以前、友人のお家に遊びにいった時、車に乗せてもらったんですが、カーオーディオから流れてたのが『ちょっときいてな』という曲で、私にはすごくカルチャーショックだったんです。なにがショックといっても、その歌詞。関西弁です。関西弁といっても、よくあるえげつない関西弁ではなくて、子供の頃から耳に馴染んできた、私の愛する関西テイスト。私はこの言葉に京都周辺地域の匂いを感じたのですが、歌い手である藤田陽子は奈良の人らしく、だから奈良弁。うん、確かに京都弁では言いはんねんとはいわない。うちらへんでは言わはんねんというのが普通です。
この歌聴いてね、私は嬉しかったんです。ほら、メディアにのぼる関西弁ってどうしようもなくどぎつくって、それが関西弁って思われている節もあって、それが私どうしようもなくいやだったんです。そんなただ中にあらわれた『ちょっときいてな』。その、あまりにナチュラルな関西弁の響き、イントネーションに、私は子供時分を思いだして、ちょっとしんみりした。このところ耳にしない言葉の響きに、切なさが込み上げて、それは多分失ってしまったなにかを惜しむ気持ちなんでしょうね。
この歌を聴いて、車の中で誰の歌か、タイトルはなんというのか、とにかく色々聞きだして、次の日タワーレコードにいって探して、早速買って、家族にも聴かせて、素晴らしさにむせび泣いて、何度も何度も聴いて、職場でこの歌は素晴らしいよっていったら、知ってるっていわれちゃった。ああ、以前、FM802でヘビーローテーションされてたんですか。有名な曲だったんですね。うん、でも遅まきながら知ったとて、この曲の真価が変わるわけでなく、むしろ万人が認めた名曲だったということに嬉しさのほうが勝っているってもんですよ。
コクトーの詩に、私の耳は貝の殻というのがありますが、ならば私はこの歌に、昔のひびきをなつかしんでいるのでしょう。育った場所、育った地方の言葉というのは、一口にいえない感慨をもって胸に迫ります。
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