2005年3月8日火曜日

人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ

  私がこの本に出会ったのは、忘れもしない高校の図書室で、私は平成の高校生だったから、新刊書として所収されたところを借り出したのでしょう。この本の出版は1990年。思い返せば、あの頃が一番貪欲に本を読んだ時期の最後だったような気がします。

この本はなによりタイトルが振るっていて、『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』。人間がいきるのに必要なことっていうのは、子供のうちにすべて基礎づくられているのかも知れないと思わせるタイトルで、書名と同じ表題のつけられたたった六ページの章を読めば、確かにその通りかも知れないと思う。人生に必要な教えというのは、子供の頃に友達と転げ回っているうちに覚えたことで充分なのかも知れないと思えます。

けれど、その素朴にして豊かな教え、おそらく私たちの全員がその意味するところを容易に理解できることが、なんでか大人になると守れない。

皆で分けあうこと、ずるをしないこと、人をぶたないこと。使ったものはもとに戻し、後片づけも忘れない。人のものには手を出さず、誰かを傷つけたらごめんなさいをすること、などなど、などなど —。

私はシンプルで明快な人生を求めているので、当然フルガム師の信条は多く私の信条に重なっています。けれど私は自分の決めたことすらも守れず、出したら出しっぱなし。釣り合いのとれた生活なんて夢のまた夢、自分を縛りつけるばかりで、だから私は自分が意固地でいやな人間だと思う。

フルガム氏の文章は、日常におこる普通のことごとを切り取って、ドラマチックでちょっと特別な出来事に変えてしまう。そんなアイデアと機転が利いた、人の心を捉えてやまない魅力がある文章なのですね。本人曰く、職業は哲学者なのだそうですが、実際にはどうも牧師のようで、折りに会衆を前に話さなければならないという経験が、この本の面白さの基礎を作ったのかと思われます。

発話が文章のおおもとにあるから、なにより言葉がやさしく、すっと滑り込んでくるような感じで読めるんですね(おお、私のこちこちの文章とは大違い!)。結構重大なことも、真実に迫る問題も、揺るがしにしてはいけない懸案ごとも、どれもが素直な文章でシンプルに、大切なことを語る重みをもって話されているんですね。

大事なことをわかりよくというのは、人に向けて語るときに一番大切なことではありますが、またなによりもむつかしいことで、けれどフルガム氏はこのむつかしいことをしっかりとやり遂げています。それは、読んだことが他人事みたいにではなく、まるで自分に向けて話されたことのように素直に胸におちるように感じられることからもわかります。自分に足りなかったこと、いたらなかったところがあったとしても、素直に受け止めて反省したり、明日への活力を取り戻したりすることができる。そういうフレッシュさにあふれた本なのです。

なんだかいやな世の中だなと思ったり、しんどいなと思うこともあったり、そんな陰鬱さがあちこちに顔をのぞかせるような時代に私たちは生きていますが(もしかして私だけ?)、けれどもし皆がこの本の、冒頭の一生だけでも読んで共感したら、そしてその共感を実際のこととして表すことができたら、なんだかぎすぎすしたように感じる今が変わるんじゃないかなと思ったりもします。

少なくとも、ちょっと読み返してみた私の心は、ちょっと平穏な感じになってますからね。ほんとですよ。

『新』には「人生に乾杯!」という章が付け加えられているみたいです。その他は、多分旧版と一緒かと思います。

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