2006年5月31日水曜日

夜回り先生

  『夜回り先生』は小学館の漫画雑誌『IKKI』に連載されている漫画で、夜学の教員水谷修氏の手記『夜回り先生』が原作です。漫画は土田世紀。あの独特のタッチ、濃密な描写が現場のリアリティをいっそう際立たせて、人間臭さも強烈に押し寄せてきて、引き込まれてしまいます。すごい漫画です。私は目が離せない。そして、こういう現場が日本のあちこちにあるということを意識して、そして意識しながらも見過ごしにしてきた今までを振り返って、恥ずかしい。私は毅然として立ち向かえない。けれどこの漫画に一度触れれば、人間の可能性を信じたいという気持ちが湧き上がって、もし私がこうした場に立ち会うことがあらば、その時は一歩を踏み出してみようという思いもするのです。

しかしなにがすごいというのか。漫画の表現力もそうです。しかしそれ以上に、水谷氏の立ち会ってきた現場の状況が胸に迫ってきて、助けを求めている子たちが街という街にあふれているのかも知れない。人知れず、闇に潜るようにして、いつか助けの手が差し伸べられることを、いつか光の差すことを期待しているのかも知れない。そう思うと、悲しくて切なくて、仕合せのはかなさに思いをいたらせて、誰もが仕合せであればいいのにという思いにとらわれて、けれどただ嘆くだけの私はなんという卑怯者であるかと恥じます。街に出ればいい、瀬に降りればいい。難しいこともあらば、負いきれないこともあるだろう。たくさん、たくさんあるだろう。けれどだからといって、難しいからといって、手をこまねいているのが利口なのかというと、私には決してそうは思えないのです。

『IKKI』2006年7月号。『夜回り先生』にて、水谷氏の言った言葉が忘れられません。誰も待ってくれないと絶望をあらわにする少年に、

待ってるさ!! 俺が待ってる!!

俺じゃダメか…!?

きみにとっては通りすがりのオジさんだ… だけど…俺は通りすぎることができない…

通り過ぎることができない……。この言葉を、いったいどれだけの人が求めているでしょう。この言葉が、いったいどれだけの人を救うでしょう。そして見過ごしにできない、見過ごしにしてはいけないことは、この地上にはあふれています。だから、私もいつか、通りすぎることができず、立ち止まるのかも知れません。

  • 水谷修,土田世紀『夜回り先生〜ブランコ』(IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 水谷修,土田世紀『夜回り先生』第1巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 水谷修,土田世紀『夜回り先生』第2巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2005年。
  • 水谷修,土田世紀『夜回り先生』第3巻 (IKKI COMICS) 東京:小学館,2006年。
  • 以下続刊

引用

  • 水谷修,土田世紀『夜回り先生』,『IKKI』2006年7月号 小学館,305-306頁。

2006年5月30日火曜日

GV-1 外部ファインダー

 実は外部ファインダーも届いております。

納期は六月末と聞いていたのですが、思いがけず早く届いて、ちょっとラッキー気分。届いたその日に早速とりつけて、自分のカメラがどんどん大げさになっていくのに気を良くして、けれどですね、どんどん装備品は増えていくのだけれど、増えれば増えるだけおもちゃっぽさを増していくのはどうしたものでしょう。全体にこぢんまりとして、地味で、まさかこんなに高性能なカメラだなんてと誰もが驚く実力を持ちながら、本当につつましやか。なんか小振りで可愛らしいカメラを振り回してるみたいにしか思われないから、大げさな感じも威圧感もなくて、本当によいカメラであると思います。

さて、外部ファインダーを付けてみての感想です。正直、自分にはなくてもよかったかな? というのはですね、私はずっと一眼レフを使ってきて、見える絵が撮れる絵というのになれているので、感覚としては液晶モニターの方がピンとくるのです。それに、ファインダー内にシャッター速度やら表示されるのが当たり前だったから、外部ファインダーだけで撮るのには少なからず躊躇があるのです。

けど、電源を入れることなく構図の確認ができるというのは便利ですね。持ち歩いて、ふと気に留めた光景を撮ろうかどうか迷って、さっとファインダーを覗いて確認する。この手軽感は充分に意味のあるものであると思います。残念ながら私はレンズキャップなんて付けてしまってるものですから、ここで電源オン、シャッターを押したら真っ黒の写真ができあがってしまうのですが、けれどキャップをなしで持ち歩くなら、ぱっと確認、そのまま撮影という流れは自然であるなと思います。

ファインダーで確認して、その後モニターで構図を見ながら撮影というのをやっていると、ファインダーの28mm枠よりも広めに写っているような傾向があるみたいだと気付きます。これはもしかしたら、折りたたみ液晶シェードを付けている分、ボディ裏の厚みが増して、ファインダーに充分目を近づけられていないからなのかも知れません。そうなんですよ。ファインダーへの接眼の具合で、見え方はずいぶん違います。眼鏡をかけた知人はこのファインダーは自分には使いにくいといっていて、さいわい私は裸眼生活だからいいのだけれども、眼鏡の人は要注意かも知れません。

ところで、私はカメラを持ち歩くとき、人差し指中指をレンズにそわせ、親指でペンタプリズムあたりを押さえる癖があったんです。この癖は当然GR DIGITAL持つときにもあらわれて、つまり気をつけないと親指でファインダーの前玉を押さえてしまいそうなんですよ。ただでさえ前玉の強く膨らんだファインダーだから、いつか傷を付けてしまうんじゃないかと気が気でなくて、けど傷を付けることを怖れてしまっていたんじゃ意味がないんだから、とにかく傷も味のうちだと割り切って、ばんばん使っていきたいと思います。

そんなわけで、今日の作例です。

Clothing store

Tree, man

Well-lighted place

2006年5月29日月曜日

GH-1 フード&アダプター

 フード&アダプターはもう届いております。

私は実はこのアダプターの質感に関してはあんまり期待していなくてですね、それはもう多分きっとプラスチックのごときものであろうと思っていたのですが、到着して、開けて、手にしてみて、自分の思っていたのはまるっきりの見当違いでありました。アダプターもマグネシウムなんでしょうか。表面はざらざらとして、堅牢な印象があります。味も素っ気もない筒のように見せて、その持ち重りするようなところや、意外な質感。これはいいものであるぞと思いましたね。そして装着してみて、コンパクトカメラのGR DIGITALが、なんだか一眼レフっぽさを身に帯びて、なんだかちょっと可愛らしい。ああ、これなんですよ。このなんかちんまりとしたところがいいのですよ。

以前にもいっていましたように、私はアダプターを常時取り付けて、それはフィルターを使いたいからなのですが、けれどまだ今は日常写真みたいなのしか撮ってないから、PLフィルターの出番はなくてちょっとがっかりです。けど、いずれきっとPLフィルターは使うに違いないのだから、今は慌てず、のんびりと、いろいろを撮って28mmの画角になれていこうというところです。

そうそう、私はこのアダプターに37-49mmのステップアップリングを付けているのですが、これを付けるとフードが簡単に取り付けられなくなるので注意が必要です。私はフードは大げさだからいらないかななんて思って使っていないのですが、もしフードを頻繁に取り外ししたい、フィルターも常用したいという方は、もう少し径の小さなステップアップリング、あるいは37mm径のフィルターを使うという方がいいのではないかと思います。

けれど、フィルターのバリエーションを考えると49mmくらいのほうが豊富だから、ちょっと迷いどころであるのは確かです。

というわけで、作例です。

Crossroads

Street

こうして何枚も撮って気付いたのですが、私の写真はどうも右下がりになる傾向があって、ファインダー内に水平を見つけるよう気を配らないといけないなあと反省しています。

2006年5月28日日曜日

ウチら陽気なシンデレラ

 私は真田ぽーりんの漫画が好きです。出会ったのは『なんちゃってアーティスト』、そして書店で『ウチら陽気なシンデレラ』を見つけて、買ったらそれが大当たり。『シンデレラ』は清掃の仕事をしている四人の女性が主人公の漫画で、形式としては四コマ、毎回をひとつのテーマでまとめるタイプの四コマです。

これが面白かったのは、『天使のお仕事』の時にも書いていましたが、女の子中心で、絵が可愛くって、そして身も蓋もないで、それでですね、男キャラが罵倒されたりひどい目に遭わされたりするとなおよいかと思うからなのかと思います。『シンデレラ』は、まさに私好みの漫画であると言い切ってはばかりません。

(画像は真田ぽーりん『必殺白木矢高校剣道部』第1巻)

けど、真田ぽーりんの漫画における一番の魅力とは、なんといってもみんなが元気であるところであると思うのです。ときには怠惰で、仕事に対していい加減な態度を見せたりするところもありますが、それでも基本的にはまっすぐで元気で、正義感にあふれていて、仲間友人のためにはどんな労もいとわず助けになってくれる。啖呵だって切っちゃう。そういう気持ちよさがいっぱいの、とてもいい漫画を描かれる作家さんであると思っています。

そんな『ウチら陽気なシンデレラ』も第4巻で完結。私は、終わるってことは知っていましたけど、まさかあんなにきれいに流れを作って終わりに向かうだなんて思っておらず、ちょっとしんみりしてしまいましたよ。いや、それ以前にも泣いてしまうようなところはあって、第3巻ではお見合いの回、第4巻では春ちゃんの結婚式の回、思わず春ちゃんの言葉にほろりときて、しかも悪いことにそれが電車の中だったから、けれど私は臆面もなく涙を流してしまって、だってしかたないじゃんか。悪いのはみんなこの漫画を描いた真田ぽーりんです。

そして最後への流れ。四人の昔、今、上司である山田さんとの関係、それらが確認されながら、じわじわと終わりに向かっていって、完結……。『なんちゃってアーティスト』で書いたときにもいっていましたけど、晴れ晴れとした寂しさが感じられて、終わることは悲しいよ、なら別れることはいうに及ばず、けれどその向こうに広がる未来があるのだからしんみりとしながらも嬉しくなって、そういう感じを演出するのがうまいと思います。そして、私は仲間ってのもいいよねえと思うのです。認めてくれる仲間があって、支え合える友人がいて、そうしてはじめて人は輝けるのかも知れないなと、そんな風に思ったのです。

参照

2006年5月27日土曜日

ぽこぽこコーヒー気分

 こんなこといっちゃあなんですが、私は喫茶店たんぽぽの店長さんが好きです。店長さんというのは、表紙に見えるコーヒーポットを手にしているほうの人。さて、私はこの人のどこが好きかというと、まずは身長が145センチというところ。私は背の高い人も好きですが、背の低い人もかなり好きなのです。次に30歳というところ。私は若い人も好きなのですが、ある程度年をとった人の方が好きだったりします。そして有能なところ。そうなんですよ。私はなにかに秀でた人を好きになる傾向があります。なんでもいいんです。けれど、それがその人の好きで選んだものであったらどんなにか素敵だろうと思います。そうなんですよね。やはり自分で選んだ道を全うしている人というのは、とても魅力的に見えるものです。

作者は笹野ちはる。私はこの人の描く漫画は結構なんでも好きなのですが、なかでもどれが一番好きかと聞かれたら、迷うことなく『ぽこぽこコーヒー気分』と答えます。喫茶店という固定されたシチュエーションで、店長と店員がレギュラー。あとの人たちは名前があるのかどうかさえわからず、そうしたミニマムな状況において展開される漫画は、ある種マンネリであり、けれど決まったネタの繰り返しに面白みがあるというのは大変なことであると思います。どこか一味違えてくる。見せかた、アプローチを変えてみる。そうした繰り返しの中で、少しずつ店長である彩さんやウェイトレス智ちゃんの人となり、キャラクターが見えてきて、だんだんと近しく感じられるようになるというのがなにより嬉しいことなのではないかと思います。

思うんですが、こういうプロセスっていうのは、現実の人間関係でも同じなのではないかななんて思います。最初はどんな人かなんてよくわからない。だから日常に垣間見るその人のいろいろをもってだんだんと理解していって、ときには好きになることだってあるさ。日常なんてものは、まずもって同じことの繰り返し、マンネリのリピートであるようなものですが、けどそうした中にもちょっとずつの違いがあって、その違いが面白いのだとしたら、この漫画もそうした面白さを含んでいるのだと思います。

2006年5月26日金曜日

みおにっき / ゆかにっし

  本当なら二日にわたって一冊ずつ紹介したほうがよかったのかも知れませんが、みおとゆかを並べたかったものだから、一度に紹介してみることにしました。『みおにっき』と『ゆかにっし』は、みおとゆかの姉妹が主人公の漫画。同一世界を舞台にしながら、みお視点の物語とゆか視点の物語がそれぞれ展開されて、実をいいますと私はこういう構成が好きなのですよ。しっかり者の妹みおと、どことなく浮世離れした姉ゆかの和気藹藹と楽しそうな関係がなんか嬉しくて、私は本当に好きでした。けれどこの姉妹の物語はこの二冊にて完結。いい引き際だと思いながらも、ちょっと残念に思わないではおられません。

作者は『三者三葉』の荒井チェリーであります。思えば、この人の漫画がきっかけで『まんがタイムきらら』を購読するようになったのでした。この人はきらら系(DV系?)に分類される作家であるのですが、でも漫画の幅は結構広くてですね、一般四コマ読みにも訴えうる可能性を持っているのです。一般向けの傾向を強めた漫画が『みおにっき』で『ゆかにっし』なのですが、それでも完全に一般向けにはなり切らず、やはりDVのりがある点は否めません。でも私は、その境界線上にあるようなこの人の作風が好きなのだと思います。

荒井チェリーの作風はというと、可愛いキャラクターが黒いことをいっているというような、そういうものであると思うのですが、それはこの漫画にも健在で、けれど表立ってそういう部分はあらわれないというのが特徴なのではないかと思います。黒い部分よりも、ぼけがメインといったらいいのか、けど見た目にはとぼけた雰囲気なのにその実黒いというのはなかなかによい味を出していて、そしてその黒さというのが本当に悪いという感じがしないというところもいい味を出していて、そういうどこにも行き着かない、やっぱり境界線上にあるような雰囲気がよいんだろうなというように思っています。

さて、この漫画には『三者三葉』のキャラクターも出ていて、それは桜と竹園の坊ちゃんだけかなと思っていたら、実はそうではありませんでした。ゆかの弟でみおの兄である克樹の友人もどうもそうっぽいなと思っていたのですよ。そうしたら、やっぱりそうで、同じく『三者三葉』の一芽でした。

これが明確にわかったのは、みおにっき、ゆかにっしを一度に買うともらえる(かも知れない)小冊子『みおとゆか』を読んでだったのですが、しかしこの小冊子『みおとゆか』と題されているけれど、実質は『一芽と双葉』って感じでした。少女漫画風に花を背負った双葉が見られるのは『みおとゆか』だけ! 私は、行きつけの書店、グランドビル三十階の紀伊国屋書店にいってもらえました。もらえなかったらいやだなと思っていたので、よかった。というわけで、ちょっとした情報提供でした。

  • 荒井チェリー『みおにっき』(まんがタイムきららコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 荒井チェリー『ゆかにっし』(まんがタイムきららコミックス) 東京:芳文社,2006年。

2006年5月25日木曜日

GH-1 フード&アダプター

 今日はヨドバシカメラにいってきました。目的はいくつかあって、その筆頭はハクバの折りたたみ液晶シェードの購入でありました。で、こいつを探して二階にいったり一階におりたり。えらい時間かけて一階で見つけたのですが、こないだは二階にもあったのに。売れてるのかも知れませんね。

さて、もうひとつの目的。それはなにかといいますと、フィルターを買おうと思ったのです。GR DIGITALはいうまでもなくコンパクトカメラであるのですが、実をいうとフィルターの装着も可能なのです。ただそのためにはアダプターが必要。そう。私がカメラ購入と同時にアダプターを注文したのは、ひとえにフィルターを使いたいがためであったのです。

けど、残念ながらアダプターはまだ届いていません。でもアダプター装着時にどういう風になるかの予測はついています。まずは公式GR Blogオプションいろいろ、そして藤原ノートGR DIGITALとステップアップリング。ほら、なんだかいい感じでしょう。コンパクトカメラという感じから、東独やロシア製の面白カメラっぽくなるでしょう? 私はこれら記事を読んで、アダプターに直接、37mm径のフィルタを付けるのではなく、37-49mmのステップアップリングを使おうと決めたのですよ。そんなわけで、今日の買い物は37-49mmのステップアップリング(ケンコー)、プロテクトフィルター(ハクバ)、サーキュラーPL(マルミ)。これに49mmのレンズキャップ(ハクバ)も付けました。いやあ、早くアダプター届かないかなあという気持ちがあふれそうでありますね。

私の写真を見て、空が印象的だといってくれた人がいるんです。

北瑛の丘

北瑛の丘

嬉しかった。で、実をいうとそれにはからくりがある。まあ写真が趣味で風景を撮る人なんかにはいうまでもないことなのですが、PLフィルターを使ってるんですね。これを使うと、空がくっきりと蒼く写って、木々の葉の表面にぎらぎらとした光も落ち着かせることができて、そして水面もクリアになって、風景とるならPLは必須じゃないのかっていうくらいのフィルターなんです。

私はGR DIGITALで風景を撮るなら、やっぱりPLフィルターを使いたいと思った。だから最初からアダプターを買うつもりでいたのです。あのPLを通した空の、深く引き締まった蒼、紺碧、azureが私にはすごく魅力的であるのです。

けど、まさかステップアップリングまで買うとは思ってませんでしたけどね。でも、37mmより49mmの方がフィルターのバリエーションは圧倒的に多いのだから、ステップアップリングはあったほうがきっといいと思います。選択の幅が広がります。

美瑛の丘
美瑛の丘
ファームズ千代田
ファームズ千代田
美馬牛小学校
美馬牛小学校
  • (MINOLTA α-507si, AF24-85mmF3.5-4.5, PLフィルター使用)

2006年5月24日水曜日

折りたたみ液晶シェードDMH-RGRD

 はいはい、今日もGR DIGITALの話題ですよ。どうぞ、いい加減にしろとはいわないでください。なにしろ、そもそもからがネタ不足でしてね、困っていたんです……。

さて、GR DIGITALを購入するにあたり、アクセサリをいくつか同時購入しておりました。外部ファインダー、アダプター、ネックストラップ。このうち、アダプターとストラップは比較的はやく手に入りそうなのですが、外部ファインダーはどうやら来月末くらいまでかかるらしいのです。品薄みたいですね。けど困ったな。これからの日中、光が強い季節、液晶が見えにくいのは困っちゃいます。

だなんてかまととぶったこといっていますが、もちろんこれはちょっとした追加アイテムを購入するための口実に過ぎないのでありまして、それはなにかといいますとハクバ写真産業から出ている折りたたみ液晶シェードであります。正直言葉で説明するのは難儀なので、GR Blogの記事を参照してください。使用感、装着感に関してはM-Lab@WebGR-D専用液晶シェードに詳しいので、こちらも読んでみてください。

今日、日中、Caplio R4でもって薔薇を撮ってみたのでした。

Rose

そしたらですね、結構液晶が見えないのですよ。といってもR4の液晶がどうとかこうとかいうんじゃなくて、そういうもんだというほかないんですが、これはちょっと困るなと思ったのが正直なところです。だから、私は外部ファインダーを購入すると決めていたのですが、それが六月末まで到着しないでは困ります。なにしろこれからいよいよ日差しが強くなろうという季節なのですから。ほいだらしゃあない、前にカタログをもらいにいったヨドバシカメラで見つけていた液晶シェードに手を出そう、とまあそういう単純な話です。

ただ、これ、取り付けに両面テープを使うそうで、こういうのはちょっと好かんかなという感じ。取り付け簡単、取り外しも簡単、みたいなのがいいのですが、まああんまり贅沢はいいません。

多分、外部ファインダーを取り付けたら、シェードの出番はなくなるのではないかと思います。プロテクターだけを残して、なにしろファインダーを覗くのですから、液晶面に鼻が当たるでしょう。別にその程度なら私は気にしませんけど、でもちょっとくらい防護用のなにかがあっても悪くはないとも思いますし、だから思い切ってこいつを使ってみようかなと、そんなわけなのです。

しかし、小型で持ち運び軽便というのが売りのひとつであるGRなのに、ごてごてアクセサリを装着する私というのも変なやつだと思います。なんのかんのいってもギミック好きなのかも知れません。それに、こういうシェードってね、ほら、二眼レフのウェストレベルファインダーを彷彿とさせるでしょう。なんかかっこいいかも、なんて思うんですよね。

2006年5月23日火曜日

RICOH GR DIGITAL

 ついに決断したのです。先達て買おうかどうか迷っていたデジタルカメラ、GR DIGITAL。決断しました。買います。というか、もう注文は済ませたっ! ああ、早まったことをしてしまったんじゃないかと、私はなんだかすごく怖いよ。

購入したのはGR DIGITAL本体、これは当然。それに外部ファインダーとアダプター、そして純正ネックストラップをつけました。あと、SDカードですね。しかし、買うなら夏のボーナス時期といっていたのに、購入を急いだのはなぜなのでしょう。それは、それは、GR Blogが悪い。GR Blogが悪いねん。

購入を急いだのは、まずは受賞記念キャンペーンの存在。えっとね、こないだGR DIGITALがカメラグランプリ2006のカメラ記者クラブ特別賞を受賞しまして、そのお祝いというようなキャンペーンなのです。アダプターをつける際に外すレンズまわりのリングの色違いが作られまして、それをプレゼントということなのだそうですね。ん? アダプターをつける際に外す? さっき、あんたアダプターも買ったってゆうてたやん! そうなんですよね。正直なところをいいますと、私はこれを手にしたとしても使うということはないと思います。

で、本命の理由。リコーフォトコンテストを開催しています。今回のテーマは身近な自然。実をいいますと、私がカメラを欲しいと思った背景には、移り行く季節を見過ごしにしているという反省がありまして、私はカメラを手にすることで、再び季節に目を向けたいと思った。そもそも私がカメラを始めたのも、景色、状況をただ行き過ぎるままに置き去りにするのではなくて、その時、私が確かにここにいたのだという実感を残したいがためだったのですから、今、再びカメラを手にしたいなと思ったのは、行き過ぎる季節に目を向けたい。きっと本当は素晴らしい世界を見ておきたいという思いからなのですね。

だから、このコンテストのテーマは、私にとってはタイムリーであるといってよいかと思います。ただ問題があって、私は自然の写真が苦手なのよね! それと広角も苦手なのよね! で、ずっと一眼レフで撮ってきたからコンパクトカメラってよくわからんのよね! わお、三重苦じゃん。

でも、なにをおいてもまずは数を撮ることだと思います。撮っているうちに、カメラのこともわかれば、私の立ち会いたいと思った世界のことにも気付いてゆくでしょう。高い買い物だったかも知れないけれど、見ているようで世界を見ていないという、空しい視線をそのままにする馬鹿馬鹿しさを思えば、きっとよかったのだと思います。

2006年5月22日月曜日

雨の広場

私は高校生の頃、なんでか児童文学を書く人になりたくて、そうした欲求からなのかNHKの児童向け番組をとにかく見てたのですが、その頃の歌のお姉さんが神崎ゆう子さん。歌がうまくってですね、とにかく素敵なお姉さんでしてね、私は大好きでした、といったらあたかもお姉さん目当てで見てたみたいにも感じますが、そういうわけではないんですよ。

大学に通ってたころでしたか、行きつけのCD店に神崎ゆう子さんのアルバムがあって、けどこれまで聴いてきたような児童向けのアルバムではないみたい。買いまして、聴きまして、全体に雰囲気はやっぱり優しくて、歌のお姉さんのイメージを大きく逸脱するものではなかったのですが、けれどそれでもやっぱり歌のお姉さんというくくりだけでは語れない違った側面も感じられて、素敵なアルバムであるなとそんな風に思ったものでした。

今日の職場へと向かう朝の道、神崎ゆう子さんのアルバム『ぽこ・あ・ぽこ』から一曲がかかって、『雨の広場』。私はこの歌が好きで、全体に土俗的なリズムをそわせ、けれど歌の雰囲気はなんか清浄でしてね、途中突然天を指向するかのようにのぼっていくフレーズの美しさ、広がりったらありません。私はそのフレーズにさしかかるたびに、決まって美しいなあとうっとりする。歌詞がまた強い。水牛が空を見上げ……。

まるで情景が目に浮かぶかのようで、群をなす水牛たちが雨の降る草原に空を見上げて、それはもう荘厳な空気さえ漂わせるような……。祈りに似た気持ちに包まれるかのような瞬間であるのです。

そして私はこの曲にとりつかれて、今日は一日、水牛が空を見上げる情景を心に描きながら、同じフレーズを繰り返していたのでした。美しく、天を仰ぐかの思いを胸に、この歌を繰り返したのでした。

引用

2006年5月21日日曜日

クラウン仏和辞典

 こと辞書に関しては新しいほうがよいのです。時代が新しくなればともない新語も続々と増えて、昨今でいえばコンピュータ関連の用語なんかがまさしくそうで、辞書を引いてもわからないから、オンライン辞書を使って仏英翻訳し、さらにそれを英和訳して、単語の意味を調べるというようなこともしばしば。しかし、インターネットが出現して、本当に便利になったものだと思います。ってまとめてしまっちゃいけませんね。

外国語を、古典を読みたいがために習うのなら新しい辞書は特段必要ではないかも知れませんが、まさしく現在に書かれ、生み出されるテキストに対したいというなら、新しい辞書があるに越したことはありません。だから私も新しい辞書が出たと聞けば、適当な頃合いで版をあらためてきて、クラウン仏和に関しては、第3版にはじまり、第4版は予算の都合でパス、現在は第5版を使っています。ですが、つい昨年末に第6版が出ていたのですね。これは買ったほうがよいのかな、迷いますね。

辞書というのは不思議なもので、使っている間は別にそれほど不満も出なくて、いや違うか、不満は出るんです。だけども、なれた辞書であればそのなれているという感覚があるために他の辞書に移らせない。以前、『広辞苑』や『類語例解辞典』について書いたとき、最初に使った辞書がいわば原器となるというようなことをいっていましたが、だとすれば私にとっての仏和のスタンダードは『クラウン仏和辞典』ということになろうかと思われます。大学にはいって、第一外国語に仏語を選んで、そしてその時に手にしたのが『クラウン仏和』でありました。これ、きっと、『クラウン仏和』の編集に携わってらっしゃる天羽均先生がためでしょうね。うちの大学にですね、天羽先生が教えにいらっしゃってたんですよ。だから、私も先生に仏語を習っていました。その頃に使っていたのが第3版で、大学を卒業してもまだ第3版を使っていたのですが、卒業して数年して第5版が出るというのを聞いて、急いで買った。それからもメインの仏和として(つまり他にも仏和を持っています、二冊も!)『クラウン仏和』を使ってきて、やっぱり一番馴染んでいるのはこれかなあと思うことが多々あります。

いったいどこがいいというんでしょうね。残念ながら私にとっては『クラウン仏和』は、あくまでもスタンダードであって、普通であるから、どこがいいかとかはよくわからないのです。この辞書になくて違う辞書にはあるというものはすぐに思い浮かんでも、その逆というのは思い浮かばない。それはこの辞書が私にとっての基本形だから、この辞書にあるうちは他の辞書を使わない。だからわからない。そんな感じになってしまっています。

この辞書は学生時分から使ってきたから、巻末の活用表なんてのも結構覚えていて、頻出の不規則変化動詞の番号とか覚えてしまっていて、最近ではいちいち巻末付録に頼らなくてもなんとかなるようになりましたから忘れつつあるのですが、正直一時期などはこの辞書でないと不便だ、と思うことが多くて、だからやはり私にはこの辞書がスタンダードだという話であります。

初学者から中級者にかけて、まずは『クラウン仏和辞典』を手に取って大丈夫であるというように思います。それは私がたどってきた道で、とりわけ不都合を感じなかったのですから、きっとこの辞書で大丈夫なのだと、そんな風に思っています。

2006年5月20日土曜日

RICOH Caplio R4

二銭銅貨』のたとえもあります。私は五千円やそこいらを始末して儲けた気になろうだなんて思いたくもないのです。

なので、駄目元でR3をR4に換えることはできませんかと、受け取りの店頭で聞いてみたのです。そうしたら、たまたまR4が一台だけあって、いいですよ。かくして、R3はR4になったのでありました。

ただひとつ望み通りでなかったのは、ボディカラーが黒しかなかったということ。できればシルバーを選びたかったのですが、でも仕方ありません。シルバーボディのためにR3にするか、それとも機能を選んでR4か。そこで私は機能を選んだのですね。それにそもそも、私はカメラは黒い方がいいと思っているのです。ほら、写り込みとかを考えると、黒の方が有利ですから。ちょっと保守的ではありますけどね。

予定外のことといえば、斜め補正モードについてはちょっとがっかりさせられて、というのはですね、画像サイズが限定されるのです。せっかくR4を選んだのだから、2816 × 2112を使いたいというのが人情ではありませんか。けれど斜め補正モードに関しては、1280 × 960ないしは640 × 480に限定されるのです。だから、やっぱりこのモードというのは、メモ用の機能なのでしょうね。時刻表だとかを撮って、画像メモに使う。そういうための機能であると理解しました。

でも、この他に関してはおおむね良好。基本的な操作はわかりやすいし、撮影時に迷うということも少なそうで非常に好感触です。ボディが小さくて頼りないかというとそういうこともないですし、ただフラッシュを指でふさぎそうとか、電源投入時にレンズを押さえてしまうとか、そういうことはありますが、このへんは慣れでしょうね。盛んにいわれているレンズの動作音に関しては私には気になりませんでしたし、肝心の写りに関しても素直でいいと思います。

ただ、やっぱりこれはカメラ好きのためのカメラではないです。シャッター速度や絞りの量を合わせて撮るというような人にはきっと物足りない。基本的にAEで撮る。露出補正は+2.0〜-2.0EVの範囲で選ぶ。こういう割り切りで撮るためのカメラであると思います。物足りないと思うような人は、GR DIGITALあたりを選ぶべきで、ズームが必要ならGX8でしょう。けど、普通に気軽に撮影したいというような場合には、R4で充分すぎるくらいの性能があると思います。

というわけで、私には珍しく作例を紹介したいと思います。今日の朝兼昼食のペペロンチーノです。作ったのも私です。

Spaghetti Aglio, Olio e Peperoncino

引用

2006年5月19日金曜日

だからパパには敵わない

私は遠藤淑子には詳しくないのだけれど、この漫画にはなにかびびっとくるものを感じて、ほぼ衝動買いしてしまったのでした。ほぼというのはなにかというと、見つけたその日には手持ちがなくて、お金を用意して翌日買ったということ。大抵のものなら、一日たつと別にいらなくなるんですが、この漫画に関しては、一日たっても欲しい、読みたいという気持ちが消えませんでした。そして購入、読んでみて、やっぱり買ってよかったと思いました。

なにがいいかというと、血の繋がらない娘と父の微妙な距離かも知れません。父は娘を溺愛していて、娘はというと父に素直にはなれないのだけれども、その割りにはどことなく甘えていて、そのどちらもがはっきりとは明らかにしようとしない心のうちが折りにふわりと浮き上がってくる。そのやわらかな描かれかた、それがすごく素敵であるなというように思ったのでした。

どの話もストーリーが淡々としていて、結構書く人が書いたらドラマチックにもなりそうな筋なのに、淡々として地味で、まるで他人事をなぞるみたいによそよそしいのですが、けれどそうした点があまり気にならないというのは、そもそもが筋を読ませる類いの漫画ではないからだと思います。『だからパパには敵わない』そして収録の他短編にしても、読ませたいのはヒロインとヒロインに繋がる人の心の揺れであるとか、思いの滴であるとか、そういうナイーブで柔らかいところなのだとわかります。いつもは反抗的な娘が父に見せる素直な表情、いつもはどことなく茶化してはしゃいでいる父の見せる真摯な面立ち。ずっとどこかにギャグを交えてきたコメディからシリアスに転換するポイントが用意されていて、私たち読者も自然にそのポイントを通過して、今までの動揺の奥に隠されていた穏やかで落ち着いた気持ちの確かに繋がるところを目撃するのです。

派手さはないけど、ドラマチックな演出も弱いけど、そのかわりに心の安らぎを得られるような漫画であると思います。そして多分、私はこういう漫画が好きです。いつの間にか心が漫画に寄り添おうとしている、そういう思いのする話が好きなのだと思います。

2006年5月18日木曜日

楽しく弾こう! 大人のエレキ・ギター

 昔、エレキギターを弾くと不良だといわれた時代なんてのがあったと聞きますが、そうしたエレキ世代もすっかりいいお父さんになって、定年を迎えたりして、このごろやっとゆとりが出来たりしまして、若いころにやりたくてはたせなかったエレキの夢よ、今一度。憧れのギターを手にしようという人はきっと多いのではないかと思われます。

NHKの趣味悠々で開講されている『楽しく弾こう! 大人のエレキ・ギター』などは、まさにそうした世代に向けられたメッセージなのでしょうね。扱われている曲というのも、GSやベンチャーズという、まさに私の父が若かったころに流行っていた、そうした音楽ばっかりです。はっきりいって私の父なんかは狙い打たれた世代真っ直中なのですが、残念ながらプライドが高いのかなんなのか、ギターを手にしようという気はないので困ります。若いころやりたかったんだなんていうなら、今からでも始めればいいのにさ。

実をいいますと、放送が始まる前にこの本を書店で見つけていたのですが、その時は見送ったのですよ。悩むことは悩みました。けれど私は残念ながらベンチャーズ世代ではなく、GS世代でもなく、つまり、これだっという決め手に欠けていたのですね。だから、最初にいったように、この番組およびテキストは特定世代を狙い撃ちするものであって、そこからはずれた世代にはあまり訴えないだろうというように感じます。

けど、テレビを見て驚きました。私が見たのは『十番街の殺人』の第一回なのですが、講師である小松久氏が弾いているのを見て、おいなんだこれ、妙に難しいじゃんか。ちょっと見てそれとわかるくらい、しっかりした曲をやらせて、しかもそれを二週で完成させるの? 生徒さんはというと、そこそこは弾かれるのだけれども、そうはいってもテレビだからか緊張して固くなってらっしゃって、いやあそれ以前に難しいって。二週間じゃむりだって。思わず突っ込み入れずにはおられないような難度なんですね。

だからテキストを買ってしまいました。でも、これやっぱり初心者向けの内容じゃないですよ。一番最初の曲、『亜麻色の髪の乙女』ですが、いきなりピッキングアルペジオってなんだい。難しいってば。いきなりやらせる内容じゃないですよ。

といいながらも、なんか私はわくわくしてて、しくじりましたね。つべこべいわずにテキストを買って、番組も見ておけばよかったと本当に後悔します。絶対面白かったと思う。私はエレキよりもアコースティック寄りですが、それでもきっとためになったに違いないと、そんな風に思うんですね。まあ、テキストは買ったから、独習でなんとかするさあ。

2006年5月17日水曜日

窓ぎわのトットちゃん

 トットちゃんというのは誰かというと、日本人ならまず知らない人はいないんじゃないかというほどの知名度を誇る黒柳徹子さんであります。黒柳さんが過ごした少女時代をつづったのが『窓ぎわのトットちゃん』。最初の小学校で、授業中、窓ぎわにたってちんどん屋さん呼んでみたり鳥に話しかけたり、そうしたエピソードがタイトルになっています。

この本、ものすごいベストセラーになったのでした。1981年の刊行だから、私が八歳の頃かな。母が、私たち姉弟の寝る前に読み聞かせてくれたのをはっきりと覚えています。オレンジの傘の電気スタンド、その灯に集まって、トットちゃんのわくわくするような少女時代を追って、すごく楽しかったのです。最初の学校をやめさせられて、次に行った学校。古い電車が校舎になっていて、時間割もなくて、そうした自由な時間の中で自分でやることを選んでいく。すごく楽しそうだ、まるで夢の国のできごとみたいだ。その頃は私もまだ学校を嫌いではなかったのですが、でもどんな子供でも憧れてしまうような夢の学校の姿があったのでした。

しかし、この本を見てみる限り、黒柳さんはとんでもないお子さんだったようで、私もかなりのやりにくい子だったろうと思いますが、その比ではない。私、立ち歩きとかしなかったものなあ。でも、こうした自分の世界がとっくにできあがっているような子が、その世界をさらに広げられるような場所に出会って、その出会いや巡り合わせというのが素晴らしいよねって思うんです。学校に通う毎日が、冒険や発見にあふれた特別な日だったのだろうと、そういう雰囲気がひしひしとします。私は今の自分のていたらくを通ってきた学校のせいにはしませんが、それでももしトットちゃんの学校、トモエ学園に通えるものなら通ってみたかった。そんな憧れは今なおあります。

しかし、私がこの本で覚えているエピソードというのがトイレ絡みばっかりというのはどうしたもんでしょう。トイレに財布を落としたから長いひしゃくで汲み取りからすくっていったとか、あるいは新聞紙がかけてあった汲み取り口に飛び込んでしまった話なんてのもありましたよね。なんか、すごいリアリティをもって思い出されるのはなんなんでしょう。やっぱり子供はそういう話が好きなんでしょうか。

友達がいっぱいいらっしゃったとか、プールが楽しそうだったとか、そういうのも思い出されますね。そうですよ。やっぱり学校が楽しかったのでしょう。自由で奔放で、けれど守るべき約束があって、その中で子供は育ったんだなあ。この本を通して、私はトットちゃんとまるで同級生みたいな気持ちになって、だから昔も今も黒柳さんのことが好きなのです。

今日、テレビでね、黒柳さんのこうした話が放送されていたんです。むかし学校のあった場所に行って、むかし、関係のあった人たちに話を伺って、写真なんかも見て、私はそれをまるで自分の昔を振り返るみたいにして懐かしんで、ほら、やっぱり好きだったんですよ。黒柳さんを通して、私の心もトモエ学園にあったのだと、そんな風に思います。