2006年3月31日金曜日

ウルトラマンのできるまで

普段なら絶対見ない類いの番組、『特撮TV大全集』をいうのをなんだか見てしまいましてね、これ『生物彗星WoO』っていうNHK制作の特撮の番宣番組といったらその雰囲気もわかるかと思うのですが、けどしっかり過去の円谷系特撮を扱ってくれていたもんだから食い入るようにして見てしまいました。というと、さも私が特撮に興味があるかのようですが、実はそうでもないんですね。実は、ほとんど覚えていません。ウルトラマンは覚えています。何度も再放送を見ましたから。けどほかので覚えているウルトラマンってほとんどないのです。セブン、好きだったはずなんです。タロウ、一番好きだったはずなんです。歌える歌もあるのですが、なのにほとんど覚えていない。

小学生の頃、クラスの男子が特撮の再放送に夢中であるのを横目に見ながら、馬鹿馬鹿しいと思っていました。それが、あとになってこの手のものへの興味をつのらすことになろうと誰が思ったものか! ああ、そうなのです。私は特撮に関してはまるっきし耳学問なんです。

そんなわけで、私の特撮耳学問の書を二冊ほど。それは実相寺昭雄の『ウルトラマンのできるまで』と『ウルトラマンに夢見た男たち』なのですが、実はこれでもう打ち止めといっていいくらいに私は特撮を知らない。いや、まったく知らんわけじゃないんですよ。バルタン星人は当然として、ダダもわかればジャミラもわかる。キングジョーもエレキングも、きちんと番組を見て、当時の絵本や文庫(コロタン?)を見て覚えたんです。でも、肝心の内容を覚えていない。いや、ウルトラマンは覚えているんです。だいぶあとになって再放送を見ましたから。けれど、その他を覚えていない。

最初に、特撮特番について普段なら絶対見ない類いの番組という表現を用いましたが、見たら懐かしいと思う、けれどそれ以上のなにかを思い出すことができないというジレンマがいやだから見ないんです。でも、見たいんです。本当はこんな特番なんかじゃなくってですよ、本編で見たい。けれど、時間もなければ金もない。見ようと思っても思うようにはいかず、だからこういうものは時間のある学生時分に見とかなければならなかったのだと、今になって後悔する思いです。

ああ、肝心の本について書けなかった。これらの本、ウルトラマンの制作に関わってきた実相寺が、当時を振り返って書いた本で、曳光弾に自前の背広を台無しにされる男の話であるとか、思ったように特撮が成功してしてやったりという気持ち、そしてその逆の悲しさとか、そうしたものがつづられていて、その筆致があたかもその聴き手を前にして語られるかのような躍動、喜びにあふれていたものだから、私はそれを読みながら、より以上に特撮を好きになった、そういう特撮への思いを深めるきっかけとなった好著です。

これらの本が、私が高校生だったころに出た本が、今もまだ入手可能というところを見ても、どれだけ多くの人に愛されているかわかるかと思います。それはひいては特撮を愛する人の多さに繋がるのだろうと思います。

2006年3月30日木曜日

HAL — はいぱあ あかでみっく らぼ

 同じ職場で一年間働いてきた人間がこの春で契約が切れてしまいます。春は別れというがごとし。荀子がいったのでございます。君子贈人以言、庶人贈人以財。君子は人に贈るに言を以てし、 庶人は人に贈るに財を以てす。立派な人はものやお金じゃなくて言葉を贈るのだという意味であります。なので私もこれに習って、けれど私の言葉なんぞ贈られたってなんも嬉しくありやしないでしょうから、ものと言葉の間にある、本を贈るのでした。正しい科学の知識を身に付けるのじゃぞという思いをともに、あさりよしとおの漫画を贈りました。科学の知識ということは『まんがサイエンス』かと思いきやさにあらず『HAL』であります。まさにこの本こそは、科学に親しむ大人が正しい知識を得るためにふさわしい一冊である。私はそう信じて疑うところがありません。

読んだ頃合いを見計らって、正しい科学の知識は身についたかねと問い掛けたらば、正しい科学の使い方は身につかんかったという返事があって、なんかぱっとせん受け答えやなあ。それどころか、電波とはなんだ電波とは。と憤慨して見せてはいますが、それこそ狙ったとおりの反応が得られて嬉しいことで、それになにより面白がって読んでくれたみたいだからなおさらです。こんなことを書いたら、はなっから正しい科学の知識うんぬんなんて嘘なんじゃないかというような感じも受けられるかも知れませんが、そういうわけでもないのですよ。これが正しい科学の知識を得るためのよい漫画というのはあながち嘘ではなくてですね、ある程度正しいものの見方のできる人間ならば、表現の裏っかわにちゃんと思いをいたらせてですね、つまりはなにが正しいかわかるはずなのです。危ないのは、なんでも無批判無思考的に、書いてあることを書いてあるまま受け取る手合です。そういう人にはあさりよしとおなんて危なくて勧められなくて、だから私がこの本を贈ったというのは、その人の見識にある程度安心しているという証拠でもあるのです。

と、あさりよしとお自身もそういうスタンスで描いていたんだと思っていたんですが、あとの話になればなるほど正しい知識による突っ込みが頻繁になってきて、そしてきわめつけは新装版のおまけに見える一文「思考停止」 ある種の人間には幸せなのかも知れんが… 世間にゃ迷惑だな、というのを読めば、最初は人の判断力に信頼を寄せていた著者が、だんだんその不信の度合いを強めたのではあるまいなという気もしないでもなくて、だとすれば基本的にはウソばっかりです親切にも書き添えられた断りも皮肉であります。

私は『HAL』の面白さは、科学知識をもてあそんで作った皮肉よりも、神妙面して科学をもてあそぶ人間に向けて投げつけられる皮肉にこそあると思っています。その皮肉とは、思考停止してしまったものへの皮肉にほかならず、これらは徹頭徹尾冷たく突き放されて、氏の科学に向けられるあたたかな情愛とは正反対の質であります。

私はあさりよしとおにどのように思われようが、どのように見られようがなんとも思いやしないけれども、でもそうした思考停止はしたくないと思っています。この漫画は、正しい科学の知識を得るにも有用でしょうが、それにもまして、正しい科学とのつきあい方、つまりは思考をやめないという姿勢を学ぶに適した教材であります。教材といっても堅苦しくなんかない。楽しんで読めばいい。けど、これを楽しんで読めない人もいるかも知れないことはあらかじめ断っておきたいと思います。

  • あさりよしとお『HAL』(Gum Comics Plus) 東京:ワニブックス,新装版,2006年。

引用

  • あさりよしとお『HAL』(東京:ワニブックス,新装版,2006年),199頁。

2006年3月29日水曜日

兄妹はじめました!

 まさか妹もので書く日がくるとは、自分自身のこととはいえ、ついぞ予想だにしないことでありました。そう、『兄妹はじめました!』はそのタイトルの示すように兄と妹ものでありまして、けれど妹萌えというのとは一線を画しているところが私にはよかったのだと思います。作者は『1年777組』の愁一樹で、どうも私はこの人の漫画が好きなようです。ぱあっと目を引くような華やかさはなくて、内容的にも派手さはない、どちらかというと淡々と進んでいくようなそういう感じの漫画なのであるのですが、けれどいつのまにか毎回を楽しみにしている、ないとなんだか物足りない。こんな感想を持つのですね。私にしても、単行本を読み返してきっちり最初から読んでいたことを確認して、けれどはっきりと好きになったのはいったいいつだったのでしょう。そのへんをきちんと把握できていなかったりするのですね。

どのあたりが好きなんでしょうね。漫画としては、既刊の『1年777組』よりも地味という印象で、けれど現実味の点でいえば『777組』よりもずっと現実性のある話だから、私には読みやすいかと思います。設定は、幼なじみの二人が両親の再婚により兄妹になってという、有名どころでいえば『みゆき』パターン。ただこれが『みゆき』と違うのは、『みゆき』では兄貴のみが血の繋がっていないという事実を知っていて妹は知らない(ことにしている)、『兄妹はじめました!』は兄妹ともにちゃんと理解している。あと、『みゆき』では兄貴には同級生の彼女がいるけど、『兄妹はじめました!』ではそういう複雑な関係にならない。

よくも悪くも、さらっとして、ドラマとしての盛り上がりよりもふたりそしてクラスメイトたちを取り巻くシチュエーションを楽しむための漫画であると思います。

読んでると、なんだかにやにやしてしまいますな。だから、これは誰もいないところでひとりで読むのが正しいのではないかと思うのですが、血の繋がっていない妹に恋愛感情をくすぶらせている純情少年と、その気持ちを知ってか知らずか、あるいは知っているからこそなのか、うまく自分のペースに兄を巻き込んでしまう妹。この構図はよいなあと思ってしまうのですよ。妹ものに見られる盲目的お兄ちゃん大好きシチュエーションとは逆といってもいいのかな。でも、兄は妹に対しては盲目的でありつつも自分を失うようなところもなく、このへんは、好きだといってしまったら今の関係を壊してしまうかもしれないと怖れる、友達以上恋人未満の合間で揺れ動く少女漫画的シチュエーションに似てますね。恋人未満で兄妹であるというのがこの漫画の肝であるのです。

掲載誌である『まんがタイムきららMAX』の五月号で、妹のクラスメイト傍若無人系の萌葱(この人も妹)のスペシャル版があって、なんとその月は萌葱が主人公! ということで萌葱好きの私としては楽しみに読んだのですが、それでもなんだかちょっと物足らなくって、というのはやっぱり私がこの漫画に求めているのは、主人公兄茜と主人公妹葵を取り巻くいろいろなのであろうなあと再認識したのでした。そんなわけで恒例の蛇足:

蛇足

高坂葵、妹です。ぎゃーっ、新しい扉が開いてしまったような気がします!

  • 愁一樹『兄妹はじめました!』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 以下続刊

2006年3月28日火曜日

暴れん坊本屋さん

  昨日は『看板娘はさしおさえ』で書いたから、ははあ、今日は『棺担ぎのクロ。』か、あるいは『えすぴー都見参!』かなどという予測をされた方もいらっしゃるかも知れませんが、さにあらず、今日の題目は久世番子のベストセラー『暴れん坊本屋さん』の第二巻です。

実はですね、私、この本を、職場最寄りの駅前書店で見つけまして、平積みですね。あ、出ると聞いてた二巻が出たんだと思って、即座に買おうと思ったんだけど思いとどまりました。というのはですね、その日はそれから梅田に出ることがわかっていたからで、目的地はグランドビル三十階の紀伊国屋書店。ここは独自の特典をつけていることがあるから侮れなくて、もしかしたらという予感があったんですね。そうしたら、あたりましたよ、めったにあたらぬ私の予感が見事に的中したのです。

特典がついているというのは遠目から見てもそれと知れるくらいで、それはなにかというと暴れん坊本屋さん軍手だ! 書店向け販促グッズで一般販売はされていない軍手。紀伊国屋書店で配っていたのはピンクの軍手に書名と作者の名前、そして番子ペンギンがプリントされていて、素敵! これで冬のコーディネートもばっちりだわ、ってもう春だしなあ。

ちなみにうちに持って帰ったらば、大掃除するのにいいじゃないかといわれて、えーっ、なにゆうてんの。これゆうとくけど、非売品のレアもんやで、ってレアだから価値があるかどうかについては不明。うちにはそういう微妙なレアものが結構あります。

閑話休題。とにかく買って最初に読みはじめたのがこの漫画でありました。なんでかというと、気に入っている漫画だからという他ないのですが、なにぶん私も本が好きで、それが高じて図書館で働いていたこともあったくらいで(本屋は働こうという意思はあったけどはたせなかった)、そして私の知人にも本好きは多いから、あちこちで勧めまくり。ちょうど、この本を買った前日に会った人にもお勧めしていたんですね。本屋で本を物色しているその作法を見ていると、その人の本好きの度合いがわかるんだってさって『暴れん坊本屋さん』の作者がいってたんだよー、みたいに切りだして、そうしたらあとは私の本好き話みたいになって、崩れている山があれば詰み直し、順番がおかしくなった棚があれば並べ直し、本を買うときには六面きっちり確認する(あ、ごめん。これ私だけ)。なんか、普通の人からしたらなんなのこの人って思われてもしかたがないなと思うのですが、だってやらずにはおられないんだからしかたがないじゃん。

と、その日話したこうした話が、第二巻にそっくりそのまま収録されていて、ちょっと笑ってしまいました。そうか、やっぱり私だけじゃないんだって、そして果てしない共感が広がって……。この本を面白く感じるその根底には、そうした共感性がきっとあるだろうと思います。

と、そんなわけで、私の友人連中は、きっとこの本を面白く読めると思います。ぜひ、一度手に取ってみてください。

  • 久世番子『暴れん坊本屋さん』第1巻 (Un poco essay comics) 東京:新書館,2005年。
  • 久世番子『暴れん坊本屋さん』第2巻 (Un poco essay comics) 東京:新書館,2006年。
  • 以下続刊

2006年3月27日月曜日

看板娘はさしおさえ

 当初は月に一冊、多くて二冊であったまんがタイムKRコミックスですが、このところではなんと四冊も出るのですね! でも、四冊全部買うわけでもないからいいやみたいに思っていたら、今月は全購入ですよ。ああ、あかん、人としてなんか、どんどんあかんようになっていると、そのような気もしますが、まあ今更嘆いたふりしてみせてもね!

今月刊行の四冊の中で、私が堂々これが一番好きといえるのは鈴城芹の『看板娘はさしおさえ』でありまして、どんどんその系列誌を増やしていく『まんがタイムきらら』にMAXが登場した当初、私にとってあたかも真空地帯と感じられた誌面に見いだされたオアシス、それが『看板娘はさしおさえ』。他にも面白いと思った漫画はあったのですが、群を抜いて楽しみにしていたのが『看板娘はさしおさえ』でありました。

看板娘はさしおさえ。質屋を舞台とした一見ほのぼのファミリーコメディでありまして、さしおさえというのは差し押さえではなくって、主人公の女の子の名前であります。それを絡めたギャグもありますから、よろしかったら本編でお確かめください。

漫画がはじまった当初を見返すと、なんだかほのぼの色が強くて驚かされてしまうのですが、そうなんですね、見た目可愛らしいキャラクターとほのぼのとした雰囲気を前面に押し出して、その中身はというとずいぶんシニカルなギャグでもって構成されているのが味になっています。当初は隠し味といった感じだったシニカルさも、気がつけばそっちがメインみたいになっている。それに加えて、おりに織り込まれるマニア向けのネタや設定の数々もぴりりとよく効いて、ええ、これは構成と表現の勝利であると思います。

舞台こそ質屋というレアケースでありますが、基本形はそれこそスタンダード、オーソドックスの域にあるといっていいのではないかと思います。ですが、それでありながら、ありきたりに終わらないというのは作者の腕の見せ所なのでしょう。辛辣があって、皮肉があって、けれどそれはちっとも嫌みじゃなくて、こうした行き過ぎると逆効果になりかねない部分をうまく処理しているのもさすがなら、逆に両親の仲のむつまじさを書くことで屈折した面白さをだし、かつ表立たない色気も出して、バリエーションの豊かなために読んでいて飽きない。うまいなあと思います。

そしてここからはちょっと余談。マニアやおたくの潔癖性および溺愛性をうまく刺戟するキャラクター設定が壺を心得ています。それは誰かというと小絵のお母さん桜子さんで、誰よりも辛辣、誰よりもマニアック、誰よりも人でなし(いやごめん、人でなしなら五十鈴ちゃんのお母さんの方がずっとひどい……)、けれど純情路線という、そのよさはぜひ本編でお確かめくださいますよう、ということで恒例の蛇足:

蛇足

桜子さんです。いや、本当。読んで確かめてください。

  • 鈴城芹『看板娘はさしおさえ』第1巻 (まんがタイムKRコミックス) 東京:芳文社,2006年。
  • 以下続刊

2006年3月26日日曜日

ル・パティシエ タオルケーキ

四月に誕生日を迎えられる人に会う機会があったので、なにか贈り物をと思いましてね、こういうときに私は花を贈るのが恒例で、やっぱり喜ばれますし、あとに残らないところもいいし、そんなわけで重宝しているのであります。まあ、男相手にだったら花なんて全然駄目ですけどね……。

けど、いつも花というのも芸がないと思いまして、なにか気の利いたものはないかなと思っていたところに聞き及んだのが、タオルケーキですよ。タオルケーキというのはなにかというと、タオルで作られたケーキでして、もちろんタオルですから使用可能。見た目はケーキだから印象もいいと、よしこれだーと思い至って、今年はこれに決めたのでした。

でもね、残念、その機会というのも待ち合わせやなにかというものではありませんで、そうなんですね、お会いできなかったんです。しかたがないから、その日あった友人に差し入れして、そうしたら思いのほか喜んでもらえて、ああ、やっぱり私の策はあたった、大当たりでした。

私の策というのは、ケーキに見えるタオルをよりケーキに見せるために擬装するというもので、まあ単純な話ですよ、ケーキの箱に入れたのです。購入前に放っていた斥候からの報告によれば、百貨店では扱ってない、ロフトにならあるそうだということなので、梅田ロフトにいきましてね、そうしたら結構いろいろ種類があって目移りするのですが、箱に入れるのですからあんまり大きいのはいけません。私のチョイスは苺のショートケーキ、ダークチェリーのチョコレートケーキ、チーズケーキ。これらを入れるル・パティシエのロゴ入り箱はと思って探したらですね、これが置いてなくて、しかたがないから店員さんに聞いたら、六階ラッピングコーナーへ案内されました。

ケーキが四百円弱なのに、箱が450円ってどうでしょう……。いや、ネタのためならこれくらいの出費はいといません。

プレゼントって難しいのですよ。あんまり高いと、贈るほうも大変だし、もらうほうも気を使うし、後々まで残るものもなんかいやだし、消えものがいいといっても食べ物は好き嫌いもあればアレルギーやなにかもあるしで、生活雑貨やなんかがお手軽ですが、それもなかなか気の利いたものは少ない。だから私は花を贈るというのですが、そんな選びにくいプレゼントの中で、このタオルケーキは光っていました。気が利いているし、生活雑貨であるし、好き嫌いとかアレルギーとかもあんまりなさそうだし、ちょっとした話題にもなりますでしょうしね。その時、ああこいつ手の込んだことしてだましやがって、と笑ってもらえるのが嬉しい。今回差し上げたお嬢さんたちも面白がってくれて、喜んでくれたからそれが嬉しい。これを選んで本当によかったと思います。

私の姉の友人は、紅茶まで用意してさあ食べようとしてところでようやくタオルということに気付いたそうで、暗いところで出されたり、あるいは目が悪かったりしたら、そういうこともあるだろうなあという秀逸のできです。

参考

2006年3月25日土曜日

日本語プログラミング言語「なでしこ」

 私は実はコンピュータを使うとき、ハードウェアにはこだわりがなく、そしてOSについてもそれほどこだわらず、結局最終的なアウトプットさえ整えられればなんでもいいと考えているような人間です。だから、マルチプラットフォームで展開されているアプリケーションは本当にありがたいと思いますし、そしてそれがフリーならなおさら。最近ではOpenOffice.orgとか、かなりいい線いっていると思います。

いい線いっているといえば、日本語プログラミング言語「なでしこ」がかなりのものだと思います。コンピュータをよりよく使うにはなんらかのプログラミング言語に親しんでおいたほうが絶対いいというのが私の持論で、私はそれでPythonに傾倒してしまっているのですが、ところがプログラミング言語というのはやっぱり敷居の高いものなんですね。なにがハードルになるかといえば、可読性の低さでしょうか。Pythonの可読性はかなり高いとはいえ、ベースが英語ですからやはり厳しい。と、そうした状況を打破する可能性を持つ言語が「なでしこ」です。

「なでしこ」の可能性はなんといってもその可読性の高さでしょう。なんでか? その名前がすべてを表していますわね。日本語プログラミング言語「なでしこ」。なんと日本語でプログラムができるのです。言語としてはインタプリタ型だからPerlやRuby、Pythonと同様で、コマンドラインでの利用も可能なら、GUIの利用についても非常によく考えられていて、正直心底まいってしまっています。

詳しくはですね、私のつたない記事を読むよりも「日本語で10行プログラミング」をご覧になったほうが速いと思います。プログラムといえば難解で、山ほど、たくさんコーディングしなくちゃいけなくて、みたいに思っている方もいらっしゃるかと思いますが、それが誤解であるとお気付きになられること請け合い。だって、こんなことを十行プログラムでやってしまえるのか! と本当に目からうろこが落ちます。同じことを他の言語でやろうと思えば何倍もの行数を費やす必要があると思います。

「なでしこ」には気の利いた機能が多いんですよ。GUIはそもそも装備されているし、最近のアップデートではパブリックドメイン(!)のRDBMSであるSQLiteを同梱してしまって、はっきり言ってこれはものすごいことだと思っています。データベースなんてのは扱いに関してはどうしても簡単ではないから、ちょっと導入してみようなんて気にはなりにくいものなのですが、それが「なでしこ」に同梱されていて、スクリプトから利用できる。それもものすごく簡単に! SQLを覚えないといけないから簡単ではないとは思いますが、それでもその労力を上回るメリットがあるかと思います。「なでしこ」は、インストールと設定さえしてやれば、CGIとしても問題なく使えて、つまり掲示板やなにかをRDBつかって実現できる! ああ、素晴らしい! 私の使っているサーバにも「なでしこ」入らないかしら! 本気でそう思うほどに「なでしこ」の可能性はすごいものがあります。

英語圏の子供たちは、PerlやPythonをはじめるとき、私たちが「なでしこ」に感じるような印象をもって取り組むことができるのでしょうね。関数やメソッドなんかにしても、語の意味を知っているからすっと入ってくる、意味を丸暗記することなんてない、これは大きなことであるなと「なでしこ」を見て思いました。

残念ながら、現時点において「なでしこ」はWindows版しかリリースされていないのですが、これはつまりWindowsユーザーは「なでしこ」を使わないと損だということですよ。「なでしこ」の存在ひとつで、日本語ネイティブのWindowsユーザーは大きなアドバンテージを持っているのです。まずなにはなくとも「なでしこ」を導入し、そして「日本語で10行プログラミング」を読んで、こうしたスクリプトを使える便利を知っていただきたいと思います。本当に、使える言語がひとつでもあれば、コンピューティングは様変わりしますから。私は実際、半日以上かかっていたような作業を二分に短縮して、プログラムの使えるという優位を周辺にアピールしてきて、そうなんですよ、なんでもはじめてみればいいのです。

プログラム入門にさいして、「なでしこ」はきっと力になってくれると思います。その後、Perlにいく、Rubyにいく、Pythonにいく、それは自由です。でもまずはハードルの低い「なでしこ」からチャレンジして見られると如何でしょう。コンピュータを使うということの意味が見えてくること間違いありませんから。

2006年3月24日金曜日

ヤダモン

 チビッ子魔女がやってきた! そうなんですよ、ついに『ヤダモン』のDVDが発売されまして、そしてそれが今まさに私の手もとに! すばらしい! 待った、待ちに待ちました。整理の悪いテープをジャグリングすることもなく、傷んだテープの乱れ踊る劣悪な画質にやきもきすることもなく、ストレートに、スマートに視聴することができる! ああ、嬉しい。

私は、正直考えなしに注文したことを悔いたりしたりもしていて、というのもDVD-BOXというのは私にとって決して安い買い物ではないからなのですが、一旦見始めるとそんなしょうもないことは吹き飛んでしまいますね。ああ、青春の日々よ、再び! 生き生きと動いてしゃべるヤダモン、タイモン、ジャン、ジャンパパ、ジャンママ、ハンナなどなど、再びこうしてまみえることができて、どんなにか嬉しいことでしょう。ああ、本当に嬉しい。ちょっと最近、こんなに嬉しいことはなかったというくらいに嬉しいです。

BOX 1に収録されているのは、五話構成の中編です。DVDは六枚。箱はSUEZEN書き下ろし、小冊子にはちょっとした設定資料等々収録されて、各ジャケットにはエンディングテーマで用いられたあの繊細にして美しいイラストが! そして本編。残念ながら画質は少々甘く、そりゃさすがにデジタルリマスターだ! みたいにはいかなかったのでしょう。各話冒頭にオープニングは一度だけ、エンディングテーマこそは毎回収録ですが、オープニングがはしょられてるのは残念としかいいようがなく、けれど中身はしっかり収録されているのだからこれでよしとしましょうよ。

マニアックな指摘をしますと、エンディングテーマはテレビ版ではなくて、あの十本だけ出たビデオ版が採用されていて、だからテレビ版が脳裏に染みついた私にはちょっと新鮮。テレビ版しか知らない私ですから、こうしてビデオ版のエンディングを知ることができたのはよかったかも知れない。けど、できればBOX 2にはテレビ版が収録されるといいなあ。なんて思います。

とりあえず、ちびちび見ていきましょうかね! ああ、見終わるまでが楽しみです! そしていずれの日にかBOX 2が出てくれれば、私はまた嬉しさに転げ回るんでしょうな!

VHS

CD

書籍

  • 面出明美『小説ヤダモン』上 ちいさな魔女がやってきた! (アニメージュ文庫) 東京:徳間書店,1992年。
  • 面出明美『小説ヤダモン』中 砂の迷宮 (アニメージュ文庫) 東京:徳間書店,1993年。
  • 面出明美『小説ヤダモン』下 地球の詩がきこえる (アニメージュ文庫) 東京:徳間書店,1993年。
  • SUEZEN『ヤダモン』前編 (アニメージュコミックス) 東京:徳間書店,1993年。
  • SUEZEN『ヤダモン』後編 (アニメージュコミックス) 東京:徳間書店,1994年。
  • ヤダモン』第1巻 (アニメージュコミックススペシャル — フィルム・コミック) 東京:徳間書店,1992年。
  • ヤダモン』第2巻 (アニメージュコミックススペシャル — フィルム・コミック) 東京:徳間書店,1992年。
  • ヤダモン』第3巻 (アニメージュコミックススペシャル — フィルム・コミック) 東京:徳間書店,1993年。
  • ヤダモン』第4巻 (アニメージュコミックススペシャル — フィルム・コミック) 東京:徳間書店,1993年。
  • ヤダモン』第5巻 (アニメージュコミックススペシャル — フィルム・コミック) 東京:徳間書店,1993年。

2006年3月23日木曜日

Sweet Memories

  いつぞやはまってしまったMMO(多人数参加型オンライン)型ゲーム『ときめきメモリアルONLINE』。正式サービスが今日の14時に開始されて、けれど私はもうあの場に戻ることはできないのではないかと思っていたのです。レジストレーションコードは残っているし、30日間の無料プレイも可能だし、じゃあなにが問題なのか。時間? いや、時間も自由ではないとはいえ、そういう経済的ないしは物理的ななにかが問題になっているわけではないのです。

問題は、一度覚めた夢を再び見ることができるのかという、心情に根ざすものであります。私は、一度でも場を離れると戻れないという厄介な性質を持っておりまして、これをもって帰巣本能が低い、帰属意識が極めて低いといってもいい。再び参加して、戻りました、戻ったは戻ったのだけれど、心はここにはいないというようなことになることを怖れていたのです。

松田聖子のヒット曲『Sweet Memories』に次のような歌詞があるのです:友達ならいるけどあんなには燃えあがれなくて。……そうなんですね。まわりには確かに以前と同じように友人たちがあって、しかし私は変わってしまって、もうあの日のようではない。ああ、でもこれは『Sweet Memories』のテーマじゃないや。むしろ『あの素晴らしい愛をもう一度』にこそふさわしい:あの時風が流れても変わらないと言った二人の心と心が今はもう通わない。ええ、私の心は変わってしまった。そういう現実に直面するのではないかと私はひたすら怖れたのでした。

『Sweet Memories』が流行った頃、私はまだ子供で、サントリーのペンギンのキャラクターがコマーシャルでこの歌を歌っていて、その情景がすごく心に残っています。サントリーのビール工場見学、開始時刻を過去のCM上映を見ながら待っていたときに、このCMを見て、一度に心は子供時分に戻って見せて、なんかすごく懐かしく、涙が出そうな気にさえなって、失った夢だけが美しく見えるのはなぜかしら、どんなにいやなこと、つらかったことがあったとしても、過去は振り返ればいつも美しく輝いて、過ぎた悲しみだけがきれいに見えるのはきっと涙のせいでキラキラ光るから

けど、そういうややこしいことを考えているのは結局自分ひとりであって、他の誰もそんなことは考えてなんてなくて、だから私はこれまでも、なにも考えることなくどーんと飛び込んでいったらよかったのかも知れないと、そんな風に思います。考えすぎて駄目にしたものはたくさんあっただろう、もっと気楽にいけば、今失っている(今失ったと思っている)ものも手もとに残っていたかも知れない。

そのように思えるできごとがあったのでした。

引用

  • 松本隆『Sweet Memories
  • 北山修『あの素晴らしい愛をもう一度
  • 松本隆,前掲
  • 武田鉄矢『思い出が手を振る

2006年3月22日水曜日

世界文学にみる架空地名大事典

 世の中にはいろんな本があるというのはいうまでもなく当然のことで、知ってみれば、へー、そんなのまであるんだと驚くようなのもあるんですよ。例えばそれは、私にとっては『架空地名大事典』で、これ、図書館司書の資格を取ろうと勉強していたときに知った本なのですが、まあ書名を読めばわかりますよね。架空の地名が列挙されている本です。この本、出典を記すにとどまらず、結構詳しいデータまで載っている(それもあたかもその地が存在しているかのように!)のだからまたびっくりで、手もとに一冊あっても面白いだろうなと思ったものでした。まあ、買ってはいないのですが。

これ、大きな図書館(特に図書館学を学べる大学図書館など)には所蔵されている可能性が高くてですね、なんのためにあるかというと、地名について聞かれたときのため、リファレンスツールとして蔵書されているのですね。実際、聞くほうはその土地が存在しているしていないなんてわからないわけですから、図書館としては存在する地名、架空の地名双方に対応できるよう備えているのです。

図書館司書課程を経験された方ならわかると思うのですが、実習があるのですよね。例えばリファレンス。いろいろな問い合わせ例が出題されて、さあ諸君、答えたまえ。ただし、自分の知識で答えてはだめじゃぞ。きちんと典拠を示さなければ失格じゃ。答えはすべて図書館にて見つかるであろう! とやられる。で、その問題の中に罠があるんですよ。ケア・パラベルってどこにある都市であるか、なんてのが普通に紛れ込んでいて、ここで、ああ地名だから『世界地名大事典』で調べようと思ったらドツボにはまります。ええ、ケア・パラベルは現在映画化もされて大人気の古典文学『ナルニア国ものがたり』はナルニア国の首都であります。だからこういう場合には迷わず(いや迷ったとしても)『架空地名大事典』にたどり着かなければならないというわけ。架空地名の可能性に気付かないと、延々世界地名地理関連のリファレンスツールから脱することができずに、時間ばかり費やすというはめになるのです。

まあ、私には楽勝だったわけですが! というか、この授業は本当に面白かったですよ。図書館の蔵書のだいたいを前もって把握しておいて、問題が出た瞬間に頭の中で蔵書検索。答への到達可能性の高く、そして他の人がなかなかたどり着かないだろう順にソートするのですよ。そして図書館へゴー。皆が見当違いのことをしている間に、中くらいの罠をクリア、皆が第一段階の罠を抜けた頃には第二段階、第三段階の罠を突破して、一番最後に素直な問題をやっつけるようにすれば時間的ロスが最小ですみます。こうして私は居残りなんかしたことなかった!

でも、この作戦が効くのは結局自分の鼻が利く分野限定ですから、得意な範囲からはずれたものが出たときにはてこずりましたね。でも、そういうときにはよくしたもので、ちょうど得意分野を違えた同類が頼りになるんですね。つまり、情報をリークしあうわけですよ。あの地名なら『架空地名事典』を探すといいぜ、あらサンキュー、じゃああなたの探している事件に関する情報を教えてあげるわ、うんぬん。こうして役割分担して、更なる時間短縮をはかるのでした。

ああ、あの授業は本当に楽しかった。まさに情報系生物である私にとってはご馳走といえるような時間で、自分の持っている情報が役に立って、そして自分の知らない情報を教えてくれる人がいて、ああ、私は私の知らないことを知っている人が(そしてそれを出し惜しみしない人が)大好きです!

ああ、もうっ、図書館でまた働きたいなあ。それでリファレンスを山ほどしたい、ブックトークなんかもしたい。はたせぬ夢なんですけどね!

2006年3月21日火曜日

メイプル戦記

 第一回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にて日本が優勝! っていっても、実は私は予選リーグの時点ではほとんど興味がなくて、ちゃんと見たのは準決勝の日韓戦のみ(しかもこれも偶然だった)。決勝の日本キューバ戦は明日だと勘違いしていたから、九回裏からしか見てないという……、だめじゃん。でも、やっぱり日本が優勝したというのは喜ばしいことで、そんなわけで今回は野球に関する漫画を取り上げたいと思います。

といっても、私はそもそもがあんまりスポーツに興味があるほうじゃないから、野球に関する漫画も本も皆無といっていいくらいに少ないのですよ。野球漫画といえば川原泉の『甲子園の空に笑え!』、そして『メイプル戦記』。あとは『究極超人あ〜る』くらいかあ。あと、一冊大リーグものの小説を持ってた。ピッチャーがヒロインという話で『赤毛のサウスポー』といったっけ。

といった具合に、私の野球に関する蔵書は非常に偏っているのですね。

(画像はロスワイラー『赤毛のサウスポー』)

『メイプル戦記』も『赤毛のサウスポー』同様、ヒロインがピッチャーをつとめるという漫画でありまして、いやピッチャーだけじゃないな。チーム全員が女性であるというスイート・メイプルスが日本シリーズに向けて驀進する様を描いて、しかし内容は軽佻浮薄を装ってひたすら深く、そうして私はまたべそべそ泣くわけだ。

川原の漫画にいったいなにがあるというんでしょう。私は、先にもいったようにスポーツものにはあんまり興味を持てない人間だから、『メイプル戦記』というのが野球の漫画だと知ったときに少し腰が引けたのですよ。てっきりファンタジー系戦記ものだと思ったりなんかしたんですよ。ところが野球もの。でも買いますわな、ファンですから。で、読みますわな、ファンですから。そして私は自分の不明を恥じました。偏見によって狭く世界を見ているということを恥じました。

広岡監督(といってもあの広岡監督じゃない、この漫画の主人公広岡真理子監督だ)がおっしゃるんですよ:

…いーじゃないっすか 人間にはいろんな道があるんだから オカマになろーが オナベになろーが 本人の自由って事で…

いやいやどーせなら選択の幅の広い人生の方が楽しいザンスよ

やっぱ世の中面白くなくちゃ

そして私はこのフレーズだけで泣けるのです。私は世界を狭く見つつ、狭く小さく生きてきて、けれど最近はずいぶんと広く見渡すことができるようになってきたと思います。きっとおそらく、こうした資質を川原泉の漫画からも得たりしたというのでしょう。ええ、川原の漫画には小うるさくせせこましい枠組みなんてものを超えた大きさがあって、それゆえに面白く、それゆえに深く、それゆえに胸を打ちます。『メイプル戦記』でもそうです。野球というスポーツジャンルを描いて、複雑にして多様なジェンダーの問題、いやジェンダーなんて小さなカテゴライズじゃないですね、人間が生きていくうえでの大切なこととはなにであるかを表現していて、だから私は泣く、一巻冒頭から泣き始めて、三巻すべてを読み通すまで泣き続けるのです。

でも、どうか勘違いしないでくださいましよ。私が泣くのは、これがお涙頂戴だからじゃないのです。むしろその逆ではないかと思います。強い漫画です。しなやかにして強い漫画です。友情が描かれ、恋愛が、そして人の尊厳が描かれ、人が自分の人生を生きるということ、人が人に向き合うということの大切さが描かれて、この漫画は川原泉漫画の初期における集大成であると思うのです。

本当に集大成だから読んでみなさるとよいですよ。時系列にしたがって既刊を読んで、そしてこの漫画にたどり着くと、ああそうかとわかるものもあります。そして、そうした表にあらわれやすいものの向こうにも集大成があることに気がつかれると思います。ええ、大きくて広いよい漫画なのです。

  • 川原泉『メイプル戦記』第1巻 (白泉社文庫) 東京:白泉社,1999年。
  • 川原泉『メイプル戦記』第2巻 (白泉社文庫) 東京:白泉社,1999年。
  • 川原泉『メイプル戦記』第1巻 (花とゆめCOMICS) 東京:白泉社,1992年。
  • 川原泉『メイプル戦記』第2巻 (花とゆめCOMICS) 東京:白泉社,1994年。
  • 川原泉『メイプル戦記』第3巻 (花とゆめCOMICS) 東京:白泉社,1996年。

引用

  • 川原泉『メイプル戦記』第1巻 (東京:白泉社,1992年),45頁。

2006年3月20日月曜日

Le Petit Prince

  NHKフランス語講座のテキストを買ったら、2006年度応用編第一期は「『星の王子さま』を読もう」ときました。私は、ラジオが壊れて以来フランス語講座を聴くことはなくなって、かつては毎日毎日聴いて勉強したものでしたが、いつの間にかそうした情熱が失われたようで、駄目ですね、人間は低きに流れます。ですが、今回の企画にはちょっと興味をひかれましてね、というのもちょうどフランス語のてこ入れをしたいなあと、なんか小テキストを読んでみようかなと思った矢先だったものですから、って読むというのなら手もとにあるLe Petit Nicolasから読めってなものなのですが、どうも人間低きに流れていけません。

すらすらと読める言語がひとつでもあると、慣れない言葉でつっかえつっかえ読むというのがどうにも苦痛に感じられて駄目なのです。読みたいものはいくらでもあるのに、慣れた言葉ならこの数倍の早さで、もっとしっかりと読み解けるというのに、フラストレーションがたまりにたまって駄目なのです。あ、私の場合、すらすら読める言語というのは日本語です。

でも、今回、フランス語講座のテキストに抄録されたLe Petit Princeをみたかぎりでは、それほど難しいフランス語ではないのです。すらすら? とはいかないだろうけど、ちょこっと辞書を引きながら程度で読み進めそうで、だから私はまずはテキストを読んでいこうと思います。土曜日曜にでもその週の分を読んで、なにも翻訳しようってわけじゃないんです。読むだけ。あんまり最初からハードルを高くすると長続きしませんから。それで、読めてきたら、サン−テグジュペリのフランス語に慣れてきたら、本文にチャレンジすればよい。

本当は一気に読み進んでしまったほうがいいんですけどね。けど私の場合は時間が継ぎはぎだから、ちょっとずつ長くやらないともたない。で、あんまりハードルを高くしたらもたないのです。

『星の王子さま』は好きで、日本語版は何度も読み返してあらかた頭に入っていますから、フランス語で読めば日本語が仏語にがっちりぶつかってくれるかも知れない。それで、日本語の理解を仏語の発想に置き換えることもできるかも知れない、なんて期待したりしちゃいますわ。

でも、こうやって期待すると途中で投げ出しちゃうんだ。期待せずにはじめてみるのが私の場合はよさそうです。

  • Saint-Exupéry, Antoine de. Le Petit Prince. Collection Folio Junior. Gallimard, 1997.
  • Saint-Exupéry, Antoine de. Le Petit Prince. Harvest Books, 2001.
  • Saint-Exupéry, Antoine de. Le Petit Prince. Harcourt Childrens Books, 2001.
  • Saint-Exupéry, Antoine de. Le Petit Prince. Gallimard, 1997.
  • Saint-Exupéry, Antoine de. Le Petit Prince. Graded Readers. Houghton Mifflin College, 1970.

2006年3月19日日曜日

High Germany

  Amazonから還元ギフト券というのが届いたので、以前からちょっと気になっていた本を購入してみました。それはOne Hundred English Folksongs。タイトルがそのものずばり内容を表していますね。イギリスの民謡本です。届いてみれば、内容は実にしっかりとしたもので、鍵盤楽器による伴奏譜つき。でも、願わくばコードネームが欲しかった。とはいっても、どうせ弾く際には移調したりするに決まってるんだから、コードネームに関してはしかたがないとあきらめましょう。ピアノ譜みながら拾っていこうと思います。

この手の曲集を買ったときには、手始めに目次を読むところからはじめます。いったいどんな曲が入っているのか、自分の知っている曲はあるのか。そうしたら見つかったのはHigh Germany、そしてScarborough FairScarborough Fairに関してはあまり知られていないバージョンです。今はよく知られた方の練習中ですが、それが一段落ついたらこちらにも挑戦しましょう。でも、多分その前にHigh Germany、こちらを歌うことになるのではないかと思います。

私がHigh Germanyを知ったのは、ペンタングルの『ソロモンズ・シール』でなのですが、ジャッキー・マクシーの歌うこの歌がまたよいのですよ。透明度高く美しい声でもってとくとくと歌われて、その歌い回しも実によく耳に残り癖になるようなよさがあります。いい歌だなあと思っていたのですが、内容はというと戦争にいかねばならない男の歌で、なんかすごく不幸な感じ。歌われる情景は違えど、ロシア民謡の『黒いカラス』に匹敵する悲しさがあります。まあ悲しさからいえば『黒いカラス』の方が上かも知れん、だってまさに死のうとするその時の歌なんだから。けれど、戦争を忌避する気持ちには変わりがなく、これらはいつか私のレパートリーにしたい歌だと思っていたのだから、目次に見つけたときは嬉しかったのです。早まって音を拾いはじめなくてよかった! ってなんて横着者なのでしょう。

High Germanyはマーティン・カーシーのアルバムMartin Carthyにも収録されていて、またこれもいい感じなのですよ。地味で質素な様、そして私と同じ男声であるということからしても、こちらはずいぶんと参考になって、拾うのならこちらからだなと思っていた。さいわい楽譜が手に入って拾う必要はなくなりましたが、でも参考にするのはこちらであろうかと思います。民謡にせよなににせよ、音楽は楽譜だけではわからないことが多すぎて、そういうときにこうした音源は大きな助けとなります。発音や譜割りといった実用面に始まり、歌そのものへの理解にも大変な助けとなって、どれだけいろいろな歌い手の版を聴き、どれだけ自分でも歌ったか、これが歌を練り上げるための最重要事項であると思います。

2006年3月18日土曜日

スノボキッズ

 トリノオリンピックが盛況のうちに終わって、そして数日が経ちましたでしょうか。姉が聴くのですよ。スノーボードのアルペンをみたかって。ああ、みたよ、で薮から棒になんだいと聞いたら、久しぶりに『スノボキッズ』をやりたくなった。ええ、うちにはPlayStationをプラットフォームとしてリリースされた『スノボキッズプラス』がありまして、これ、電撃PS誌の付録に収録された体験版が面白かったものだから買ってきたというもので、思えば、このゲームのためにコントローラを買い足したんでしたっけ。で、一時は姉と対戦したり、母と対戦したり、結構楽しめるよいゲームでありました。

このゲームは、少なくともプレステ版は、難易度が低めだから初心者にも敷居が低いところがよくって、姉や母はコアにゲームをするような人ではなく、姉に関しては、ゲームをするのもたまにというようなライトをさらにライトにしたようなゲーマーで、けれどこんな感じのライトゲーマーでも楽しめるというのは本当によいゲームであったと思います。

キャラクターが数名あって、それぞれにスピード型やトリック型等の性能差を持っているのですが、結局グラフィックの好みで選ぶというのがらしくていいですね。私はパメラがお気に入りで、姉はだれだったっけかなあ、とにかくずいぶん忘れてしまっているのですが、基本的にはスピード勝負で、けど途中途中でトリックを決めることのできるポイントがあって、ジャンプを決めて、トリックを決めて、アイテムをとって、スピードアップしたりライバルの邪魔をしたり、とにかくそうしてわいわいやるのが楽しかった。ステージもいろいろあるし、ポイントをためてウェアやボードを購入したり、楽しめる要素も結構ありました。

NINTENDO DS版が出ているんですね。残念ながら私は携帯ゲーム機を持っていないし、これから買う予定もちょっとないから、これを遊ぶ可能性はないのではないかと思います。でも、もしこれがDSといった携帯ゲーム機ではなくて、据置型のゲーム機用に出たら、ちょっと欲しいと思うかも知れない。いや、基本的なゲーム性の変更はいらないのですよ。キャラクターもそのままでいい(というか、そのままいい)。期待するのは、新ハードの処理能力ですね。グラフィックの描画を緻密に、高速にして、そして画面分割対戦時にも処理落ちしないというのが誰もが考える希望でしょう。逆にいえば、プレステ版でほとんど完成していた。あとは処理の問題だけといったところであろうかと思います。

実際にはキャラ差が少なく、難易度も低めだから、全キャラクリアをしようとしたらだれてくるという問題もあって、けどこれはライトユーザーには関係のない話です。大切なのは、誰もが参加できるということ。みんなでわいわいと遊べるということ。このゲームは間違いなく、一時のブームを支えました。これ以降に、これほどに盛り上がったゲームはありませんでした。

2006年3月17日金曜日

あの素晴らしい愛をもう一度

  あの素晴らしい愛をもう一度』をもう一度。ついに練習を始めました。ここでついにという表現を使うのには理由があって、私はこれまでこの曲を弾きたいと思いながらも弾けない理由があって、というのは技術上の問題でした。

ギターにはスリーフィンガーという奏法があって、ブルースやフォークでよく使われるものなのですが、親指人差し指中指の三本を使って弾く。フォークにおいては特に軽快なリズムを刻むことができ、はつらつとした印象が得られる、なかなかに悪くない奏法です。なのですが、まあ簡単ではありませんということで、私もゆっくりだったらできたのですよ。でも、この曲の伴奏は速いスリーフィンガーであったために、途中で右手が酷いことになる……。

技術上の問題が、ここにきてようやく改善の兆しを見せたのです。さすがに私はフォーク世代ではなく、スリーフィンガーに必要以上の憧れを抱いたりはしないのですが、でもできないのも悔しいし、できたほうがいいに決まってるしで、少しずつでもちょこちょこ弾いてきて、それがここ最近になって実りはじめた気がするんですね。実際、以前よりも安定して、スリーフィンガーを刻めるようになってきて、そうじゃ『あの素晴らしい愛をもう一度』をやろうと思い立って、その時手近に楽譜がなかったから、とりあえずin Cで少しずつコードを拾いながら、ゆっくりゆっくり弾いてみて、まだ途中でつっかえます。コードを覚えてないのもあるし、腕が痛くなるのもあって、無理はできないのですが、これはいけるという感触を得たのですね。

腕の痛みが出てくれば練習は中断、負担の少ない曲に切り替えるなどしなければ、腱鞘炎にまっしぐら。だからこの曲を弾けるようになるまで、普段以上の時間をかけるつもりでいます。で、そうして歌ってみて思ったのですが、この歌が愛される理由がわかります。いい歌なんです。曲調、メロディも起伏に富んで、そして描かれる情景の物悲しくもほろ苦い様は胸にさしますね。うん、昔、愛し合っていた頃のことを歌っていたと思ったら、今はもう通わないという現実が突然に、端的に投げ込まれて、これがすごく鮮やかで、どきりとする。一気に曲の悲しみを深めて、じんとします。

今はもう通わない。私はこの一言のためにこそこの歌を練習するのだと思います。私たちは永遠不滅なんてことを夢想しますが、しかしすべては移ろいゆくのだ、変わっていくもの、失われるものは確かにあると知っています。知っているからこそ、今を大切にしたい。でもその大切にしていたはずのものをもう通わないといって振り返る日のくるかも知れないと思えば、どきりとします。そうして、空を仰ぎたくなります。

引用

  • 北山修『あの素晴らしい愛をもう一度