たかの宗美の鳥漫画第二段は、ボタンインコのつがい、紅丸とぼたんのいる暮らしを描いた『紅丸ぼたん』。この漫画を見るかぎり、ボタンインコはしゃべらないみたいですね。けれど盛んに鳴き交わし、謎の行動をするところなんかは、とても可愛いのだそうです。作者いわく、ハムスターに似ているところがあるとか。けど、大きな声でなくことのないハムスターとは違って、ボタンインコの鳴き声はそれはそれは大きいみたいですね。アフリカのジャングルで意思を疎通するには、大きな声が必要だったんでしょう。
たかのさんの鳥漫画は、基本的に脚色なし、絵もリアルというよりは漫画記号的でシンプルなものでして、なのに読みはじめるととまらない面白さがあるんですね。これは多分、作者の鳥に対する好きという気持ちに、ただならないものがあるからだと思います。鳥は鳥の都合で、好き勝手に暮らしているばかりですが、その好き勝手なやつらの行動をうまく拾い上げて、面白いストーリーに作り替えてしまうんですね。けど、作為とかが透けてみることはなく、すごく自然。そうそう、鳥ってそんな感じやんねとうなずくこともあれば、ほー、そうなんなことしよるんやと思うこともあって、共感できたり新鮮だったりで、もうすごく楽しい。多分、私は鳥を自分の目で観察するよりも、鳥好きの他人の目で見るほうがいいのかも知れません。だって、私はたかのさんやこうのさんみたいに、鳥のいろいろを見付けられませんから。
でも、鳥を淡々と観察し続けるという楽しさは、よくわかりますよ。鳥を飼わなくなってずいぶんになりますが、それでも庭に遊びにくるメジロやヒヨドリを見ていて飽きません。蜜柑や林檎を切って餌台にさしておけば、鳥たちが集まってくるんですね。メジロは二羽三羽と連れ立って、ヒヨドリはたいてい一羽で、果物をつついて、その様は見ているだけで本当に楽しい。時間を忘れます。
死なせてしまうのがあまりにつらいから、動物は飼わないといいました。だから野鳥を愛で、漫画に描かれた鳥を楽しむのでありますが、悲しいことに、漫画の鳥であっても、やっぱりその向こうには生きた鳥がいるのでありまして、だから亡くなったということを知ったときは悲しかったです。まるで自分の飼っている鳥を亡くしたみたいな、そんな気持ちさえありました。それまでの漫画が、楽しいところ、可愛いところを切り取った、本当に仕合せなものだったから、その気持ちはなおさらでした。
けれど、悲しくともつらくとも、すべての生き物には死がつきものであることを忘れてはいけない。死があるから、すべての生が価値あるのだと、そのことは忘れたくないなと思いました。ええ、鳥の死であっても、その重さは決して軽んじていいものじゃありません。
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