取れるとそんな風に思ったのです。

だから買ってからはしばらくこれを聴きまくっていました。そうだ、当時私は曲売りのバイトをやっていて、そん時にエンヤを意識して、ちょっとテンションを追加したピアノのアルペジオをベースに、それっぽいのを作ったりしていました(誰もエンヤを意識したとは気付かないってのが泣かせるんだけどもさ!)。

エンヤの音楽のよさというのは、メロディや和声の使い方、印象的なフレーズが何度も繰り返されるミニマル音楽的な高揚、そして音の選択であると思っています。弦の低音が基底のリズムを刻む気持ちよさや、ピアノのアルペジオの繰り返し。そこにかぶさってくるシンセサウンド、エフェクトの加えられた歌声、コーラス。それら音の組み合わせが、独特の世界を作っていると思えます。そのどれもが少しずつ現実の音とは位相を変えて、見知った世界とは異なる風景を組み上げ描き出す、絵画的印象のある音楽であると思うのです。

エンヤは音素材を電気的に加工しながら、音楽の素材は土俗的なもの、宗教音楽的なもの、そうしたものに求めているために、テクノとは一線を画し、ポップにもならず、ましてやクラシックでもないという、独特の中間地点に浮いている。そういう面白さがあります。聞きつければ、食い足りないと思うこともあれど、けれどすっと心に忍び込むような優しさがあります。それは、尖った表現を選ばず、むしろ穏当な素材を重ね膨らませるという、そういう作風のためであろうかと思います。宗教的な敬虔さや、人の声の風合いの柔らかさ、時には気持ちよく心をざわめかせてくれるリズムなど、そうした素材の組み合わせがうまく働くものだから、聴けば気持ちよく、穏やかさを感じ取る。そうしたものがエンヤの音楽であると思います。

2007年3月29日木曜日

サイダースファンクラブ

  微妙なセンスが売り(?)の女子スリーピースバンド、サイダースとその活躍を描いた漫画『サイダースファンクラブ』がついに完結。全2巻と聞くとなんだか短く感じられてしまいますが、そこは四コマですから、何年というスパンで物語は進んでいます。アマチュアから事務所所属すなわちプロになるところから始まって、数々のライブ、シングル発売からファーストアルバムが出て、そして二巻ではセカンドアルバム。これだけのいろいろをわずか2巻というサイズで展開できたのは、四コマ漫画というスタイルゆえだったのだろうと思います。しかし、1巻時点では三つ巴でわいわいやっていたサイダース、バニーズ、ウォルナッツ(ウォルナッツが若干のリード)なのに、2巻となれば随分状況が変わってしまって、この微妙な浮沈というのが変にリアルな感じがして、シビアといえばシビアなのか、けど基本ギャグの四コマだからあまりに強いシビアさを押し付けるということがないのはよかったです。

第2巻の見どころはというと、バニーズの去就と再起なんじゃないかと思うのですが、第1巻時点では基本的にサイダースの三人が軸になって展開していたのが、第2巻では積極的にバニーズメンバーも加わってくることで、微妙な2バンドのライバルだけど仲が良いという関係性が色濃く出てきて面白かったと思うのです。思えばこの傾向は1巻の最後の方ですでにあって、ほらサイダースギターのやよいとバニーズギターのミヤがプライベートで待ち合わせしてたりしましたが、こういうのが一層クローズアップされるようになったのが嬉しかったかな、なんて思うわけです。

第2巻では都合により書き下ろしが充実しているのだそうですが、だとしたらアルバムレビューであるとかシングルヒストリーとかもその都合とやらでできたものなんでしょうか。これらレビューは、音楽雑誌によくあるようなクロスレビューやアルバムレビューの体裁をとっていて、サイダースが実在したらこんな風なんじゃないかという、実にありそうな雰囲気でもって構成されています。秀逸なのはそのコメントがどれもこれも微妙というところで、この微妙さというのが『サイダースファンクラブ』という漫画の面白さの根本であると再確認させてくれる、非常に粋な小ネタとして機能しています。

頑張っても空回り、あっけらかんとして危機感はあるけど努力は嫌い、才能もあるんだかないんだかわからないという基本的に微妙なサイダースですが、けれど彼らを最後にああいうかたちでステージに上げたというところに、作者のサイダースに対する思い入れみたいなのが感じられたりして、ちょっと意外といえば意外、でもなんだか読んでいるこちらも嬉しくなってしまう、そんな大団円のラストだったと思います。そういえば、タイトルは『サイダースファンクラブ』だというのに、ファンクラブはついに出てこなかったような気がします。こういうところの微妙さというのも、この漫画の味で、そしてラスト、最後の最後の微妙さ、これも実にサイダースらしかった。王道の大団円を見せてしまったことに対するテレみたいなのが感じられるといったらあんまりにうがち過ぎかも知れませんね。

2007年3月28日水曜日

掃除当番 — 武富健治作品集

 鈴木先生』の武富健治の短編集があるらしいというのを知ったのは『鈴木先生』2巻の帯でだったのですが、あえてこれを探してまで買おうという気にはなれず、縁があればといった程度の緩い感じで記憶にとどめておいたのでした。ですが、先日書店にいったら新刊の棚に発見。見つけた以上、買わないという選択肢はありません。三つ編み、硬そうな少女がこちらを見据える表紙で、この表紙にぐっとくるものがあれば即買いでしょう。けど、このぐっとくるという手応えは、可愛いとか萌えとかそういうのではなくて、なんだろう。その向こうにある精神であるとか、そういう容易には捉えにくいもののように思います。

約十年にわたり書きためられてきたこれら短編を読んで、この武富健治という人は、とことん突き詰めるタイプの人なんだなあと、そういう感想を持ちまして、この印象は『鈴木先生』でも持ったんですが、短編となるとなおさら顕著。人は皆若い頃には大宰にかぶれるものなんだよ、みたいなことを昔はいったそうですが、この人の短編からはそんな匂いがぷんぷんします。『女生徒』? そんな感じがすると思ったら、なんと後書きに著者自らそう書いていた。そんなわけで、私はここに書くことをひとつ失ってしまったのでした。

大宰の持ち味というのは、自虐といってもいいような痛さであったり精神や内面世界の鮮やかな発露にあると私は思っているのですが、この人の漫画には後者、突き詰められた末に凛と引き締まった精神性がよく現れていると、そのように感じます。引き締まったといっても、登場人物がみんな聖人君子だっていいたいわけではなくて、そしてそういう捉えられ方は作者自身望まないものであるでしょう。人間性が露にされる瞬間があるんです。清廉潔白だと思っていた自分が実はそうではなかったと突きつけられた揚げ句に、打った手が裏目に出てしまってなおさらショックみたいな話もあり、あるいは自分自身の心に踏み込んで、自分は本当はどういう人間なのか、本当の自分の望みとはなんだろうか探ろうとするプロセスがつづられて、面白い。スリリングな追体験のできる本というのは稀だと思いますが、この漫画はまさしくその稀なものであると思います。

こうした作風の根本には、周囲や自分自身に感じる違和感を見極めようとあがく、そういう精神活動があると思うのです。違和感の原因はなにか、ひとつひとつ皮をはぐように、虚飾誤魔化しを排除していく。その末につかみ取った真実、 — 自分自身のありようであったり本性であったりを得たという実感が出発点になっていると思われて、だから漫画が揺るぎない。土台がしっかりしている上に、誰のものでもない自分の表現がのっかっている。お定まりやお仕着せという束縛から自由になった作者は、模索という苦闘の果てにこの表現をつかんだのでしょう。だとしたらその苦しんだだろう時間は無駄ではなかったと思うのです。

いかにも売れそうにない漫画です。人によっては、読んでも面白さなんて感じないでしょう(私は以前漱石の『夢十夜』を人に勧めて、時計が二つ目をチーンと打ったとか意味わかんないと突っ返されたことがあります。ショックでした。あんなに面白いのに……)。けどこの漫画が『鈴木先生』の評価されたことによって日の目を見て、私も読むことができて — 、だから双葉社はいい本当に仕事をしたなあと思います。

ここに収録された短編で、私が特に好きだと感じたのは「シャイ子と本の虫」と「まんぼう」、とりわけ「まんぼう」は落ちのくだりが最高でした。地味だけど「カフェで」なんかも最高に面白い。にまにましてしまう感じ。「康子」のような分析は私もかつてしたことがあるし、作者もいっていますがかなり普遍的なテーマが見いだされる作品群であると思います。だから、読んでみれば、誰しもひとつくらいは、これは私にかなり近いと感じられるものが見つかるんじゃないかと思います。

引用

2007年3月27日火曜日

ふおんコネクト!

 今日職場にて『ひだまりスケッチ』の話題をふってきた人がいはりまして、アニメがなんかすごかったらしいって話ですか? ってところから、原作に話題がシフト。ひととおり話した後に、ああいう系統の四コマを読まれるのなら本日発売の『ふおんコネクト!』はお薦めですよと大プッシュ。絵がきれいにまとまっているだけでなく、アニメ特撮ゲームといったサブカル系小ネタのラッシュが小気味よく、けどだからといって小ネタだけが持ち味じゃない。小ネタをあちこちにちりばめながら、四コマの流れをうまくあしらって、小落ち、中落ち、ブリッジから大落ちへとつなげる構成の妙。今面白い漫画をピックアップせよといわれたら、間違いなくこの漫画は選び取りますよと文字通り熱弁したのでした。果たしてその人が買うかどうかはわからないけれど、でもこの人はコアな特撮の人だから、きっと面白く読めると思う。まさしく渾身の推薦でありました。

と、こんな風に書いたら、小ネタがわからないと楽しめない漫画なのか、それこそコアなマニア仕様なんだろみたいに受け取られてしまいそうですね。いやいや、違うんですよ。確かに小ネタはたくさんあります。登場人物の名前に始まり、身に付けている衣服、小物、四コマに付されたサブタイトルから場合によれば構図、タッチにいたるまで、いろんなところにネタが仕込まれていて、おいおいこりゃ作者からの挑戦かよ、参ったなあー、みたいに口ではいいながら、顔はちっとも困ってなんかいりゃしない。おお、ここにこんなのを突っ込んでくるなんて、作者は実にできるのう、とかゆうてにやにやしてしまう。うん、残念だけど私もマニアだから。やっぱり小ネタの密度の濃さにはうはうはしてしまうんです。

でも、このぎょうさん詰め込まれた小ネタというのが、漫画のメインストリームには基本関係しないといったらどうでしょう。各四コマを読み、全体の流れを楽しむ分にはマニアックな知識は特に必要ない。一般に生活するうえで自然身に付いているだろう知識があれば充分読み解いて理解できる、そしてそれで充分面白い。この基本性能の高さが私のこの漫画を推す理由になっているのだと思います。

多様な面白さが層をなしてるといったらいいのかな。最前面には漫画のベーシックな面白さ、小ネタやマニア知識に寄るのではない、作者の創出する面白さが骨太に表現されています。そして、そこにキャラクターの魅力という肉付けがなされて、いわばこれが第二層でしょうか。漫画らしいちょい迷惑キャラだったり、完璧お姉さんだったり、いろいろなキャラクターが魅力的に動くという、そこを見るだけでも楽しくて、こんな感じにキャラクターの魅力が強いかと思えば時には社会派であったり、もう本当に重層的。そして、かなり奥の方に小ネタの面白さが光るというのですね。

最前面に配置されていたギャグが、その背面に小ネタを抱えていたりすることも多々あって、踏み込めば踏み込むほどに面白さが増してくるように思います。その深さ足るや、たったひとりでその全てを読み解くのはもはや不可能といってもいいほどで、高密度、多彩という形容が実にぴったりときます。私なんぞは、これら小ネタ群を自分の理解の及ぶ範囲だけで受け取って、それで充分以上に楽しいというのですから、その質の高さはかなりものであると肯います。

弱点があるとすれば、その高密度さでしょう。人によっては読み疲れてしまうかも知れません。だって、私はこの漫画を毎月の雑誌で読むときに、十分から十五分はかけて読みます。難しいとか、わかりにくいからじゃないです。その内容を十全に楽しみたいという思いが、私をそこにとどまらせるのです。四コマを楽しみ、ストーリーを楽しみ、小ネタを楽しみ、十五分なら十五分、しっかりと楽しんで、けれどこうした濃密さよりもさらっと流れるようなあっさり風味を好む人もいるはずで、そういう人にこの漫画はちょっとたくさんすぎるかも知れません。けど、こういうたくさんさが好きという人にはまさにご馳走で、小ネタ大ネタ時事ネタ社会ネタ、そういうことってよくあるネタからちょっと心がほろりとほぐれるようなネタまでいろんな要素が次々と現れて積み重なっていって — 、そういう感覚が好きな人にはたまらないと思います。ドライブ感っていったらいいのかな。すごく小気味よくて、大好き。単行本なんか、一通り読むのに二時間とか三時間かかってるんだけど、その充実度合といったらもうほれぼれするほど。きっと、私はこれからも何十回と(あるいはそれ以上)この漫画を読み返しては、にまにましてしまうことだろうと思います。

蛇足

最初はそれほどでもなかったはずの通果みちかが気付けば結構好きな感じで、思い返せばV2仕様エプロン、あれが驚異の破壊力を見せたのでした(ああ、カラー収録でないのが惜しいです)。

そんなわけで、まんがタイムきららWebにて連載中の『みちかアクセス!』も見てください。『みちかアクセス!』がいい感じだと思ったら、『ふおんコネクト!』も是非!

(ご購入の際には『看板娘はさしおさえ』の2巻も併せてお買い求めになられますと、より面白さが増すのではないかと思います。)

  • ざら『ふおんコネクト!』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2007年。
  • 以下続刊

2007年3月26日月曜日

やっぱり心の旅だよ

 いったいなにで書いたものかわからなくなったときには、Amazon.co.jpのおすすめを見て回るに限ります。自分のこれまで購入した本、評価した本のデータを元に生成されるお薦め本、有り体にいえばこの商品を買った人はこんな商品も買っていますでしかなくて、こりゃちょっとどうだろうというようなラインナップも多いのですが、けどこと本ですからね、やっぱり好みというのは似てきます。お薦めのなかにはそれは持ってるというのも結構あって、だからこのシステムというのは結構有効なんじゃないかなと思っています。さて、そんなお薦め一覧を眺めていて、目に留まったのが福満しげゆきの『やっぱり心の旅だよ』。この漫画、書店で出会ったときになんだか妙に訴えるところがあって、一度は流したのですが、結局は買ってしまったというそんな本です。この本がお薦めにあがってくるのを見て、なかなか鋭いところを突きやがるなあ、じゃあちょいとこれで書いてみようかと思ったのでした。

最初に断っておきますと、なんだか微妙な漫画なんですよ。微妙だろうなというのは買う前から察していたことなので、読んで失望したとかそういうことはありません。だって、帯にこれが福満しげゆきの失敗エロまんが道。なんて書いてある。失敗ってなんなんだろう。妙に興味を引いたのは、こういうところにもあるのかも知れません。漫画の帯に踊る、泣けるとか誰々推薦とか傑作だとか金字塔だとかTVアニメ化とか、いかにも売らんがための景気のいい文句に辟易するところも多い昨今、力の抜けた煽りが妙に新鮮だったのかも知れませんね。それに、実際そんな感じがするんだもの。エロといえばエロなのでしょう。表紙にもそうした絵が配置されていて、けどそれ見るかぎりあんまりエロという感じがしない。多分、エロを目指しつつもどこか外した漫画なんだろうなあと思って買ったら案の定でした。だからむしろ微妙で満足しているといったらいいのか、そんな微妙な感想です。

掲載されている最初二本はエロではありません。むしろSF? なんかタイムパラドックスものだったり宇宙人? が襲来してきたり。王道といえば王道、けどそれなのにものすごく微妙。大仰な話になってもおかしくないテーマなのに、なんかすごく淡々と進行して、危機感みたいのは妙に薄いし、どんな異常事態があっても結局強いのは日常の暮らしというリアリティなんだとでもいおうか、とにかく日常感、それも小市民的日常感が強烈すぎるのです。

後半のエロに関してもおおむねそんな感じで、エロ漫画っていうのはそもそもが都合よくできているものなんだけど、それにしても都合よすぎというか、エロに対して変に葛藤している話があったかと思えば、おかしくなるほど葛藤の感じられないあっけらかんとしたのもあって、むしろほのぼのというか、そのほのぼの感に屈折が感じられるというか、すごく微妙な読後感の得られる漫画に仕上がっています。

それで最後に表題作。日常に感じる鬱屈とそれを跳ね返そうという(それも漫画の中で跳ね返そうという)衝動が入り交じっているような、そんな短編で、後味はあんまり良くない。けど落ちがあのようなかたちで決着したから、その後味の悪さも薄まって、やっぱりこの人らしい作風の感じられる一本だと思います。

あんまりヒットするようなタイプの漫画家ではないと思うけれども、この人じゃないと出せないみたいな味があると思うのです。だから、愛されるというか支持する人もいるのだろうなと感じて、私はといえばまた微妙なのですが、けど結構嫌いじゃない感じだと思っています。

あ、そうそう。この漫画がお薦めに入った理由ですが、『街角花だより』だったみたいですよ。意外な繋がりと思ったのですが、案外このあたりのマイナー色あふれる漫画に引かれる人というのは同傾向にあるのかも知れません。

引用

2007年3月25日日曜日

Orchid cactus, taken with GR DIGITAL

Orchid cactusRicoh GR Blog恒例のトラックバック企画第18弾アングルです。写真を撮る際にもっとも重要な要素はなにかといわれると、やっぱりそりゃあ構図じゃないかなあと多くの人が答えるのではないかと思うのですが、その構図についていろいろやってみてトラックバックしてください、ってことらしいです。ことらしいっていうのは、いまいち自分がつかみあぐねているというか、いや、むしろこの構図というのが私の弱点というかで、だって、私の構図は凡庸ですから。けど、そんなこといってても始まらないから例のごとく過去の写真を探して、トラックバック企画アングルに参加します。

探してみたなんていってましたが、本当のところ白状しますと、はなからこれに決まっていたようなものでありまして、つまりそれくらいストックがないんです。被写体はOrchid cactus、うちで咲いたクジャクサボテン。日が暮れはじめるころからちょこちょこ撮りはじめて、けどこれが咲くのはすっかり日が落ちてからだから、光量を確保するため玄関に引っ張り込んだり、それでもまだ足りないから懐中電灯を使ったりと、いろいろやっているうちに、こういう写真ができあがりました。

Orchid cactus

もちろん三脚使用、データを見ますとf/4.5の1sだそうです。ISOは64。記録を見るかぎり、PLフィルタは使ってなかった模様。ええと+-0EVなので、内蔵露出計通りです。

こうやって昔の写真をたまに振り返ると、むしろ今の方が型にはまってつまらない写真を撮っているように思います。なんか分別臭くというか、記録写真ぽくなってるというか、GRを買った当初の方が、嬉しさも手伝ってか、わけわからんなりにいろいろやっていたなと感じて、いやむしろわけわからんことが強さになってたのかも知れませんな。

ちょっとなんだかつまらん写真ばかり撮る昨今だけど、またいつか写真撮る面白さ見たいのがばーっと出てきたりしたらいいのになと。多分、今の状況を抜けたらまたそんな風になるんじゃないかなあ。前向きに捉えて、写真撮る日々を続けていこうと思います。

2007年3月24日土曜日

ナツノクモ

 今日は『IKKI』5月号の発売日。先月にも案内しましたように、私の一押しの漫画『ナツノクモ』の最終話が載せられている記念号で、いや、さすがにしんみりとしましたね。これにて終わり。タランテラボードの皆ともお別れ。不器用で、どことなく他人事とは思えなかったトルクのおっさんともこれが最後となって、ただ一言、残念。別れというのはいつだって寂しく、しんみりさせるものではあるけれど、ここ数年の漫画ではこれが一等格別だったと思います。最後まで、一気に駆け抜けたようなラスト。これからの展開を内にはらみつつ、余韻とともに幕の降ろされたその瞬間、ふうと息ついて、空見上げる思いでした。

長かったのか短かったのか。私がはじめて『ナツノクモ』を読んだのは、2005年の10月であったようですね。朝の電車で体調を崩したんだったっけか。職場にたどり着くことができず、途中乗換駅で連絡入れて折り返したんだと思う。その帰り道に寄った書店で買って、それからずっと変わらず『ナツノクモ』のファンを続けてきて、もう一年半が経つのか。『IKKI』の購読をはじめたのは同年12月。単行本のみの時間は随分長かったと思っていたのに、こうして時系列で眺めてみれば、たった二ヶ月ほどしか経っていない。実時間で見ればそれほど長いとは思えない『ナツノクモ』と過ごした期間ですが、けれどこうして振り返る私にはすごく長い時間のように感じられて、それは多分、私がこの漫画を読むときに感じた濃密さのせいなのではないかと思います。

私は『IKKI』を買うときには、まず『ナツノクモ』から読みはじめます。書店の段階でもう待ちきれず、『ナツノクモ』を軽く一読してから購入。帰ってからまた読むという、真っ当な大人ならやらないような読み方をしているのですが、この一読するのにかかる時間が十分とか十五分とか、下手したらそれ以上でしょうね。長いのです。漫画なんていうのは、それこそ軽く読みはじめて、軽く読み終えるもんだと思うのですが、私にとって『ナツノクモ』は軽くはありえない漫画でした。そこには凝縮された時間がぎゅうぎゅうに詰め込まれているかのようで、交錯する人の思い、わだかまる感情も相まって、私はもう上下左右に激しく揺さぶられるようにして読んでいました。登場人物の言葉に揺れ、一挙手一投足にうろたえ、感極まったことも一度や二度ではなく、いい漫画でした。その漫画が今日終わって、ああ終わったと感じながらも、まだどこかしら来月にも続きがあるような、そんな感じもして、それは物語としての『ナツノクモ』は終わったけれど、あのタランテラボードに接続していた人たちの物語はこれから始まるのだろうなという、いうならば開かれた終わり方をしているせいなのでしょう。

特報! 『ナツノクモ』「完結第8集」は7月末頃発売予定とのことです。私はきっとこの発売の日を楽しみに待って、そして買えば待ちきれずにすぐ読みはじめて、いや、それはよしておこう。例えどんなに読みたくてもぐっと我慢して、1巻から一続きに読んでみたいと思います。いっぺんに全8巻を読破するには一日では厳しいかもね。だから、そのためには休みをとってもいいなあと、それくらいに思うまで私は『ナツノクモ』が好きです。

図らずも最終巻は夏に出るんですね。夏の、暑く気だるい空気の中で一夏の物語を読むというのは、なかなかに悪くないことかも知れないと思います。夏の暑さ、息苦しさに物語の熱さ息詰まる興奮を交えて一日を送る。今年の私の夏には楽しみができました。その日の来るのが、今から待ち遠しくてなりません。

  • 篠房六郎『ナツノクモ』第1巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2004年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第2巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2004年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第3巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2004年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第4巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第5巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第6巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2006年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第7巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2006年。
  • 篠房六郎『ナツノクモ』第8巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2007年。

2007年3月23日金曜日

覚悟のススメ

 いかすなあ、山口貴由。なんかね、『シグルイ』がテレビアニメになるそうじゃありませんか。帯によれば、7月よりWOWOWで放送開始なのだそうで、やっぱり地上波は駄目だったか。だって、血しぶき飛び散るくらいならまったくもって普通の範疇、身体が切り刻まれ臓腑がぶちまけられるくらいまでいくのが山口貴由の表現なのです。けど、このへんの見せ方、『シグルイ』がはじめてのことではなくて、山口貴由出世作である『覚悟のススメ』においてすでに現れていたのですね。いやはや、驚きましたよ。『シグルイ』アニメ化のためか『覚悟のススメ』が大判になって再登場。私はこの漫画好きだったけど、借りて読んだに過ぎなかったから、いつか欲しいと思ってきて、だからこれはいい機会とばかりに買って、そして読んだのです。そしたら、まあ。第一話、始まったと思ったらもう臓物ぶちまけてて、これ当時の読者には引いてしまったという人も多かったんじゃないかなあ。いや、『チャンピオン』だから大丈夫か。

久しぶりに読んだ『覚悟のススメ』は、もしかしたら『シグルイ』に随分と劣るのではないか、表現もなにもかも若く浅きにとどまってるのではないかという私の心配をきっぱりと裏切って、見事天晴れの熱中の出来。これが出世作になったのも当然。改めて納得させるだけの濃密さを持って世界が屹立しています。

主人公は葉隠覚悟。高校生にして旧日本帝国軍の遺産 — 、零式防衛術、零式鉄球、そして強化外骨格零を身に付け戦う正義の戦士。敵は兄はらら。散の放った戦術鬼を退け、そして兄との決戦に覚悟を完了させる覚悟の凛々しくも勇敢な様が見どころといっていい漫画であると思うのですが、しかし絵にも筋にも台詞にも、強烈としか表現しようのない凄みがこれでもかとこもっていて、作者の表現者としての意気込みがびしびしと伝わるその有り様は、まさに真剣勝負といったところなのではないかと思います。読んでみれば感じられるのですよ。作者が一生懸命に打ち込んでいるというその様が。一般的ではないしむしろグロテスクでノリについていけないという人も多いだろうこの漫画が、あれほどに多くの漫画読みに受け入れられ、愛された。この事実は、やはり作者の踏み込みの深さ、思いの強さというものが、読者に働き掛けた結果であるというほかないのだと思います。

しかし、本当にすごいのは中盤以降、後半なんじゃないかと思うのです。最初から思いっきり飛ばしているその速力は維持したままで、学友との関係を描き、兄との対立を描き、そして覚悟と英霊たちの対峙、散の胸中に渦巻くもの、そして罪子への愛。それらが、おそらくは当初に予定していた以上に盛り上がり深みをもって、ラストは手塚治虫的ミュージカルショウ世界に決着する。これは本当に類いまれなる作品であり、そして傑作。絵に、表現に受け入れがたさを感じて読めない、あるいは読まないという人がいたら、それは非常に残念なことなのではないかと思います。私も本来ならばこの手の表現画風作風に抵抗を示すところであるのですが、人に勧められるままに読めばすっかり魅了されてしまった。山口貴由という人は、こと魅了ということに関し、非常にまれな能力をお持ちであると感服する次第です。

しかし、魅了されてうんぬんいってる私がいうのもなんなんだけど、この世界観、ちょっとまともじゃないよね。枠組みとしてはむしろオーソドックスなんだけれど、見方というか視点がというか、とにかく常軌を逸している、そんな気がするんですが、けれどこの尋常の域にとどまらないというところが山口貴由の魅力なんだろうと思うから、これはこれでいい。いや、むしろこれがいいのです。

  • 山口貴由『覚悟のススメ』第1巻 (チャンピオンREDコミックス) 東京:秋田書店,2007年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第2巻 (チャンピオンREDコミックス) 東京:秋田書店,2007年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第3巻 (チャンピオンREDコミックス) 東京:秋田書店,2007年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第4巻 (チャンピオンREDコミックス) 東京:秋田書店,2007年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第5巻 (チャンピオンREDコミックス) 東京:秋田書店,2007年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第1巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1994年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第2巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1994年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第3巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1994年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第4巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1995年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第5巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1995年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第6巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1995年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第7巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1995年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第8巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1995年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第9巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1996年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第10巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1996年。
  • 山口貴由『覚悟のススメ』第11巻 (少年チャンピオン・コミックス) 東京:秋田書店,1996年。

2007年3月22日木曜日

アスペクト2007年3月号

『アスペクト』というのはなにかというと、出版者アスペクトの出しているPR誌です。PR誌だから値段は無料、一部コンビニ書店等で絶賛配布中で、私、なんという気もなしに貰ってきて読んでみたらば、これが面白いんですよ。真面目に不真面目をやっているというか、どことなく不謹慎というか、なんだかよくわからない味のある、本当にこれPRになってるの? という気もしないでもない、そんな非常に微妙な感じが楽しい本です。その最新版2007年3月号が出ていたから貰ってきて、職場、机の上に置いてたら持って帰るの忘れて、たくさんの紙の間から発掘されたのが今日のこと。帰りの電車で読んで、いやあ、やっぱり面白いなと思ったのでした。

なにが面白かったといえば、特集でしょう。特集「売れない本の作り方」。本屋がこんな特集やっていいのか! といっても、どうせ売れない本の条件がわかれば売れる本の秘密も見えてくるとかそんな感じでしょ、と思ったら大間違いで、なんじゃこりゃ、対談じゃないか。しかもむやみに力の抜けた対談だな。著者(高橋秀実、石原壮一郎)、デザイナー(大岡寛典、葛西恵、宮村泰朗)、書店取次(白川浩介、鎌垣英人)、そして出版者(敏腕A、花形B)がそれぞれの立場で、売れない本を出すにはどうしたらいいか好き勝手話す。

この特集に問題があるとしたら、妙に嬉しそうに話しているというのが伝わってくるところというか、特に著者、デザイナーの話がそんな感じで、著者対談なんてどんなに自分の本が売れてないか自慢してる感じもするし(いや、ほんとすごい自虐ギャグだと思うよ)、最終ゲラを読んでるときに、この本は売れそうだ、売れるぞ、ってその気になって現実にへこたれる件なんてのは笑いそうで笑いそうで、でも電車の中だからなんとか堪えてみたいな感じで、そういう悲しい現実をひょうひょうと語っちゃうところが面白かったですよ。棚と同じ色で木目調の本ってなんだいとか、手に取ったらベタベタしててちっちゃいくせに分厚くてそのうえ開かないって、そりゃ嫌がらせですよってば。そりゃもう売れる売れない以前の問題だっていうような話がばんばか披露されて、むちゃくちゃだと思っていたら、ふと結局は人間関係が重要とか出てきたり、どうにも真実っぽい話にどうも実話らしいとんでも体験が出てきたりという、本好きなら抱腹絶倒 — 、までとはいかないかも知れないけど、電車の中で笑いそうで苦しいという体験くらいはできそうな特集かと思います。

この本、ただで手に入るんだけど、アスペクトにお願いすると、送料自分持ちで送ってくれるみたいです。バックナンバーもお願いできるのかなあ、と思ったら創刊号、第二号はもうないんだそうです。残念。けど、電子ブック版で読めるようにしてくださるようだから、なんだかすごく嬉しいなと思って、だからちょっと応援にアスペクトの本を買おうかな、なんて思ってしまった私は、すっかりアスペクトのPRにやられてしまってるってことかと思います。

ところで、私の好きなのは連載「チョンマゲだもの」(ペリー荻野とチョンマゲ愛好会女子部)です。なんかどことなくまともじゃない感じがして、素敵です。とりわけミチヨさんがいい感じです。

2007年3月21日水曜日

Come Again

 iTunes Storeにてダウンロードした音楽について、第二弾。その最終曲を飾ったのはm-floのCome Againでした。いや、この曲、めちゃくちゃ流行りましたよね。テレビで、ラジオで、そして街に出ても耳にするくらいにあちこちで流されていて、ジャンルはなんなんだろう、iTSによればJ-Pop。もうちょっと厳密にとるとエレクトロニカとかになるんでしょうか。打ち込み系と言い切っちゃっていいのかな。シンセドラムのビートにポップでおしゃれな女声のメロディが乗って、私が書くとちっともおしゃれに感じられないというのがあれですが、まあそれは仕方がない。けど、本当に私はこの曲、好きだったんですよ。

でも、よくよく耳にするところというのは、その女声のメロディが駆け抜けていくところで、だから私はこのm-floっていうの、ピチカートファイブみたいなグループかと思っていたんですが、いやはや、まったく違ったんですね。私がこの曲を頭から最後まで通しで聴いたのは東京へ向かう夜行バスの車内、気でも立っていたか、東京という私から見れば異境にほかならない場所への移動に気持ちが高ぶっていたのか、寝つかれない夜。私はバスの提供する音楽を備え付けのヘッドホン越しに聴きながら、窓の外眺めていたのです。どこを走ってるかもわからず、後ろへ後ろへ置き去りにされる見知らぬ風景。その時のBGMのひとつがm-floのCome Againであったと、そうしたことがあったのでした。

私、この曲が好きだといっていましたが、けど通しで聴いたのはこの時がはじめてで、いやいや、まさかラップが入ってくるとは思わなかったですよ。ええーっ、この曲ってラップがついてくるのか、って意外に思って、いやだなあ(失礼)だなんて思ったものですが、けどラップがついてくるんじゃなくてむしろそっちが主というかなんというか。ものを知らないことを白状していますが、けど私にとってはこのラップは違和感の感じられるものでしかなかったので、気分としてはすごく微妙でありました。曲としては好き。でもラップはちょっと……。こんな風になんかコメントしづらいところのある歌なのです。

久しぶりに、それこそほんとに五年ぶりくらいかな、聴いてみて、やっぱりラップはちょっと好きになれない感じなんですが、曲調、 — リズムやビート、メロディの耳に当たってくる感じはすごく好みです。だから多分これからも私はこの曲を聴いて、好きな部分とあんまり好きじゃない部分が交互に現れるところに苦笑いしながら、東京に向かって走るバスの夜を思い出し、当時私のあった環境、出会った人や楽しかった事々を思い出すのではないかと思います。

2007年3月20日火曜日

フロントミッション ザ・ファースト

 昨日、所用でゲーム店によったらば『フロントミッション』のDS版が発売されていて、ああ、そうだ、出るっていってたっけ。『フロントミッション』は、昔、バイト先控室にて一通り遊んだことがあって、その時の模様は以前にお伝えしたとおり。銃撃の坂田と打撃のヤン=メイファを両軸にがんがんいこうぜ! とにかく前進あるのみというゲームだったと記憶しています。敵の強さは、戦闘はといわれると確かにちょっとぬるかったりするんだけど、そのぬるさも含めて好きでした。いやね、片手間に遊ぶにはあんまり難しいと困ります。そんな感じでちょいぬるゲームは割りと好きだったりするんですが、その点『フロントミッション』はよかったなあと思って、というのもそこそこ難易度もあって、ストーリーにもらしい膨らみが与えられていて、いつかまたこのゲームを遊びたいと思っていた私にはDS版の発売はすごくタイムリーなことと思えます。

本当だったら、PlayStation版を遊んでもいいかななんて思っていたのですが、私は実はPS版の発売に気付いていませんで、見事に買いそびれたというわけです。知ってから店舗を回ってちょろちょろ探してみたところ、どこにも置いていなくてですね、わあ残念。そんなわけで、遊べず仕舞い。ネットで購入してもよかったんですけど、なぜか実店舗での購入にこだわったおかげでこのていたらくです。

私の遊んだ『フロントミッション』はSFC版で、声出してしゃべるわけでなし、グラフィックがすごいわけでもなし、地味といえば地味、でも地味でもゲームはそのゲーム自体に面白さがあれば充分なんだと思える佳作。それがPSに移植された際には、主人公側シナリオに加えて敵側のシナリオが追加。まあ、SFC版が好きだった人は買ってねってことなんでしょうけど、ちょっとずるいよなあ。いや、いいんですが。追加要素がなければないで寂しいと思うでしょうから。

DS版での追加要素は、あまり目玉になるような感じではなく、ONLINEに関係するような追加ミッションとゲストキャラクター、後は新兵器の追加。あ、対戦も追加されてるみたいですか。二周目以降にオープンされる要素や、また難易度をあげることも可能だそうで、敵がアイテムを使用してくるなど、ベースになる部分にも手が加えられているみたいです。でも、追加要素の一部はシリーズを遊び倒しているファンのためのものであるようだから、私みたいに第一作目しか遊んでいない人間には、ちょっと疎外感が感じられて、今からでもシリーズを追っていけるかなあなんて思う私はきっとスクエニの思うつぼなのでしょう。

昔遊んだときの記憶は、残念ながら随分と薄れてしまっています。だから、多分新鮮な気持ちで遊べるんではないかと思える『フロントミッション』。多分、私はこのDS版を買うんじゃないかなと思います。今はまだクリアできていないゲームがあるから躊躇するけれど、でもいずれ買って、暇を見ては遊ぶんじゃないかな。そんな気がします。

2007年3月19日月曜日

Don't Know Why

 iTunes Storeにて六曲ダウンロードしましたという話の続き。本日は第五曲目、再び洋楽に戻りまして、Norah JonesのDon't Know Whyが選ばれましたという報告です。うー、以上。以上? いや、私ノラ・ジョーンズとかよく知らないんですよ。名前くらいは聴いたことありますよ。けど、正直どういう人か知らない。どういう歌を歌うかも知らない。じゃあ、なんでダウンロードしたのといわれると、それはあれですよ。お勧めをいただいたからです。ノラ・ジョーンズはどうですか? 何年か前にグラミー賞をとった曲があるはずですから、そのへんがきっといいですよといわれて、きっといいに違いないと思ってダウンロードしたのでした。なお、曲名とか全然わからないので、Wikipediaで調べて、それでようやくDon't Know Whyに行き当たった。それくらい、なにも知らなかったのです。

ノラ・ジョーンズ、ジャズシンガー、ダウンロードしたDon't Know Whyを聴いてみれば、それはとてもゆったりとした曲。ちょっとメランコリック。ジャケットに見える女性が歌っているとはちょっと思えないような気だるさがあって、この歌っている当時22歳だったんだそうですね。確かに聴いてみればちょっと若いかなって感じはします。けど、だからといって即ジャケットの女性に直結するとも思えない。微妙な風合い。若さを残しながらも、成熟を見ようとするような雰囲気もあって、豊かでそして整っている。そんな印象、確かにダウンロードしてよかったと思える、文句なしの一曲だと思います。

けど、ちょっと整いすぎているかもなんていったら罰が当たるかしら。いや、これだけしっかりしっとりと歌えるというのはそれだけの素地があるからなんですが、整いすぎているという感じがあるために、聴きやすすぎるというか、耳に素直すぎるというか、そういう不満が出てくる、いや人間というのは贅沢なものだと思います。おそらくはこれがレコーディングだからそうなんだと思うのですが、もしこの人をライブで聴いたらきっともっと違うはず。その場その時の空気感をともないながら、また違った味わいもあるんじゃないかと期待してしまうような、そんな感じがするのです。完璧は期せないかも知れないし、バランスにおいても揺れや動きが見られるかも知れないライブは、しかしその時にしかない魅力を持つことが往々で、だからきっとこの人の歌はそういう場で聴けばもっと違ったよさを見せてくれる。ぎりぎりのバランスで成立するような、そんな美が現れるんじゃないかななんて思います。

それとですね、この人の曲は、年を経るごとによくなるんじゃないかなあって思います。確かに、今の日本じゃちょっと見かけないような22歳ですが、けどこれが32歳だったら、42歳だったら、その経てきた歳月の分だけの味わいが積もり醸成されているはずで、その時にはきっとすごいことになってるんじゃないかななんて思って、今いくつ? ええと、じき28歳になるのかな、ああ、この五年だかできっともっと力をつけているはず。最新アルバムなんてどんなだろうとか思ってちょっと興味が出ています。

2007年3月18日日曜日

P. ハート

  『P. ハート』のP.とはなにかというと、pediatricsの頭文字であります。ペディアトリックス、すなわち小児科のこと。小児科医藤咲夏季を主人公として、小児科の現場におけるいろいろが描かれる漫画といえばその雰囲気もつかめるのではないかと思います。子供を患者とする小児科の難しさや、子供と親の関係、心の動いていく様など、小児の病気を軸にドラマが展開され、そしてそれはきっとよりよい方向へと進もうとするものだから、医療を題材としたハートフルストーリーといった感触が読後に残ります。けれど、それらはいわば前景であるというべきで、後景にまで目を向ければ、小児医をとりまく医療の状況や地方における現状など、シビアなテーマが広がっていることがわかります。一見あたりがやわらかなんだけれども踏み込んでみると実は硬派という、多様な読み方、楽しみ方のできる良作です。

私はこの漫画、レディーズコミック『You』を購読していたときに、楽しみにして読んでいたのです。でも、実は最初あんまり好きな漫画じゃありませんでした。もともと内科医だった主人公夏季は、総合病院の小児科を潰させないために小児科に派遣されてきたといういきさつがあって、いうならばこのへんが第一部。私、この頃の夏季があんま好きじゃなかったんですよ。なんかかりかりしているというか、変なプライドの高さがカンに障るというか。けど、小児科医療に従事し、同僚の医師との交流を深めるうちに、そうした面は薄れていき、そして夏季の確執が明らかになる頃には、すっかり好きな漫画になっていたんですね。私は、この漫画がこういう広がりを見せるとはちっとも予想していなかったから、正直あっと思って、ほらこないだいってたでしょう、第一印象が悪いと後で見直される機会があった時に高感度上昇が強く感じられる法則。こいつが見事に発動した瞬間でした。

この漫画、基本的なパターンというのがありまして、患者を前に病気がわからないなどといった難しい状況が提示され、さまざまな試行錯誤、調べたり人に話を伺ったり、あるいはふとしたきっかけが理解に繋がったりなどを経て、核心に迫る。この核心に迫る際の決め台詞、○○を疑いますという時の藤咲先生が格好いいんだよ、凛々しくってさ。まさにブレイクスルーという言葉がぴったりする瞬間で、事態は急転直下、ちょっとしたカタルシスが感じられる、本当に気持ちのいいシーンだと思います。

当初小児科医であることに複雑な思いを抱いていた藤咲先生ですが、自分の胸の奥にうずいていたわだかまりを洗い流した後は、まさしく小児科に誠心誠意邁進するそんな感じになって、総合病院を飛びだし地方にいったり、とにかく面白くて好きだったなあ。で、また読みたいと思って単行本を探したら、なんと2巻までしか出てないんですね。正直驚きましたよ。だって天下の集英社が、単行本の出し渋りをするなんて思いもしなかったものですから。本当、私が好きだったのは地方の医師不足に直面するN県若菜町編だったものですから、それが読めないというのは正直ショックです。

ま、実際問題として、うちには『You』のバックナンバーがそっくり残ってるから、読みたくなりゃなんぼでも読めるんですが、でもそういう問題じゃないと思う。出版は営利事業でもあるけど文化事業でもあるのだから、それゆえの特権も与えられているのだから、こういう良作を埋もれたままにしておくのは勘弁して欲しいと思います。特に、地方での医師不足がかねてより問題となり、また小児科医の自殺が労災と認定されるなど、医療の現場に逆風の状況のあることが無視できないほどにクローズアップされている昨今。『P. ハート』はこうしたことに触れてきた漫画であるわけで、ならばなおさら人の目に触れない状況が続くというのはもったいないことだと思います。

蛇足

藤咲先生が好きです。でも、張玲玉先生がもっと好きです。そう、私は件の法則に『P. ハート』を思い出したのではなくて、白衣を着たこぢんまりとした雰囲気の女の子もとい女性の時点で『P. ハート』を思い出していた。いや、それをいうなら花屋の店長さんの時点からというべきか。とにかくリン先生は31歳小柄童顔大阪弁仕事きっちり、ってもう完璧やないか。とかなんとか思うわけです。以上。

  • 中山亜純,直遊紀『P. ハート』第1巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2003年。
  • 中山亜純,直遊紀『P. ハート』第1巻 (クイーンズコミックス) 東京:集英社,2004年。
  • 以下続刊

引用

2007年3月17日土曜日

風になる

 iTunes Storeお買い物シリーズの第二弾はつじあやのの『風になる』。映画『猫の恩返し』の主題歌で、コマーシャルとかでもじゃんじゃん流れていたから、知っているという人も多いんじゃないかと思います。私は映画見てないから、この歌が映画の世界とどう繋がってるとかはわからないんですが、青春の、というとちょっと気恥ずかしいですが、若い人の溌溂さとか、そういうのが感じられる実にいい歌だと思います。けど、実のところいいますと、まともに通しで聴いたの、これがはじめてなんですよ。

この曲には因縁があるんです。いやいや、そんな深刻なもんじゃないです。もっと馬鹿馬鹿しい話。実は私、随分前のことですが、ウクレレを持ち歩いて練習していたことがあるんですが、だってギターは持ち運ぶにはちょっとかさばりますからね。だからウクレレ。象のかたちをしたウクレレを持って、ちょこちょこって弾いてた。それで、なにかちょっと気の利いたのを歌えるようになれたらいいなと思って買ったのが、つじあやののウクレレ歌集だったんです。ところがですよ、この曲集、なんと楽譜がついてないんです。歌詞があってコードがついてる。けど楽譜はないからメロディがわからない。やられたー。いやあ、同じ頃に発売されたピアノ伴奏付き曲集には楽譜がしっかりついてたから、てっきりウクレレ本にもついてると思ったよ。といっても早とちりした私が悪い。背表紙にはちゃんとコード付き歌詞集とあって、だから中身を確認しなかった私がいけなかったのです。

メロディのわからない私にとって、この曲集は長くつじあやのプチ写真集でしかありませんでした。けど、そんなのつまらないじゃないですか。やっぱり歌いたくて買ったのですから、いつか曲を知って、歌えるようになりたい。そう思っていた私には、今回のダウンロードは実にいい機会になってくれて、そう、とりあえず一曲目の『風になる』から歌えるようにしようかね、とそういうつもりになったのです。

けど、私にあの雰囲気は出せないんじゃないかなあ。いや、つじあやのが女性で自分が男だからとか、そんな程度の話じゃなくてね、なにしろ私には別れうた唄の影があるとかないとか、そんなやつが歌った日には、この歌の持つ雰囲気、なんかリラックスした気分、素朴でふんわりとした曲調が重く湿っぽくなっちまうんじゃないかなあ。けど、実際もともとの曲、ポップで愛らしい、いい曲だと思うんです。大げさな感じなんかまるでなくて、等身大の気持ちが素直に出るとこんな感じになるのかなって、そういう歌。私もこんな風な歌が歌えるようになりたいものだなあ。明るくって、けどちょっとメランコリーもあったりしていい歌です。

この曲には2バージョンあるのですが、無印バージョンはポップさが強調されて、アコースティックバージョンはリラックスムード、等身大感覚が前面に出てきていると思います。どっちが好きかといわれると — 、どっちも好きかな。このふたつの感覚、決して対立するものじゃないと思います。どちらもとてもいい感じだと思います。