2012年5月15日火曜日

UN-GO

 2011年は、これはいいな、そう感じられるアニメが多かったなあ。そんなこと思っている私が、結果的にこれが一番だったというものはなにかと申しますと、『UN-GO』であります。坂口安吾の書いた『明治開化 安吾捕物帖』を下敷にして作りあげられた、全11話のアニメシリーズ。映画も公開されました。見にいきましたね。探偵もの、とはいいますが、推理ものというよりもむしろ社会を描いた、そういった方がしっくりくる。まさに今の時代に生起し、私たちの今を掬い上げている、そうした実感に溢れる物語。素晴しかったですね。

下敷になった『明治開化 安吾捕物帖』はどういうものかといいますと、文明開化を迎えた明治の御代を舞台に、奇怪な事件を語ってみせる、謎解きものというよりも、むしろ動乱の時代、社会を描いたものといった方がらしいかも、そういう小説なんです。で、ここに書かれている事件というの、実際にあった事件のもじりだったりするらしく、さらにいうと安吾が生き、またこの本の書かれた第二次大戦後という時代、それを色濃く反映しているとかいうんですね。今という時代を語るのに、明治という過去を舞台に借用した。では、その物語を下敷にするアニメ『UN-GO』はといいますと、まさに今という時代を語るために、近未来、もしかしたら訪れるかも知れない未来を舞台に持ってきたのですね。

さて、その近未来とはいかなる時代なのかといいますと、またもや戦後です。監視社会。ネットは徹底的に検閲され、思想や信条を理由に逮捕もありえる、そんな時代。見事、ディストピアであるわけですが、しかしそのディストピアがある種現実味を持って迫ってくるものだから困ります。今、私たちの社会、日本という国にたちこめている閉塞感。鬱屈から生じるのだろう粗暴な論理や、徐々に強まる各種規制、それらが行き着く先がこうした社会なんじゃないだろうか。東京新宿には戦争の傷跡が色濃く残り、立ち入り禁止区域に住まいする行き場のない人たち。監視され情報が統制されているネットに自由はなく、人びとはネットを離れ、闇取引にて目当ての禁制品を入手しようとする。ああ、なんでこんな描写にリアリティを感じてしまうんだろう。登場する人物の言葉のはしばしに、今私たちの直面している、していた問題が、言説の断片が浮かんでは消える。都条例に代表される表現規制、反対する人たちの間に流布した言説の取り上げられて、またそこにある欺瞞性、それが炙り出された時には、やられた、そう思いましたよ。

しかし、たとえ『UN-GO』がどれだけよくできていたとしても、さすがにこの未来はこないだろう、そう思う気持ちもあったわけです。だからこそエンターテイメントなのかも知れない。危ういなあ、まさに私たちの今を描いてるなあ、ひりひりしながら見て、見終えた時に、くっそー面白いなあ、ディストピアに至っていない今に立ち返って溜息したわけですが、しかし、このアニメが放送されていた2011年当時より2012年の現在の方が、『UN-GO』的ディストピアに接近してるってどういうことだい?

いつまでたっても愚かなままの私たち人間は、かくもたやすく、かつて歩んで後に悔いることになった、ディストピア、暗黒社会に通ずる道を選んでしまうのか。昨今の状況見るに、そうした不安はつのるばかりで、ああ、今年も『UN-GO』は面白いぞ。何度見ても、どれほど見ても、面白さ尽きぬぞ。ええ、これはまさしく今の私たちのアニメーションで、そして将来にも通用するだろう、そうしたアニメーションと感じます。

Blu-ray

DVD

CD

  • 會川昇『UN‐GO — 因果論』矢優子イラスト (ハヤカワ文庫JA) 東京:早川書房,2012年。
  • pako『UN‐GO — 因果論』(カドカワコミックス・エース) 東京:角川書店,2012年。

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