夏目漱石も文鳥を飼っていました。うちのと同じ白文鳥だったようです。うちに文鳥がやってきたいきさつは、迷子になっていたのを保護したというものでしたが、漱石の場合は、鈴木三重吉が鳥をお飼いなさいと勧めたのがきっかけでした。そのへんのことは、漱石が書いて残した小文『文鳥』に書かれていて、本当に短い文章ではありますが、鳥のことをよく見て、詳細に書かれた描写が美しいです。漱石も、勧められるままに飼いはじめたみたいな風ではありますが、本当はこの鳥のことを気に入っていたのだと思います。そういう気分が伝わってくるんですね。
(画像は新潮文庫『文鳥・夢十夜』)
明治四十年から四十一年にかけての話ですから、漱石が四十の頃の話です。文鳥を飼って、その姿、声を楽しみにした日々が書かれて、細々世話をしてみたり、いろいろと知らないことがわかったり、また鳥が懐くのを心待ちにするかのような記述も面白く、なにか、その一コマ一コマが目に浮かぶようで、ほほ笑ましくなります。そうなんです。鳥は、その姿を見ているだけで楽しくさせるよさを持っています。美しい姿、美しい声。それに文鳥は、慣れれば手にも乗りますから。ですが、漱石の鳥は手乗りではなかったようです。
ただ、こうした美しいものも、暮らしの中に入ってしまえば、いつしか当たり前のものになってしまって、忘れがちになるんですね。うちの場合も、最後の最期は毛布のかけ忘れという、世話をないがしろにしたのが原因でした。その頃、鳥の世話は母の役目になっていましたが、だからといって私も小さい頃は鳥のことが好きで仕方なかったのですから、世話をしなかったのは私にしても同じ。母を責めませんでした。可哀相なことをしたと言い合いながら、母は母で、私はまた私で、自分の不注意を責めたことであろうと思います。
この小文に見られる漱石の態度というのは、遣る方ない怒りを人に向けることで紛らわせたのではありますが、結局三重吉に宛てた言葉のすべては、自分自身への責めであったのだろうと思うんです。漱石は、自分の不調法なことを悔いたのだと思います。鳥を手に取って、その様を最も悲しんだのは漱石自身であったのだと思います。
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