2005年3月26日土曜日

夏彦の影法師

 私は山本夏彦が好きです。氏の読者としては、遅れてきた部類に入るようなものではありますが、それでも夏彦翁の飄々とした語り口、諧謔にあふれた言葉の端々にうかがえる鋭く冷めた視線、寄せては返す波の音、繰り言みたいに同じ話が何度も表れて、けれどそれがちっともいやにならないのは、それがひとつの芸みたいになっていたからだと思います。

私は氏の著作を読んだというほどには読んでいません。とにかく膨大な数の著作があって、それを全部読むというのはなかなか骨の折れることで、色々読みたいというのが私ですから、どうしても夏彦一色にはなれなかった。けど、本当は氏の書いたものを全部読みたいと思っています。それだけの余裕が今私にないのが、本当に悲しいです。

氏が亡くなられたのは2002年の十月のことで、私にはひどくショックでした。そして翌2003年に、夏彦翁の手帳をベースに書き下ろされたこの本が出て、私は一も二もなく買って、著者は夏彦翁のご子息、山本伊吾氏でした。

私、この本を読んで、夏彦翁を見誤っていたことを知ったんですね。私は、翁はその持ち前の機知と工夫でもって、世の中を飄々と渡ってきたものと思い込んでいたんです。ところが、本当はそうではなかった。氏も苦しみや空しさを抱えて、ただそれを安っぽく人に言って聞かせなかっただけで、けれど、私は氏の本を読んでそうした奥に広がっていた世界に気付かなかったことが恥ずかしくてなりません。ええ、なにが読書か、言葉になっていない世界に思いを馳せて、そうしてはじめて本を読んでいるということになるのではないか。

ちっとも氏の本質に思いをいたらせていなかった私は、自分を恥じつつ悲しく思い、けれどこの本のおかげで、それまでよりも夏彦翁を近しく感じられるようになったと思います。

けど、多分まだ私は、氏の理解においてはまだまだ浅いことだろうと思います。けど、だから、もっと私は夏彦翁を知りたい。もっと氏の本を読みたい —。憧れ已まぬ人なのです。

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