ペンタングルを聴きはじめたからなのか、あるいははじめからそうした傾向があったのか、私はどうにもイギリスの民謡なんかが好きであるようです。そんなわけでいろいろちょこちょこCDやなんかを集めだしたりもして、この度買ったというのがイギリスとスコットランドのバラッド集。Jack Orionが目当てでありました。
Jack Orionというのは、以前お話したペンタングルの『クルエル・シスター』に収録されたJack Orionでありまして、同じ曲が違う歌い手に歌われることでどう変わるのかというのを知りたい一心での購入でした。
聴いてみて、びっくりしました。なにに驚いたといっても、その素朴さ。ペンタングルのJack Orionにしてもそれほど派手派手しい曲ではないですが、そんなどころじゃないくらい素朴で、にわかに同じ曲とは思われない、 — というか、これは違う曲です。
私はとんだ思い違いをしていたようで、Jack OrionにせよCruel Sisterにしてもこれらはトラッドのナンバーで、つまりは民謡。こうした曲が、そもそもソフィスティケイトされてるはずがないんですよ。ものすごく土俗的な響きや匂いがして、わあ、やっぱり民謡なんだと思いました。
私の思い違いというのは、ヨーロッパの音楽は洗練されているものだという思い込みに根ざすものであったのでしょう。いや、しかしそれにしてもですよ、私はブルガリアの民謡の強烈に土俗的な様を聴いて知っていたというのに、じゃあなんでそれがイギリスだったら洗練されているだなんて思ったのでしょうか。偏見でしょうね。偏見です。
けれど、私はこの人間臭さ、民俗臭に触れて、なんだか目の前が明るくなったような気がしたのでした。私は、これまでヨーロッパの民謡歌手たちの演奏を聴いて、その表現の巧み、洗練に憧れてきたわけですが、けれどそれはあくまでもモダンアレンジのされたものだということがわかって、つまりはやり口の問題であるわけです。素材は本当に土地のもの、長く歌い継がれてきた民謡であり、そしてそこに現代風が持ち込まれることでどう変化するかという、その様を見て取った気がしたのです。
口伝えするうちに練り上げられた民謡に、絶えず今の風が吹き込まれている。素晴らしいことだと思いました。古いスタイルには、今のスタイルが失った強さがあり、新しいスタイルには、古いスタイルには存在しない表現があり、どちらがよいわるいというものではありません。どちらもが素敵なものに違いないのです。
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