2011年4月18日月曜日

あかつきの教室

 『あかつきの教室』は『週刊漫画TIMES』に連載されている漫画。って、なんとこれ不定期連載だったのか。それは知りませんでした。そして知らないのは不定期だっていうだけでなく、その内容についてもでした。主人公は学校の先生。田舎の学校で教えている、みたいな話だけは知っていて、けどそれで『二十四の瞳』みたいな話なのかなあ。そう思っていたんです。いやあ、違いましたね。なんてったらいいのだろう、ちょっと不思議な感じもある、そんな感想です。それはおそらくは、主人公である先生のキャラクター、それに由来するものもあるのだろうけど、同時に漫画全体に感じられる雰囲気、こいつも大きそうだなって思ったのでした。

先生のキャラクター、そういえるほどまだよくつかめていないのですが、ええ、なにかつかみどころがない、そんな感じがするのです。理科の先生だそうで、生物が専門なのかな。第1話では、海岸に打ち上げられたリュウグウノツカイを拾っていて、どうも動物の死体をみつけると、拾ってきて標本にしたりしてるらしい。ええ、リュウグウノツカイも第2話でしっかり標本になっていましたね。

この人、暁千夜子、ちょっと謎めいて、けれどどことなくワイルドと思えるところもあって、学校では優しく物静かといって人気、そしてロマンティスト。なんだかすごく多面的で、そしてその多面的表情のひとつに、なにか寂しげであったり、あるいはどことなく空虚を感じさせるものがあったりするのですね。それは、最初、なにか達観していたり超越していたり、そんな雰囲気感じさせる人っていますよね、現実にまみれていないというか、そういうのかもと思っていました。でも読み進めれば、ああ確かにこれは空虚ないし寂しさ、そうしたものとして描かれてるんだ。そうしたものとして受け取っていいんだ。そう感じさせるものがあって、ええ、その雰囲気、ニュアンス、なにかすごく心に引っ掛かってきたのですね。

そうした陰鬱さは漫画全体にもたちこめていて、死のイメージ — 葬儀の風景や、死んだ動物たち、そうしたものも手伝って、なにか不安めいた感情がバックグラウンドに流されていると感じられて、けれど同時に生のイメージも流れているのですね。エロスとタナトス、対照的なものをセットにして語ったりしますけれど、そうした感覚があるといってもよいのかも知れません。なにか立ち止まっているかのような感情があれば、前を向いて伸びようとしている、そうした心も見て取れて、そしてそれらは対立するでもなく、また対比されるでもなく、ともにあって、ともに息衝いている。相容れない二面に見えて、実は同じものを違う向きから見ているだけなのかも知れないと、そういった手触りを伝えてくるようにも感じられたのでした。

この二面性の同居するかのような感覚は、思えば『蝴蝶酒店奇譚』にも感じられたものでした。そしてもしかしたら、『少女カフェ』もそうなのかも知れない。より濃厚に押し出されているのは『蝴蝶酒店奇譚』だと思う。死、喪失、儚さが描かれ、同時に生きるということの生々しさや永続への憧れのようなものもにじんでいた。『あかつきの教室』は、それらをより私たちの生きる今の世界に近く、引き寄せてみせたものなのかも知れません。春秋を一度はとらえ、そして後退りさせた、私たちの持つ生々しい身体。それは死によって失われるなにかに支えられているのだろうか。死んでしまった身体に私たちが感じる、また違う生々しさ。そうした感覚がまざりあって、なにか不思議な手触りを残して、そしてこの感覚を背景に、あかつき先生たちの暮らし、そこにあらわれるドラマが描かれるのですね。

あかつき先生は理科の教師。なので生物や天文などがモチーフとなって、そこに表現される彼女のあり方、それはとても科学のマインドにあふれるものだな、そのように感じさせられたものでした。けれど、こうしてひととおり読んでみて思ったのは、その科学のマインドなるもの、それは生も死も、なにもありのままに見て取ろうとする、そうした態度にほかならないのかもな。そんなことを思ったのです。そしてそれは、作者である板倉梓その人の態度そのものであるのかも知れないとも思ったのでした。

  • 板倉梓『あかつきの教室』第1巻 (芳文社コミックス) 東京:芳文社,2011年。
  • 以下続刊

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