2005年3月18日金曜日

ラン・ローラ・ラン

 私が『ラン・ローラ・ラン』を知ったのは確かNHKのテレビ『ドイツ語会話』だったと記憶しています。文化コーナーで紹介されてて、それがどうにも面白そうだと思ったんですね。それに多分タイミングもよかった。PS2でDVDが見られるというのが嬉しくて、DVDを毎月買ってた時期があったのですが、そんな頃に『ラン・ローラ・ラン』のDVDが出ていたものだから、勢いで買ってしまったんですね。

勢いで買っただなんていってますが、いえ、ちっとも後悔なんてしていませんよ。何遍も見て、何度も何度も見返して、それでもたまにはまた見たいなんて思える映画なんて、そうそうあるわけじゃありませんから。

『ラン・ローラ・ラン』は、そのコンセプトが面白いんですよ。一番最初に哲学じみた文句が語られたと思ったら、あとはもうローラが走って走って走りまくる。といいましても、走ってるだけの映画じゃありませんよ。ちゃんと目的があって走ってて、けど、その目的にたどり着くまでの道筋がちょっとずつ、ちょっとずつ違うんですね。

ここで映画の構造をいってしまうと、この映画の面白さを台無しにしてしまうから、ちょっと黙っておきますね。けど、この構造こそがこの映画の面白さであるのですから、構造を語らないことには映画の説明ができない。むう、じゃあ、映画についてじゃなくて、ちょっと寄り道話をしましょうか。

私は、これまでも何度かいったことがあるかと思いますが、人の一生はすべて偶然でできていて、必然であるとか運命的であるとか、そういうことはまったくないと思っています。あの日、あの時、あの場所で、あなたとわたしが出会えたのは、きっと運命に導かれたからだわね、だなんて絶対考えない。そんなもん、たまたまにきまってるじゃんか。タイミングが偶然あっただけのことであって、もう一遍あの日を最初からやり直したら、出会えてるかどうかなんてわからんぜ、なんて思っています。

以前、『スライディング・ドア』を取り上げた時に、必然偶然どうこうといってたんでした。『スライディング・ドア』も私の人生観にしっくりくる映画ですが、けど見終えたときには人生に必然はあってもいいななんて思うだなんていってました。これ、なんでかといいますと、『スライディング・ドア』がセンチメンタルでロマンティックな映画だからですよ。映画の雰囲気にほだされてしまって、感傷に引きずられるまま、必然ってあったら素敵よね、きっと。なんて思うんです。

ですが、『ラン・ローラ・ラン』には、そうした感傷の入り込む余地なんてないのですね。テーマは『スライディング・ドア』にほぼ同じですが、ものすごく強い意志が、自分の人生は自分が決定するんだと主張してる。そんな感じがびしばし伝わってきて、そうだよ、人生はなるように流されるんじゃなくて、自分の意志でもって勝ち取るべきもんだよ、そうだよ。なんて、映画を見終わる頃には、すっかり鼻息も荒くなってしまってる。— ええ、私はその場の雰囲気に影響されやすい人間なんです。

映画の構成も明確で、主張も実にわかりやすい『ラン・ローラ・ラン』。さすが意志と表象としての世界を生きているドイツ人の作った映画だと思いました。けれどエンターテイメント性も抜群で、バックに流れるテクノも実にクールです。

80分ほどで終わるという手頃さも手伝って、何度も何度も見た映画です。多分、これからも何度でも見るかと思います。展開もストーリーもなにもかもわかってても、それでも面白いのですから、本当に当りの映画かと思いますよ。

サントラ:

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