書店でこの本見かけて、なにかひかれるところがあって購入にいたったのですが、その判断は誤っていませんでした。しかし、私は気付いていませんでした。突然、いつも通りすがりに通り抜けていく書店の棚に現れたものだから、新刊書かと思っていたのですが、この本、実は昨年夏に出版されていたのですね。奥付を見れば第3刷。地味ながらも徐々に版を重ねているようで、実際この漫画はそういう着実な売れ方をする本であると思いました。決して派手にぱあっとは売れないだろうけれど、この本の持っている空気、真面目そうで、固そうで、けれどまっすぐにこちらを見つめ返してくる強さにその袖を引かれるものはきっとあると思うのです。ちょうど私がそうであったように、何気なく手に取って、どうにも捨て置くことができずに蔵書に加える、そういう出会い方をする本であると思います。
内容は……、固いよ。真面目で、誠実で、教室で起こるできごと、事件にまっすぐに向き合って、決して目を背けない。そんな教師、鈴木先生が主人公です。けど、決して目を背けない
、だなんていうと、なんだか熱血教師ものみたいですが、あるいはすごくエネルギッシュな人格者を思わせたりもしますが、でも実はそうじゃない。鈴木先生は自身迷いながら、見つからない答えを探そうとする、どこかに答えを見つけているという実感があるから、その実感を自分のものとしたい。まさしく探究者然とした姿を見せてくれるのです。そしてその姿が、迷いも含めて、鈴木先生の、この漫画の魅力となっているのではないかと思います。
鈴木先生の姿はおそらく作者のスタンスを投影しているのだと思います。日常に、些事になおざりに流してしまうようなできごとを拾い上げて、そのものの持つ意味を考える。その積み重ねが、この漫画のコマの隅々にまで行き渡っている。そういう感じがします。そうした感触は鈴木先生の苦悩苦心とその末に導き出される答えにも濃厚で、思いがけないことを言い出したかに見えたとしても、その奥には熟考がある。言葉が分厚いのです。これは、他人の発した言葉をただそのフレーズに憧れをもって引っ張ってきたようなのとは違う。その人の奥からかたちを成して押し出されてきた、他でもないその人自身の言葉であると、そう感じさせるだけの実質を持った強さに満ちています。
この漫画が面白いのは、こうした実質を持った言葉が戦いあう物語であるからだろうと思います。面白い? そう、面白いのです。投げ掛けられた問題、それは謎であり、あるいはそもそも答などないような問題であったり、しかしその絡み合い込み合った筋道を整理し、そこに自分なりの答えを見いだそうとあがく。そのプロセスのスリリングなことったらないですよ。上質のミステリーを読んでいるかのような気持ちになるといったらいいすぎでしょうか。いや、私はその感覚は決して間違えていないと思っています。渾身の力をもって投げ掛けられた命題を、誠心誠意をもって受け取らんとするそのまっすぐさ加減。時に常識に挑戦してでも、納得のいく落とし所を見つけようとする。でもそれは鈴木先生が教師だからじゃない、大人だからでもない。それはこの人の誠実たらんとする資質によって生み出される美徳であると思います。そしておそらくは、この美徳は作者に発しています。
- 武富健治『鈴木先生』第1巻 (アクションコミックス) 東京:双葉社,2006年。
- 以下続刊
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