2005年2月24日木曜日

The Cuckoo

 『ザ・カッコー』はアイルランドのトラディショナル・バラッドで、なにしろカッコウはその特徴ある声で知られて、詩の題材や音楽の主題によく使われています。以前紹介しましたブリテン島とアイルランドのフォークソング本にもカッコウをタイトルとする曲が三曲収録されています。そのうちの一曲は、今日紹介する『ザ・カッコー』と歌詞の一部を同じくしていまして、もしかしたら途中で枝分かれしたものであるとか、そういう関係のあるものなのかも知れません(いや、本当のところは知りませんよ)。

アルバム『バスケット・オブ・ライト』のノートによると、『ザ・カッコー』はサマーセット地方の民謡であるそうです。

『ザ・カッコー』の歌詞を見ると、カッコウが非常に象徴的に扱われていることがわかります。美しい声でよいニュースを告げるカッコウ。その告げるものは常に真実であり、ですが続くヴァースでは、恋人の嘘に傷つけられた女性の悲しみが歌われます。カッコウが飲むという白い花の露に対比されるのは、枯れた花に流された涙で、これはつまり真実を求めながらも得られない現実の苦に対する恨みの歌なのでしょう。あなたの裏切りがいかに私を傷つけたか、その苦悩を不実な男達に知らせたいという思いが込められています。

うん、実に私好みの主題ではありませんか。

しかし、ジャッキー・マクシーの歌唱というのは、なんと素晴らしいのかと思います。圧倒的な透明感、歌詞のシラブルもそれぞれ際立って、言葉のリズムはメロディの起伏を支えて軽快。英語という言葉のうちにある音楽性は、この粒立ったリズムなのだろうと感じられます。

そして、もちろん伴奏も素晴らしい。二本のギター、ベース、グロッケン、そしてシンプルなドラミング。なすべきことをわかっているというのは、こういうことなんだと思います。誰もがあるべき位置を理解して、すべきことをまっとうして、なのにひとりひとりの個性もはっきりとしている。抜群のバランス感覚が光る、最高のアンサンブルであると思います。

ああ、私もこんな風に音楽をやりたい。もっとギターを練習しよう。カッコウは夏を告げる鳥です。来る夏を遠くに見ながら、練習を続けましょう。

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